初めてだらけのお泊り会・後編
支度も済ませて夕飯を終えた俺たちは、本来の目的である歌とダンスの練習を始めることにした。
家族にお泊りの件を伝えた時に『あの部屋を使おう』とあらかじめ決めてあったので、慌てることなくエチェットの案内で、家具類が置かれていない広い地下室へと足を踏み入れる。
「ここ、なんの部屋ですの?」
「鍛錬場だよ。天気が悪くて外で出来ない時とかに、ここで手合わせをしたりしてるんだ」
チェルの問いに答えたのは、依然として爽やかオーラを放っているウェスティンだ。彼はにこりと笑って、壁の四隅に描かれている魔法陣を指し示す。
「防音設備が整っているこの部屋だったら、歌もダンスもし放題だからね。外に響く心配がないから、どれだけ声を出しても平気だよ」
「私たちだけが見れちゃうなんて、なんかドキドキしますね!」
「ねーっ!」
エチェットが壁際に座り、ユエリスを膝上に乗せながら浮足立った表情でこちらを見つめてくる。ウェスティン――ククリアもまた、お手並み拝見といった様子で並び立つ俺たちに視線を送っていた。
……当然、ここに音源などはない。
アカペラで、かつテンポに合わせて踊ることが要求される。正面としての引き立て役は俺でも、左に立つフィノが歌唱力の底上げとリズムの維持を、右のチェルが細やかなパフォーマンスで華を添えるといった各々の役割が、練習を繰り返すなかで自然と出来上がっていた。
目を伏せ、両手をスカートの前で交差させたお辞儀のポーズを取る。
互いに準備ができたのを確認すると、やがてシンと静まりかえった部屋のなかに、フィノの歌声が響き渡った。
「♪ ねえ そばで見ててね? 未完成で弱いわたしを
きみの手にある こころのパーツ そっとはめ込んだら
トクン、トクンッて動きだす ちっちゃなこの気持ち」
年齢に見合わない透き通った歌声に、珍しくククリアが小声で「おおっ」と歓声をあげた。しかし本番はここからだ。
「♪ ねえ 今日のお洋服 ちゃんと似合ってる?
可愛いって言って欲しくて ずっときみを待ってるの
この感情なんていうの? よくわかんないや」
最後にペロッと舌を出し、小悪魔的な仕草をしてみせるチェル。完全にアドリブだが、彼女らしさが垣間見える良いフリだ。
次はいよいよ俺のパート、とても緊張する。
「♪ わたしに教えてほしいの 外の世界のこと
手も足も まだぎこちないの だからお願い
ガラスの箱から 抱いて連れだして」
広げた両手がちょうど正面に座るエチェットへ向ける形になってしまい、顔がカッと火照った。
集中集中、と無理やり自分に言い聞かせて続きを口ずさむ。
「「♪ ピィニア いつでもきみのそばに
きれいに着飾るすがたを いっぱい見て欲しいから
ピィニア たくさんの愛の言葉をかけて
お人形のわたしが あなたと同じになる日まで」」
三人でくるりとターンし、間奏を挟んで二番目を歌い出す。
ちなみにこの歌はピィニア結成が決まった時に真っ先に作られたという、グループ名をそのままタイトルに当てはめた代表曲だ。
ヴァルアネスにはこういうアイドルソングなんかはほとんど普及してなくて、イオニアさんのツテでどうにか作詞作曲ができる人物を捜して作って貰ったらしい。察するに、過去に仕事か趣味でやっていた神託者の誰かに頼み込んだんだろう。
モデル兼アイドルという職業もそうだが、こういった曲もまた、この世界の人々にとっては新鮮に感じられるのかもしれない。
「…………ふぅっ!」
一曲目を歌い終え、次の曲に取り掛かる準備をはじめる。
ライブで披露するのは二曲。意外と少ないが、合間にトークを挟みつつ、写真撮影と握手会でほとんどの時間を使ってしまうらしい。他のモデルも呼んでいるそうなので、イベントとしてはけっこう大規模なものになりそうだ。
二曲目もなんとか歌い切り、合間にユエリスも混ざりつつもう一度通しで練習してから、俺たちは汗を流すために風呂に入ることにした。
「ごめん、二人とも。おトイレ寄りたいから、先にお風呂に行ってて」
チェルたちにそう言い残し、事前の打ち合わせどおり外に出てトイレ小屋の裏手へと回る。
そこにはウェスティンが腕組みをしながらダルそうに待機していた。俺はそんな彼――彼女に詰め寄る。
「おいククリア! 元に戻らないんだけど!?」
「なにが……、ああ」
すっかり忘れていたのか、ククリアは俺の下半身に目を落とした。
「うん。無いね」
「無いね、じゃねえよ! このままじゃ風呂入れないだろ!」
