変身タルトとおかしな夢
……あたたかい。
血が巡っていくみたいにして、指の先までじんわりとした温もりが広がっていく。
どこか懐かしさを覚える感覚に意識を傾けているうちに、いつの間にか身体が四歳の頃の大きさに戻っているのに気付いた。
見下ろすと、壁に飾ってあったはずの装備一式を纏っている。
襟つきの白シャツに、背中側が少し長めになった青色のベスト、黒っぽい膝丈のズボン。短めなマント。
手にはセーアになってから、ろくに抜く機会が無くなっていた剣が握られている。
「――俺たち家族の幸せを、壊したのは!」
ぼんやりとした思考とは裏腹に、口からは感情的な言葉が吐き出されていた。
「俺と母さんを殺したのは……父さんじゃないっ! お前だ、エルディオッ!!」
発した名に、カツンと靴音を立てて暗がりからひとりの人物が姿を現す。
濃い灰色をした癖のある髪に、漆黒のうねる二本の角。浅黒い肌、尖った耳。屈強な上半身に刻まれた、魔族である証の複雑な紋章。
眼前に立つ角持ちのダークエルフが、俺の言葉に不気味な笑みを浮かべる。
ああ、あの時だ、と記憶が囁いた。
旅の最終目的地、モルダットにある神殿に乗り込んだ直後。思わぬ形で魔王エルディオと遭遇してしまい、戦いに突入した場面だ。
当時の俺たちは内心ひどく焦っていた。ククリアの助力を得てから最終戦に臨むはずが、彼女と対話できる鏡がすべて割られてしまっていて、事前に用意していた策とはまったく異なる戦いを強いられる羽目になってしまっていたから。
そんななか、床一面に散らばった細かな鏡の欠片が、俺と彼女――女神ククリアの気持ちとを、微かに繋げてくれていた。
「父さんをこれ以上、苦しめるんじゃねえッ!!」
破片のひとつひとつが、声に呼応するようにチロチロと瞬く。
眼前に立つエルディオの手中に闇が寄り集まり、形を成して剣となっていく。その切っ先がこちらに向けられた瞬間、俺は叫んだ。
「神託者、ウェスティン・レイアネットの名において告ぐッ!!」
たった三年前のことなのに、懐かしい響きだ。
肉体と魂が再構成され、実質‶生まれ変わった〟今の俺には、もう神託者としての能力は使えない。だからこれは、しょせん過去をなぞった夢だ。
そう分かっていても、周りにいる仲間の存在を感じ取ると、自然と張る声にも力が籠もる。
「夕闇を薙ぐ風よ、沈みゆく子を包む光よ! 鬼哭の声に慰みを。かの追憶の中へと運び、悲嘆に暮れる魂に、救済を……!」
剣を構えたエルディオが、まさに今振りかぶらんとする。
こちらも最後の詠唱とともに、溜めた力を全力で解放しようとした時。
「――……なっ……!?」
手にある剣が突然、ぐにゃりと歪んだ。
何だ、相手の見せる幻覚か? それともこんな時に疲れが出たのか――焦りと戸惑いが押し寄せるなか、もとから小ぶりな剣は、丸めたアルミ箔のごとく簡単に形を変えていく。
やがてそれは銀色の輝きを放つマイクになり、柄の飾りとして付いていた赤い宝石が帯状になって持ち手へと巻き付いていく。蝶結びが終わったとたん、まるで元から赤いリボンが可愛らしいマイクであったかのように、ストンと手中へ収まった。
身につけていた装備もいつの間にかヒラヒラした可憐な衣装へと変わっていて、無防備そのものになってしまった俺目がけて、濃い瘴気の渦が襲い掛かってくる。
「ウェスティン、すぐに武器を構えろ! 早くッ!!」
濃密な闇に覆われた空間のなかで、どこからか声が聞こえてくる。
イケメンなくせに神託者オタクで、イオニアさんのブランドの熱狂的なファンで。髪も装備も真っ黒な、長身の青年剣士。
けれど瞳の色は澄んだ水色をしていて、切れ長な目元と性格とをより涼やかに見せていた。しかし俺は基本クールでありながらも、たまに覗く彼のやわらかな笑顔が好きだった。
きっと以前はそこに、求めていたものを垣間見ていたから。
「カルムッ!!」
俺は久しぶりに友人である彼の名前を叫びながら、声の聞こえた方へと急いで体を向けた。
