背中のリボンが結べない
「それじゃあ皆さま、大変お世話になりましたわ!」
「たのしかった。また来るね」
荷物もまとめ終わり、いよいよ帰る時間になった。
玄関口ではエチェット、ウェスティン姿のククリア、ユエリスがそれぞれ手を振っている。
「気軽に遊びに来て下さいね。いつでも大歓迎なので」
「こんどはねっ、ロズもしょーかいしてあげる!」
その場で跳ねながら、無邪気に次の計画を語るユエリス。
よほどふたりのことを気に入ったのだろう。もう一人……ではなく、もう一匹の家族も紹介したくて堪らなかったみたいだ。
けれど今回のお泊りはそもそも練習ができる場所の確保であって、純粋な遊び目的ではない。そちらに向かう時間も無さそうだったので、またの機会にと説得して、ようやく受け入れて貰えたのだった。
「ロズってたしか、旅の話で出てきたピンク色をした子ドラゴンですわよね?」
彼女の目線になるようしゃがみながら、チェルが思い出したとばかりに人差し指を立てた。
「今は大型犬サイズになって、尻尾や体重で家具を破壊するようになってしまったとか」
「うん! ユエの椅子とね、リビングの棚がバキィッてこわれちゃったの! だからね、町のみんなともそーだんして、森に小屋をたてたの。いまはね、そこがロズのおうち!」
「そうなんですのね。ぜひお会いしたいですわ、どんな子なのか楽しみにしていますわね」
「うんっ!!」
とびっきりの笑顔を浮かべ、次が待ちきれないといった様子でエチェットにしがみつく。これはあとで、『またお泊りして』とねだられる可能性が高いな。
そうなると再度ククリアの協力を仰がないと――と思いつつ本人を見ると、意外にも少しだけ寂しそうな顔をしていた。
陽の差し加減による見間違えかとも思ったが、やっぱりどこか陰を感じる表情をしている。それでも最後の仕事とばかりに、なんとか笑顔を作っていた。
「三人とも、気をつけて帰ってね」
「ウェスティンくん!」
チェルはそんなククリア――ウェスティンに駆け寄ると、デカいリボンのついたカバンのポケットから一枚の紙を取り出した。招待券だ。
家族や友人に配るもので、俺も事前にマネージャーから『何枚必要ですか?』と訊かれている。
けれどククリアは基本的にこういったイベントを好まないし、何よりも大好きな父さんの言いつけがある。たとえ呼んだとしても来ないだろうと判断し、家族の分はエチェットとユエリスの二枚しか貰っていなかった。
「明日のステージ、良かったら見に来て下さいませ。わたくしたち、もうお友達ですもの」
「うん。ちゃんと勇者さまってバレないように、変装してくるんだよ?」
チェルとフィノの言葉にほんのわずかに戸惑いを見せながら、ククリアは差し出されたチケットをおずおずと受け取った。
「あり……、がと」
「ほら、セーアちゃんもなにか言って下さいませ!」
ひじで軽く小突かれたが、帰宅してから再び顔を合わせる相手に何を言っていいのやら。とりあえず無難に『待ってるよ』とでも言っておくか?
