初めてだらけのお泊り会・中編
「もしかして、成哉くん……」
周りに聞こえないほどの声量で呟くと、彼女は急に目の前でしゃがみ込んだ。ちょうどつむじが見下ろせるぐらいの位置で、上目遣いにジッと見つめてくる。
あまりにも真っ直ぐな眼差しに、俺は状況も忘れて若葉色の瞳に魅入られてしまっていた。おそらくはたった数秒、体感的にはその倍に感じるほど、互いの視線は絡みあったままでいた。それからゆっくりと、相手の視点が顔から足先へと移っていく。
「本当に、セーアちゃんになっちゃいました?」
まじまじと眺めながら問いかけられ、俺は少し目を逸らしながらも控えめに頷いた。他の人なら誤魔化すところだが、彼女相手に嘘をついてもどうせバレてしまう。
「……ついさっき、ククリアにやられた」
「なるほど」
その説明だけでおおかたの事情は察してくれたのだろう。おもむろに立ち上がると、エチェットはニットワンピースの裾をはたきながら壁際にある椅子を示した。上になにやら白くてヒラヒラした布が置かれている。
「それじゃあセーアちゃんも、そこにあるエプロン着けてくださいね。お洋服汚しちゃうといけませんから。これからサラダを作るので、まずはお野菜をちぎるのを手伝って……」
「いやいやいやいやっ!? 彼氏が同性になってんだぞ、なんでそんな反応薄いの!?」
そのままナチュラルに進めようとしているので、反射的に突っ込まざるを得なかった。もちろん小声ではあるが。
「え? だって……」
普段となんら変わらない態度のまま、エチェットは後ろでカトラリーやカップなどを並べているチェルたちのほうを確認してから、顔を寄せてこっそりと囁く。
「私が好きなのは、成哉くんの人間性というか……魂そのものですから。たとえあなたがちっちゃな精霊になっちゃったとしても、本当の女の子同士になっても。今までと変わらずに愛せますよ? ほら」
言う間に腕が伸びてきたかと思うと、胸の中へと深く抱き締められた。互いの体が密着する感覚に、いつも以上に敏感になってしまっている気がして顔が熱くなる。
そのまま動けずにいると、首筋にちゅっと吸い付く感触があった。
「ちょっ! なにして」
「ククリアから聞きました、道中でのこと。……私もう、誰かに成哉くんを奪われたくありません。あの時みたいな思い、二度としたくない」
あの時、というのは……俺が精神世界で女の姿にされ、蟲を生産するための装置として――母さんの代用品として、エルディオに利用されそうになった時のことを言っているんだろう。
「……だから。他の人なんて入り込む余地がないぐらい、成哉くんが無意識に私を求めちゃうぐらいに、身も心もいーっぱいにして、『コイツじゃなきゃ満足できない』って体にしてみせますから」
エチェットは俺を抱き込んだ姿勢のまま、今度は耳たぶに優しくキスを落とした。
「い、言ってること怖い……」
言い返しながら、なんとか自我を保とうとする。しかしやわらかい部分に触れてくるくすぐったさが、唇を離した瞬間の湿った音と息づかいが。奥へ奥へと侵入し、直接的に脳髄を犯してくる。
「もう絶対に、忘れさせたりしませんから」
呟かれた瞬間に覗いた、薄桃色の舌を目にして胸が勝手に疼きだす。
さっきの怖い女にされたことを、もしも彼女がやっていたなら。同じことをされてもきっと、あの時に感じていた痛みさえ――……。
「え、ちぇっ……」
……君はまだ、知らないかもしれないけど。
俺はもうとっくに、エチェットなしじゃいられないんだ。君じゃなきゃダメなんだ。だって女の体になっても、こうして全身が叫んでる。君がいいんだって。
他の誰かじゃイヤなんだって。
「……も、いっかぃ――」
熱に浮かされ、うわ言のように口にした瞬間。
棚の陰から「きゃっ♡」という黄色い悲鳴があがり、そこでようやく俺は今の状況を思い出した。完全に理性が飛んでしまっていた。
慌てて声がしたほうを見れば、チェルとフィノが身を隠すようにしてこちらを窺っている。