「剣がないんだ! 装備も……っ!」
「ウェスティン、何をボーッとしてるの! 武器を持つ手に意識を集中しなさい!」
今度は後方から叱咤が飛んできた。師匠だ。
ピンクのツインテ―ルをなびかせ、露出の多い漆黒の軽装鎧を身につけた、居丈高な口調と態度をした女の子。その実、人間としては最高齢で二百歳を超えている。それだけに皆から慕われていて、俺も例に漏れなかった。
「師匠っ!」
なかば泣きそうになりながら、かつての仲間である彼女に呼びかける。
「武器が、俺の武器が無くなって……!」
「ありますよ。そこに」
首を巡らせると、いつの間にか傍らにはエチェットが立っていた。戦いの最中なのにも関わらず、ふだん見せているような穏やかな眼差しを俺に向けている。
「武器なら、あなたの手元にあるじゃないですか」
指し示されたのは、どう見てもマイクだ。
形は地球にあったのと同じものだが、内部には陣と魔法石が仕込まれていて、繋がったスピーカーから声が伝わるようになっている。けれどこれじゃ、鈍器ぐらいにしかならない。
「でもこれ、剣じゃなくてマイク……!」
「それが、今のあなたの武器でしょう?」
ハッとした。
俺の意識に応えるがごとく、色が抜けていくようにして周りを取り巻いていた漆黒の闇が真っ白なスモークへと変わっていく。立ち込める煙のあいだから、期待と興奮が混じったいくつもの視線を感じた。
「がんばれー!!」
「みゃっ!」
前方にあった瓦礫の山はなぜか観客席へと変わっていて、最前列ではユエリスが大きく手を振っていた。足もとにはピンク色のドラゴンが犬みたいにお座りをしていて、彼女と同じようにして嬉しそうにブンブンと尻尾を振っている。
「さあっ、いきますわよ!」
「うん。いっしょに」
両側から頼もしい声が聞こえ、同時にトンと背中を押された。
「いってこい。――セーア」
思わず後ろを振り返り、手を伸ばす。
「とうさっ…………!」
ガッ、と勢いよく手首を掴まれた。
「おはよう。成哉くん」
その口ぶりだけで、誰であるかなんて簡単に分かる。
「………………はよ」
俺の手首を掴んだのは、魔王エルディオでも、ともに旅をしていた頃の仲間でもない。
ウサギの着ぐるみパジャマを着た、元女神様だった。
引っ張られながら体を起こすと、俺はやっぱり七歳のままで、横ではまだチェルとフィノがぐっすりと寝ていた。
ククリアも起きたてといった様子で、目をしぱしぱとさせている。
「ずいぶん壮大な夢を見ていたから、起こしていいものか悩んだんだけどね。彼女たちが目覚める前に、交換しておいた方がいいだろうと思って」
言いながら、壁の時計を示してくる。六時ちょっと前、起き出すには少し早い時間帯だ。
しかし今日は帰る支度もあるし、午後には店に出勤しなきゃいけないのでそう時間もない。俺たちはそっと抜け出し、鏡台とあらかたの化粧品を移してあるククリアの部屋へと向かった。
「……よしっ! 完了!」
化粧も終わり、カバンに詰めていた私服用の衣装に着替える。
小さな薔薇の刺しゅうが散りばめられた、袖が広がったタイプの真っ白なドレス。布製の薔薇で飾られた靴の留め具をパチンと付ければ、これで俺はセーアそのものだ。
「また豪勢な服だね。店に出勤する用事があるのかい?」
特別関心もなさそうに、世間話の延長といった感じでククリアが感想を口にした。その姿はすでに、男物の服を着たウェスティンへと変わっている。
「うん、今日は最後のリハーサルがあるから。仕事がある日は昨日みたいな普通のワンピースじゃなく、イメージ重視の服を選ぶようにしてるんだ。設定遵守ってやつ」
扉に手を掛けながら答えると、ふとククリアが小さな呟きを漏らした。
「心を持ったお人形、ね。…………昔の僕みたいだ」
最後のほうは自嘲が混じっていたので、俺はあえて聞こえていないフリをして、廊下からリビングへと出た。