「普通に入っちゃえばいいじゃないか。なにを躊躇しているんだい? 自分の身体だろ?」
この元女神、何を嫌がっているのか分かっていないフリをしていやがる。
「よっ、と」
軽い掛け声とともにセーアとなったククリアは、先ほどから手にしていた濡れ布巾と着替えを手渡してきた。
渋々受け取り、顔をゴシゴシと擦る。化粧を落とし、男物の服に着替えてしまえばいつもの自分だ。……無いものは無いままだが。
「すぐに戻れるよう調整したつもりだったんだけどね。君の精霊を従える力がまだ未知数なように、僕の力もまた、どの程度残っているのかは試さない限り分からないんだ。だからちょっと、加減を間違えたのかもしれない」
飄々とした態度とは裏腹に、口調は少しばかり重たかった。
「それじゃ約束どおり、僕はセーアとしてお風呂に入りに行くから。君は君で何とかしてくれ」
「ちょっ……!」
止める間もなく、セーアになったククリアはスタスタと玄関のほうへと歩いて行ってしまった。
残された俺はとりあえず小屋のなかへ入り、ワンピースとペチコートを脱いで渡された着替えを身につける。それで人心地つけると思ったんだが、よけいにスースーして落ち着かなくなってしまった。
「エチェットおおおおおぉぉッ!!」
すがるものが欲しくなり、リビングへと駆けこむ。
突然の乱入に、本を開きながらゆっくりと食後のティータイムを楽しんでいた彼女はカップのお茶をこぼしそうなほど驚いていた。
「せ、成哉くん? ……どうしました?」
「戻らないんだよ! お風呂どうしよう!」
その言葉に、しばし呆けた顔をしていたエチェットだったが――何を思ったか、ふいにニンマリと口の端を持ち上げた。
「そうですかぁ、しょうがないですねぇ。それじゃあ、私が洗ってあげましょう」
「うんありが…………ん?」
「目隠しをすれば恥ずかしくないでしょう? ちゃぁんと隅ずみまで洗ってあげますから。さあ、入りましょうか」
低い声音で言いながら手首をがっちりと掴まれ、もはや逃げ出せない。
もちろん嫌じゃない、彼女なら大歓迎だ。むしろ元女神様にバレてしまった望みがここで叶うのだと、状況を喜んで受け入れるべきなんだろう。
だけど違う、なにかが違うんだ。俺の望んでいたのはこういうのじゃ――……。
「ごめん。やっぱ一人ではい……」
「なに言ってるんですか、一人じゃ恥ずかしくてろくに洗えないでしょう? 私に身をゆだねていれば大丈夫ですよ。きめ細やかな泡で、優しく、やさし~く包み込みながら洗ってあげますからね~?」
「ひいいいいいいいいいいいいっ!!」
口調も恐ろしかったが何より調味料のごとく体中にすり込まれて喰われるさまを想像してしまい、俺は暴れ馬さながらに彼女から逃げ出そうとした。
その後どうなったのかは……色々あったということで省くとしよう。察して欲しい。
とにかく入浴を終え、よろよろと自室に向かおうとした時だった。
「ウェスティンくん!」
急に廊下で呼び止められ、振り向くとそこにはチェルたちがいた。
それぞれモチーフであるウサギ、ネコ、クマの着ぐるみパジャマを身につけている。貰った覚えがないので、おそらくこの日のためにチェルが用意したのだろう。
「どうしたの?」
「あのっ、一緒に……寝ませんこと?」
チェルがネコ耳のついたフードをいじりながら、少しばかり顔を赤くして尋ねてくる。
「旅のこととか、色々とお訊きしたいこともありますし。できればその……この機会に、お友達になれたらなって……」
可愛らしくモジモジとしているチェルの横で、ウサギのパジャマを着たセーアが恨めしそうにこちらを睨んでいる。まさかこんなのを着せられるとは思わなかった――と言わんばかりの顔だ。
俺も同じく不満を抱いているので、これでお互いさまだ。
彼女にだけ分かるように目線を送り、口を開く。
「俺、こう見えて一応男なんだけど……。女の子同士の輪に入っちゃっていいのかな? 邪魔になっちゃったりしない?」
物凄く今さらな質問だし、不本意にも体は女のままなのだが、これは俺の本心でもあった。
緊張しながら答えを待っていると、チェルが慌てて首を振り、こちらに取りすがってくる。
「邪魔だなんてそんな! むしろ、お誘いしてもいいのかと……」
「行こ」
言葉を選んでいるチェルをよそに、フィノが手首を掴んでグイグイと引っ張ってくる。
かなりの人見知りなのに、今回に限ってはすごい行動力だ。どうしたんだと驚いていると、急に目を合わせてくる。
「さっきはチャラチャラしてると思ったけど、君とはなんだか初対面の気がしないから。だから、仲良くしよ」