「き、気にしないで下さいませねっ!!」
視線に気づくとチェルは白い頬を紅潮させ、興奮から息を荒げながら叫んだ。透き通った紫の瞳が、これでもかというほどに爛々と輝いている。
「わたくしたちはこうして棚と一体化していますので! どうか居ないものと思って続きを、さあご遠慮なく!」
「どーぞ、どーぞ」
フィノまで手で促してくる。こちらはいつもの真顔だったが、やはり瞳の内に興味が表れていた。
モデルという職業柄、まだ子供とはいえ他人の恋愛事情を覗き見するぐらいにはおマセらしい。
「そうですか? じゃあお言葉に甘えて」
「コラああああああああッ!!」
エチェットが顔を近づけてくる。
真顔なのと、場の異様な盛り上がりもあって冗談なのか本気か分からない。
「思わず流されちゃったけど! そっ、そんなこと人前で出来るわけないでしょ!」
しかも子供の目の前だしと、さっきまでの言動を棚に置きながら説得を続けようとした時。
「でもセーアちゃん、『もう一回』って言いましたわ! 確かに『もう一回』って! ねえフィノ!?」
「うん言った。かわいかった」
その子供にデッドボールを喰らい、俺は「ぐはっ!」と胸を押さえながらへたり込んだ。
無意識下で口にしたことだったが、二人の証人がいればもはや言い逃れはできまい。
「ですわよね!? あの時のセーアちゃん、どのお写真よりも色っぽかったですわ! あれがエチェットお姉さまにしか見せない表情なんだと思うと……きゃあああああっ、なんだか興奮してきちゃいますわああああ!!」
「これが、おとなの恋……」
両手を振り乱すチェルの横で、フィノがポッと頬を赤らめる。
すでに取り返しのつかない状況になっていると理解してはいたが、それでも俺は諦めていなかった。
「だ、だからエチェットお姉ちゃんとは恋仲とかじゃなくて! あくまで妹分だって……!」
「じゃあ何でセーアちゃん、あんなに物欲しそうな顔してましたの?」
「げふぅぅッ!!!」
再び死球を喰らい、俺は砂になって地と一体化した。
HPを根こそぎ削られ、もはや起き上がる気力もない。それでもご飯を食べれば回復するはずと、支度のためによろよろと立ち上がろうとした時だった。
「ただいまぁーっ」
玄関のほうからチェルたちよりも幼くあどけない声が聞こえ、パタパタと足音が駆けてくる。
やがて顔を覗かせたのは、金色の短いツインテールに翠の瞳をした、この状況を打開するために神様がつかわした天使……のように可愛い、五歳になる俺の義妹・ユエリスだった。
「おにーちゃっ……!」
ユエリスは俺の姿を認めるなり大声を上げかけ、しかし何かに気付いたのか口をつぐんだ。すぐに言い直す。
「セーアちゃん!」
「よーしよしよし」
いい子だいい子だ、と両手を広げる。ユエリスは真っ直ぐにこちらへ突っ込んでくると、嬉しそうに胸元へと顔を押し付けてきた。かと思えばふと顔を上げ、
「いつもとちがう」
と、わずかにトーンを落とした声音で言った。
たぶん女の子になっているから体に触れる感触とかが違ったんだろうけど、この年齢にして勘が良すぎる、と少しドキリとしたのは内緒だ。
「まあっ、この子とお知り合いですの? セーアちゃん」
可愛い子ですわね、とチェルが覗き込んでくる。
話題は無事に逸らせたらしい。ほんとユエリスには助けられてばかりだ、あとでたっぷりと頭を撫でてあげないと。
「うん。勇者ウェスティンの義理の妹で、ユエリスっていうの。まえエチェットお姉ちゃんと一緒の時に、会ったことがあって。……ね?」
同意を求めてエチェットのほうを見ると、意図を汲んでくれた彼女は軽く頷いた。
「ええ、この子ってばセーアちゃんを気に入っちゃったみたいで。ほらユエリス、セーアちゃんのお友達ですよ。ご挨拶は?」
頭を撫でながら促され、ユエリスは少しだけ緊張した面持ちでチェルたちに向きなおり、元気よくお辞儀をした。
「はじめ、ましてっ! えと、ユエリス・オザキです! 五歳です!」