歩を進めていくうちに、花に似たお茶の香気がふんわりと漂ってくる。キッチンを覗くと、カスタードを詰めたタルトを作っているエチェットがいた。
「あ、成哉くんにククリア。おはようございます」
顔をあげた彼女は、朝の憂鬱な気分などまるで感じさせない朗らかな笑顔を浮かべた。「おはよ」と返事をしながら、俺は彼女の手元を興味津々に覗き込む。
「朝にタルトって珍しいね? いつもパンなのに」
「ほら、成哉くんが持っていたクッキー。あれを生地に使ってみたんです。基本はビスケットなんですけど、クッキーでも応用できるレシピだったので」
「……え」
意外な返答に、呆けた声しか出てこなかった。
みんなで食べようと、お土産として用意していたクッキー。手作りらしく少し歪ではあったが、ウサギにネコ、クマ、それからハートなど、可愛らしく型どりをしていた。それは『女の子らしく』という名目ではあったが、何より、彼女たちに喜んで貰いたかったから。
でも転んでしまったことで、クッキーは無惨にも砕けてしまった。袋の上から触っただけでも分かるほどに。
きっとこれを出したら、気を使わせてしまう。
女に襲われていたシーンを思い出させてしまう。
そう思い、俺はふたりに気づかれないようカバンの奥へと仕舞い込んだ。そしてあとでこっそり食べようと隠し持っていたのだが……。
「勝手に使っちゃってごめんなさい」
言葉を紡げない俺に向けて、エチェットが申し訳なさそうに頭を下げる。
「チェルちゃんとフィノちゃんに食べて貰おうって、一緒に焼いたクッキーだったから。あんなに『きれいに焼けた』って喜んでたのに、何でずっと出さないんだろうって、不思議に思ってて……。襲われた件もあったし、心配になってカバンを覗いちゃったんです。ラッピングまでしたのに粉々になっちゃって、出しづらくなって隠していたんですよね?」
エチェットといいククリアといい、ほんと我が家の女子は何もかもお見通しだ。
カバンに詰める荷物もエチェットと選んだ物だったから、よけいに気にさせてしまっていたのだろう。
「…………ごめん」
「ほら、上に乗せるフルーツ切るのを手伝ってください」
謝罪に答える代わりに、エチェットは両のこぶしを握ってハキハキと告げる。
「明日は本番なんですから。みんなで美味しいタルトを食べて、元気に練習、ですよっ!」
「――うん!!」
大声で返し、急いでエプロンを着込む。
ククリアは「僕まで手伝うのかい?」と不満そうにしていたが、他の支度を任せると愚痴をこぼしながらも律儀にやってくれた。こういうところが彼女らしい。
三人がかりで朝食の準備を終え、いまだに寝ていた二人を起こすと、彼女たちは俺の着替えが済んでいるのを見て驚いていた。
それからユエリスも起こしてリビングへ行き、みんなでフルーツタルトを食べ始める。
「これ、とぉっても美味しいですわ!」
「うん。いっぱい食べたい」
エチェットがこっそりとウインクを送ってくる。俺もアイコンタクトで応えてから、「ごちそうさま」と手を合わせた。
さて、今日は段取りも合わせてのリハーサルだ。
明日はついに広いステージに立つことになる。煌びやかな服さえ無縁だった俺が、人々に応援されながらダンスと歌を披露するんだ。まるで想像もしていなかったが、これが今の俺。
そんなことを考えていると、ふと夢の内容を思い出した。
「それが、今のあなたの武器……か」
手のひらを見る。
前世ではゾンビと戦いながら人生を過ごし、ずっと血まみれのナイフを握ってきた。
こっちの世界に転生し、勇者になってからは剣を。平和を取り戻してからは飾りみたいに腰に提げ、観衆に向けて手を振るぐらいしかしてこなかったが――……果たしてマイクが、今の俺にとっての武器になり得るのだろうか。
「……ま、しょせん夢だしな」
呟き、皿を片付けはじめる。
顔を上げた時に一瞬だけククリアと視線が合った気がしたが、彼女はすぐに目を逸らし、リスみたいに膨らんだ頬をまたもぐもぐと動かしはじめた。