「もう、なんでさっきから黙って…………ハッ!?」
悶々と考えていると、チェルは何故だか俺とエチェットを見比べながら顔を赤くした。
「そ、そういうことなんですわね!?」
……どういうことだよ。
「フィノ、わたくしたちだけで先に帰りますわよ!」
何の気を利かせてか、チェルは傍にいるフィノの腕をぐいと引っぱった。その行動から、彼女も何かを察したらしい。小さく頷くと、こちらに向けて『お幸せに』とだけ呟いてドアをくぐっていった。……使いどころがまったく違う。
音を立てて扉が閉まったのを確認してから、俺は肩に掛けたカバンをゆっくりと下ろした。
「――はぁっ。なんにせよ、移動時間が短縮されたのは助かった」
一旦帰宅して、泊まりの荷物を置いてから出勤しようというのがもともとの予定だった。そうなると、俺は二人と別れてからまた家路を辿らなければならない。その道のりを考えれば、勘違いされたのは幸いだ。
「エチェット、俺に合わせてくれてありがとな」
カバンに詰めていた荷物を取り出す合間、家族に声をかける。
「おかげで二人も喜んでくれたみたいだし。無事にヒミツも隠し通せたし、ほんとお疲れさま」
「いえいえ。私は純粋に楽しんでいただけなので」
にこにこと手を振っているが、キスといい風呂の件といい、本当に楽しんでいたのは間違いないだろう。
「ユエリスもありがとな、ちゃんと『セーアちゃん』って言えてて偉かったぞ。今度はロズのことも、ふたりに教えてあげような」
抱き締めて頭を撫でてやると、ユエリスは腕の中で身じろぎをしながら首を傾げた。
「おにいちゃん、やっぱいつもとちがう?」
「あー……うん、ちょっと悪い妖精にイタズラされて。そうだククリア、もう戻っていいぞ。あとこれ、いつ直るんだよ?」
いまだにスースーしている下半身を何とかしたくて、俺は元凶へと視線を移した。
昨日の風呂はけっきょくエチェットを締め出したり目をつむりながら済ませたりと、リラックスとは程遠い時間だった。これが何日も続くようじゃ、本気で身が持たない。早いとこ何とかして貰わないと。
しかし問いかけに対し、彼女は何故だかチケットを握りしめたままで固まっていた。俺と同じ青緑の瞳が、『招待券』と書かれた文字に釘付けになっている。
「ククリア?」
軽く肩をつついてみると、ようやく意識が他に向くようになったのか顔が上がった。
「あぁ、ごめん。なんだって?」
「なにって、からだ。いつ直るんだよ?」
今回の件で一番協力してくれたのはククリアだが、タチの悪いイタズラをされたのでプラマイゼロだ。
お礼なんて言ってやるもんかと思いながら問い詰めるが、やはり反応が薄い。
「僕も分からない。ほんのちょっと力を使っただけだから、すぐに戻るはずなんだ。本当にそのはず、なんだけど……」
「なんだけど、って…………。あとククリア。チケット貰ったからって、勝手に行こうとしてないよな?」
「まさか」
さっきまでの呆けた態度から一転、彼女は真っ先にかぶりを振った。
「僕は雄大の言いつけを破る気はない。わざわざ用意してくれた彼女たちには悪いけど、今回は他の誰かにチケットを譲ることにするよ」
「ならいいけど。あんまり親しい人に渡すなよ、俺が恥ずかしいから」
なにが恥ずかしいって、披露する一曲目の歌詞もアレなのに、二曲目がメンバーごとの紹介ソングになっている点だ。セーア特有の媚びた雰囲気がこれでもかと出ていて、歌っているだけでもう色々と居たたまれない。
そのうえこんな身体のままステージに立たないといけないのかと思うと……。
「色々と気が重いけど……。とりあえずマネージャーに相談、だな」
ため息とともに独りごち、俺は服のポケットに仕舞っていた通話機を取り出した。
「明日のステージ以降もそのままでしたら、明後日ぐらいに水着撮影をしましょう。ピィニアの三人で」
「は?」
相談のつもりで例の報告をしたはずが、何故だかそんな返答がかえってきて、俺は訝しげにマネージャーを見つめるしかなかった。
頼れる社会人だと思っていたんだが……まさかアーシュアさん、そういう人だったんだろうか。
「念のために言っておきますが、これはあなたの報告をもとにプロデューサーたちとも相談して、そのうえで出した結論ですからね?」
マネージャーは眼鏡のブリッジを指で押さえながら、あからさまにゴホンと咳ばらいをして続けた。