「チェルシエール・ノイ・エイデンベルクですわ。セーアちゃんたちには『チェル』って呼ばれていますの。よろしくお願いしますわね」
「フィノ。フィノール・オルシスタ。よろしく」
代わるがわるユエリスの頭を撫でている二人。
ユエリスもご満悦の様子で頬をゆるめていたが、ふと二人の着ている服に興味を抱いたのか、目を留めた。
「おねーちゃんたちも、セーアちゃんとおんなじ『お人形さん』なの?」
「うん。そういう設定」
「コホン。……フィノ?」
たしなめるような視線を送るチェル。そういうのは子供の前で話すものじゃありませんことよ、と目が語っている。
もうひとつ小さな咳ばらいをし、彼女は紫色の薔薇が散りばめられた黒いドレスの両端をつまみ、優雅に一礼してみせた。
「セーアちゃんが寂しくならないようにと、人形師さんが作ってくれたお友達。それがわたくしことチェルと、フィノなんですの。今では三人で、ショーウィンドウに並んでいますのよ」
「しょー、うぃどー?」
難しい単語に、ユエリスが首をかしげる。
「ガラスのお部屋で、フィノたちの居場所。通りを歩くお客さんがいっぱい見て行ってくれるの」
フィノの言葉に、チェルもまた笑顔を浮かべる。
「日によっていろんな飾り付けがされていて、とっても見応えがある素敵な場所なんですのよ。ね、セーアちゃん?」
「うん。スタッフさんたちが毎日デザインして飾り付けてくれてる、セーアたちだけのステージなんだ。前にクマさんがいっぱい置かれてるの見たことあるでしょ? あそこだよ」
「あっ!!」
思い出したのか、ユエリスは両のこぶしを握り締めて叫んだ。
「しってる! キラキラしてた!」
「でもわたくしたち、これからもっとキラキラした場所に立つんですのよ。そのために、今日はダンスと歌の練習をしに来たんですの。良かったらあとで一緒にやりませんこと?」
「やるーっ!!」
ぴょんと跳ねて、チェルのドレスにしがみ付く。どうやら無事に二人にも懐いたみたいだ。
今夜は賑やかになるな……なんて思っていると、玄関のドアが開いて俺の性別を指先ひとつで変えやがった悪魔、じゃなくて元女神様がやって来た。無駄に爽やかな顔をしながら。
「いやぁ、小屋の建て付けが悪くて。危うく締め出されるところだったよ、怖い怖い」
なんて言いながら「どっこいしょ」とソファーに座り込んだ。俺はそんな掛け声をしないし、足も組まない。
「へぇー。さっきセーアが入った時には簡単に開いたんだけどな。おかしいね?」
「本当にね。誰かさんが乱暴にガチャガチャしたのかも」
「え、だれ? こわーい」
お互いにニコニコと話し合っていると、なぜかエチェットのほうが気まずそうに咳ばらいをし、俺の皮をかぶったククリアを示した。
「ええっと。……こちらが、勇者ウェスティン・オザキです」
「どうもー。はじめまして、ウェスティンです。まさかうちにモデルさんが三人も来てくれるだなんて。しかも生で歌とダンスまで見れちゃうなんて、嬉しいなぁ。お金払ったほうがいいかな?」
足を組んだ姿勢でひらひらと手を振っているウェスティンもどきを見た二人が、俺の耳元で囁く。
「なんか、思ってたイメージと全ッ然違いますわ」
「チャラチャラしてる」
「きっ、キンチョーしてるのかもよ? 落ち着いたら、元に戻るんじゃないかな。……たぶん」
たぶんじゃない、この女神似せる気ゼロだ。早急に戻ってカバーしないと、俺の株が大暴落してしまう。
体のこともあるし……とりあえず今は、夕飯の準備か。それから練習になるから、ええと……。
「あっ、オーブンッ!!」
ようやく存在を思い出したのか、エチェットが慌てて備え付けのオーブンを開く。
とたんに広がった香りからして中身は無事だったみたいだが、大声のおかげで纏めていた思考がまっさらになってしまった。同じぐらい白いエプロンを身につけながら、俺は小さくため息をつく。
まったく、今日はイベント尽くしだ。
下手すりゃライブよりも忙しいかもしれない。俺の発案とはいえ、身が持つだろうか。不安になるばかりだ。




