父の願い・中編
「君たちは……ええと、セーアと同じグループの……」
言いかけて、雄大は急に名前が出てこなくなってしまったのに気付いた。なんとか思い出そうとするが、気持ちが焦るあまり一文字も浮かばない。
必死に頭をめぐらせる雄大のかたわらで、少女たちは不審そうに身を強ばらせていた。
当たり前だ。ガタイのいい中年男性が、いきなり曲がり角から息を弾ませながら現れたのだから。
おまけに関係者しか立ち入れない場所のはずなのに、相手はまったくの見知らぬ顔。そのうえ声を掛けられたとなると、それだけでもう怯えられる理由としては充分だろう。
「さ、さっきから親しげにセーアちゃんを呼び捨てにしていますけれど、一体どういうご関係ですのっ?!」
黒いドレスを身にまとっている方の少女が、泣きそうになりながらも毅然とした態度で前に出る。
涙で潤んだ瞳は、自然と目が吸い寄せられるほどの澄んだ紫色をしていた。背中に垂れた黒髪はハーフツインテ―ルになっていて、服に付いているものと同じ、鮮やかな赤色をしたバラの飾りが頭の両脇に結ばれている。
写真ではモノクロだったので、色までは判別できなかったが――この系統の服装は、ウェスティンいわく『ゴシックロリータ』とかいったか。
黒の布地に映えるビビッドな赤、スカートのふちを彩る白いシャンデリアの柄。彼女の尖った耳と八重歯が全体の雰囲気とうまく調和していて、よく似合っている。
「君は……そうだ、チェルちゃんといったな。うん」
記憶をたどる中でようやく出た名前に、雄大はスッキリとした面持ちで少女を見た。けれど質問を無視した発言だったので、対面にある表情は渋いままだ。
「そ、そうですけれど……?」
「おじさん、だれ?」
チェルを庇うようにして、今度は小花柄のシックな青いエプロンドレスに身を包んだ少女が進み出てきた。突き出された手には、おそらく店内に通じる物であろうピュティシュ・アルマのロゴが入った通話機が構えられている。
「答えによっては、警備員さん呼ぶから」
小さくはあるが、しっかりと芯の通った涼やかな声だった。
魚のヒレに似た形をした耳に、毛先が透き通った深緑色の太い三つ編み。晴れやかな海を思わせるコバルトブルーの瞳は、魚人族が持つ共通の特徴だ。しかし鱗や水かきはなく、普通に言葉を喋れている点からもハーフと分かる。
「君はフィノちゃんだったな。セーアが言っていたぞ、素敵な友達が二人もできたと」
その言葉にフィノは目を見開き、掲げていた通話機をゆっくりと下ろした。
「もしかして……セーアちゃんの、パパ?」
「ああ」
疑問に答えながら、先ほど提示した関係者証を取り出す雄大。
写真には今現在の幻影によって変えている顔がうつっていて、名前の欄にも旅の頃に使用していた偽名が記載されている。セーアの送り迎えをしやすいようにと、イオニアが事情を考慮し用意してくれた物だ。
「私はセーアの父親で、ユーモントという。君たちが今日、三人で勇者の家に泊まりに行くことも娘から聞いている。……ただ……」
「セーアちゃんに何かありましたのっ!?」
血相を変えてしがみ付いてくるチェルと、彼女を押し留めながらも不安そうに見上げてくるフィノ。二人の反応を前にして、雄大はうつむきがちに話しだす。
「出かける間際、あの子は確かに笑っていたんだ。本当に嬉しそうに。けれど急に、泣きそうな顔で出て行ってしまって……。心配になって、あとを追いかけてきたんだ。君たちとはまだ合流していないんだな?」
「ええ。まだお会いしていませんわ」
チェルが沈んだ声で返しながら辺りを見回す。
店の近くなだけあって似た格好をしている女の子はちらほら目にするものの、ファンの子ばかりで肝心のセーア本人が見当たらない。
「……セーア……」
「きっと、すれ違っちゃったんだよ」
思わず頭を抱えそうになる雄大を励ますように、フィノがのんびりとした声音で言う。
「ちょっと待てば来るかもだから、焦らずにおちついて。ね? セーアちゃんパパ」
囁きにも近い喋りに耳を傾けているうちに、しだいに雄大は心が軽くなっていくのを感じていた。
魚人族の声には独特の波動というものがあって、聴く者の気を鎮めたり、逆に興奮させる作用があるのだという。
一番効きやすいのはやはり『歌』として相手に届ける方法だが、語らうことで癒す精神治療師の職についている魚人も多くいるのだとか。
「……ああ。そうだな」
おかげで気持ちが落ち着いてきた雄大は、普段のセーアがどんなルートをたどって職場まで行っているのかを思い出した。
『路地裏を通るなって?』
『ああ。あそこには大人向けの店が多いから、子供のお前は行っちゃいけない場所だ。通勤ルートに使うのをやめなさい』
軽く叱ったつもりが、あからさまに嫌そうな顔が返ってきた。
前世ではたったひとりで旅をしていた彼だ。どんな道だろうが自分の判断で選んできたんだろうし、数々のピンチを切り抜けてきた経験もある。いくらガワが子供だからって、ユエリスと同じ扱いをするなと言いたいのだろう。
『別にああいう場所、よく歩いてたし慣れてるから。今さらっていうか、変装して大通り歩くほうが怖いよ』
すでにドレスを脱いで、男物のシャツを着ているウェスティンが頭を通しながらおざなりに続ける。
『それに夜開く店がほとんどだから。日中に行っても、大半が閉まってるし』
ほとんどシャッター通りだよ――なんて言っていたが、やはりあの子はまだ自覚が足りない。
人通りのない道こそ危険なんだ。そこをいつも利用している子供、それもモデルとして人気が出ている小さな女の子だなんて、まさに恰好の餌食じゃないか。
「私とすれ違ったのはたぶん、あの子が路地裏を通っているからだ」
「「路地裏?」」
雄大の呟きに、二人が顔を見合わせる。
「この辺にある奥まった通りは、大人しか入れないお店が多いから行っちゃダメってばあやが言ってましたわ」
「わたしもパパとママに言われた。子供だけで入っちゃいけないから、歩く時にはかならずスタッフさんやマネージャーに付いてきて貰いなさいって」
「セーアちゃん、そんな場所をおひとりで……?」
チェルが不安から、うわずった声を上げた直後だった。
「――――ッだよ!!」
どこかから、子供の怒鳴り声が響いた。
男子とも女子とも取れる、そんな中性的な声だ。少しの間を置いて、「――なせ!」という叫びも続けて聞こえてくる。
「なせ…………『はなせ』?」
符合する言葉を口にしたフィノの顔色がさっと蒼ざめる。
「こっちですわ!」
今度は耳をそばだてていたチェルが、顔を上げて勢いよく走りだした。そのあとを追って、雄大とフィノも駆け出す。
「場所が分かるのか!?」
「ええ、ずっと声が聞こえていますから! セーアちゃんと、あともうひとり……女の人の……! きゃっ!?」
「どうした!?」
「あ、あそこ……!」
震える指先が示した先には、黒い塊に押し潰されている小さな人影があった。
すがめて見ないと、人とも読めない距離だ。即座に動きだす雄大の目に、しだいにその輪郭が捉えられていく。