「前に撮影したのは振り向きの姿勢で写っているものと、下半身を水に浸けているものの二枚です。故意に隠していると思えば、このポーズと枚数の少なさはやや不自然でしょう。事実、一部のファンからは『なんでこの二枚だけなんだ』と不満の声が上がっていたそうです」
脇に抱えられていた本がテーブル上に置かれる。
セーアだけで活動していた頃に出した写真集だ。ほとんどが甘ロリ・白ロリ系のドレスだが、購入特典である巻頭にある見開きのページが、水着で撮られた写真。右左で二枚、さっきマネージャーが口にした構図で写っている。
「いくら美少女モデルと銘打っていても、ヒミツだらけのプロフィールに性別すら疑問に感じる人もいるでしょう。そのミステリアスさがセーアのウリなんですが、探ってくるような輩が今後出てこないとも限りません。これは偽りを事実にする絶好の機会です。使わない手はありません、色んな角度から撮影して写真集用に溜めておきましょう」
「はあ……」
早めに出勤するように言われ、スタッフルームに通されたのはこういう話をするためだったのか。
どうやらマネージャー含め、ビジネス面で考えているせいかあんまり危機感は抱いていないみたいだな。
そりゃそうか。セーアちゃんは女の子、それが周知の事実だ。たとえ本当にそうなろうとも、本人以外はたいして困らない。恋人であるエチェットも、女の子同士だろうと一向に構わないらしいし。
内心投げやりになってきた俺の対面で、マネージャーがカツン、と指の先を強くテーブルに打ち付けた。
「それよりも私が心配なのは、あなたがお泊り会の道中で遭遇したという過激なファンのことです。太ももにあったという入れ墨、これ『反魂の導き』に所属している証ですよ」
「えっ!?」
先ほど経緯を説明した時にうろ覚えで書いた、父さんが女を担ぎ上げた時にちらりと見えた入れ墨。
おわん型になった手に包まれている火の玉――組織名を表しているというのなら、これは火の玉ではなく『人魂』なのだろう。
「じゃああの人も、神託者に恨みを抱いて……?」
「恐らくそうでしょうね。石化や人形化の魔法に執着しているのは明らかで、それも己の美意識に基づいている。高尚な行為なのにも関わらず違法とされ、神の遣いを名乗る者たちによって取り締まられているのが不満なんでしょう」
どこか軽蔑すら感じられる口調で告げたマネージャーは、椅子に寄りかかりながら腕組みをした。
「あなたはモデルやアイドルといった以上に、神秘的に見えすぎるんです。過激なファンにとっては、それこそ神格化すらしかねないほどに。あの女の目的は、もしかしたら――」
ごくりと唾を呑んで、俺は浮かんだ考えを口にした。
「セーアという『御神体』を、作りあげようとしていた……?」
「少なからず、その可能性はあります」
鷹揚に頷いて、マネージャーはステージ進行が書かれた紙を手渡してきた。これまでに何度も調整され、やっと俺たちに渡ってきた決定稿。
「相手は危険な組織に所属している人間です。捕まったからといって、ことが片付いたと安心するのは早計でしょう。こちらとしても、なるべく身の安全が保障されるよう努めますが……あなた自身も気を付けて下さいね。勇者ウェスティン」
忘れるなとばかりに、本来の名を口にするアーシュアさん。
彼の言うとおり、確かに気が緩んでいたのかもしれない。可愛い可愛いと持て囃され、セーアとして振る舞うのに慣れきってしまっていた。それは本来の俺ではなく、単なる仕事上で生まれた仮面だというのに。
「俺より、ふたりの警護を厳重にしてあげて下さい。お願いします」
低く呟いて、俺はスタッフルームをあとにした。
専用の休憩室に入り、最終調整のために明日着るステージ衣装を身につけていく。
苺が散りばめられた生地に、淡い赤色をした大きなリボン。背中は編み上げになっていて、広がった赤いギンガムチェックのスカートは幾重にもかさなり、動くたびにふわふわと揺れた。
けれどその軽やかさと、白いストッキングが脚に吸い付いてくる感触がやっぱり心もとなくて。
「…………あ、れ?」
セーアとしては正しいはずなのに、ウェスティンとしては間違ったアンバランスさにどうしようもなく――まるで唐突に寄る辺のない存在になってしまったみたいな漠然とした不安を覚え、ないものにすがるようにして、俺は無意識に身体を抱いていた。
背中の赤いリボンが、結べないまま。