「えっ? う、うん」
少しヒヤリとしたが、あのフィノが積極的に絡んできてくれることが嬉しかった。
そのまま客間に入ろうとしていると、傍らで静観していたセーアがおもむろに表情を取り繕い、チェルたちの前で意味ありげに人差し指を立てる。
「だったらさ。せっかくだから、ウェスティンくんのお部屋で寝させて貰おうよ。客間からお布団持ってきて、四人で。ね?」
なにが『ね?』だ、絶対嫌がらせで用意していた提案だろ。
そう言い返したい気持ちでいっぱいだったが、ウェスティンとセーアは初対面という設定なので自制する。
「男部屋って感じの、なんにも無いとこだけど……。それでもいいなら」
さらりと嘘をつきながら、自室の扉を開ける。
そこらじゅうに置かれていたファンからのプレゼントであるぬいぐるみも、化粧品も小物も鏡台も、何もかもがなくなった、セーアになる前の殺風景な部屋がそこにはあった。
「わあ……。ほんとに何もない」
セーアがやや棒読みぎみに口にする。
部屋にあった物のほとんどはククリアの自室に移させて貰ったので、そういう理由もあってわざと言ったのだろう。
「あ、この装備品! 旅に出ていた頃の物ですわよね!?」
視線を巡らせていたチェルが、壁に掛けてあった服に目を留めた。
三年前、四歳だった頃に着ていた装備だ。当時は少し大きくて丈を調整していたが、成長期である今はさすがに着れなくなっている。
「小さくて可愛い。こんな歳の頃に魔王倒したの?」
フィノの問いに、俺は少しばかり遠い目をしながら答えた。
「うん。けど……仲間も強い人ばかりだったし。俺だけの力じゃないよ」
最終戦の地であるモルダットを目指しての旅は、最終的に六人と一匹になり、頼もしいメンバーが揃っていてもかなり過酷なものだった。けれども、それまでに同行してくれていた仲間たちが、みんなの想いが。俺たちを心から支え、強くしてくれた。
「辛い時ももちろんあったけど、あの旅路のなかで俺、色んな人と知り合えたんだ。今でもお世話になってる人たちが大勢いる。だから……守りたいんだ、この世界を。みんなを」
少し色あせてきた生地を撫でていると、両隣にチェルとフィノが立った。
「わたくしも微弱ながら、お力になりたいですわ」
「うん。何が出来るかは、分かんないけど」
その言葉に、今は俺自身であるはずなのに、二人の手を取って胸を張りたい気持ちになった。
ガラス越しの声援があの日、世界中から聞こえてきた声と被る。頑張れ、絶対に負けるな、平和を取り戻してくれるって信じてる。
受け取った言葉によって伝わる熱は、今も昔も変わらない。
「そのうち分かるんじゃないかな?」
背後にいるセーアが呟いた。
「きっと君たちの前にも、時はやって来るから」
「……セーア、ちゃん?」
「なーんて。役者のお仕事まで来るぐらい有名になったら、セーアたちも世界変えられちゃうかもね」
チェルの疑問の声に、彼女はわざと明るく答える。
けれど俺の目に一瞬だけ映ったのは、セーアのものでも、いつものククリアのものでもない。
女神だった頃の彼女の笑顔が、そこには確かにあった。
それから四組の布団を部屋に敷き詰め、俺たちは身を寄せ合いながら夜を過ごした。
ほとんどがせがまれるままに話し始めた旅の思い出話だったが、二人は興奮しながら聞き入ってくれた。
寝息が聞こえだしたのはラストの辺りで、俺もあくび混じりに二人の寝顔を見つめる。年齢相応にあどけない顔だ。
「良い子たちだね」
ふいに起きていたククリアが呟いた。
セーアの見た目だが、表情が彼女らしい大人びた雰囲気を纏っている。
「……僕、彼女たちのこと好きだな」
「お前ももう友達だろ?」
言い返すと、手にあごを乗せた姿勢になりながらククリアは笑った。
「君はウェスティンとして改めて友達になれたけど、ククリアとしての僕は彼女たちの目には映っていない。存在が認識されていないんだ。それはちょっと、寂しいから……いつかちゃんと、二人と友達になれたらいいな」
照れ隠しか、言い終えるよりも先にモゾモゾと布団へ潜り込んでしまう。
俺はその横にある膨らみに向けて、小さく呟いた。
「お前の望みは、俺が叶えるよ。…………姉さん」
言った拍子に布団の端からセーアではなく、真っ赤になったククリアの顔が覗いた。
「なんだよ、もう。ふだん絶対言わないくせに!」
「女にされた仕返し」
小さく笑いながら、布団に潜り込む。
横から何度かローリングアタックを喰らったけど、疲れからか俺はすぐに寝入ってしまい、攻撃もすぐに止んだ。




