初めてだらけのお泊り会・前編
元気な返事に微笑みを見せ、父さんは昏倒したままの女を肩に担ぎ上げる。
「よっ、と」
そのまま歩き始めたが、見ているこちらとしては思わず冷や冷やしてしまうような光景だった。なにせ露出が多いせいで女の着衣が乱れ、かなりきわどい状態になっている。
しかし開いた胸元にもピチピチなスカートにも目にくれず、そこら辺に落ちていた荷物を回収するかのごとく片腕で易々と持っていく父さん。
こんな男にも妻がいたというんだから、その出会いがどれほど運命的だったのかは言うまでもない。……俺が産まれた運命に感謝だ。
なかば呆れぎみに遠ざかる姿を見送っていると、ふとスカートに隠れて今まで見えなかった、女の太ももに刻まれた大きな入れ墨が目に入った。
――火を持った、手だろうか。
横向きのおわん型になった手に、なにやら火の玉みたいな形をしたものが乗っかっている。ファッションというよりも、海外とかの宗教的なものを感じるデザインだ。他の国の出身なんだろうか。
「セーアちゃん、荷物を……って、大変! カバン壊れてますわよ!?」
チェルの大声に、そういえばと女に向いていた意識が引き戻される。
荷物は路上に散らばったまま、トランクは金具が壊れて閉まらないという最悪な状態だ。ピュティシュ・アルマで買うという選択肢もあるが、俺たち三人が現れれば、店内が凄いことになって休みどころではなくなってしまうだろう。
他の店で買おうかと考えていると、フィノが自分のカバンをゴソゴソと漁り、薄い生地のボストンバッグを出してくれた。
「もうひとつカバン持ってきてたから、セーアちゃんに貸してあげる」
「わあっ、ありがとうフィノ! すごく助かる!」
両手を握りながら感謝の意を伝えていると、後ろから「わたくしだって!」と対抗するような声が聞こえてきた。
振り向くと、チェルが自信満々に化粧ポーチから何かを取り出して掲げている。
「こーんな物を持っていましてよっ!」
それは薄緑色の液体が入った、おしゃれな形の小瓶だった。
一瞬香水かなと思ったが、蓋を開けた時の青臭さにこれが回復薬だと気付く。しかも一般家庭の救急箱に入っているような安い代物ではない、ちょっとお高めなやつだ。
「いいの? 貰っちゃって」
「もちろん。お兄様が薬の研究者でして、わたくしを心配していつも持たせて下さるんですの。……さ、傷を見せて下さいませ。手当ていたしますわ」
チェルは笑顔でそう言うと、小瓶の中身をレースのハンカチへと染み込ませた。優しい手付きでそれを、ハイソックスの破けた部分からのぞく傷口へと押し当てる。
「沁みませんこと? 痛かったらちゃんと言うんですのよ、セーアちゃん」
「うん。ありがと、チェル」
上目遣いの問いかけに、俺は先ほどまであった恐怖や動揺があっという間に抜けていくのを感じていた。
女に舐められた傷口をチェルが薬で癒してくれて、手形がつくほど握られた両の足首を、フィノが擦ってくれている。
全身がポカポカと温かい。
きっとこれは、薬の効能のお陰だけではないだろう。
「ふたりとも。助けに来てくれて、ありがとね」
自然とこぼれ落ちた言葉に、チェルとフィノはごく当たり前かのように頷いた。
「友達ですもの」
「うん。それに、これから勇者様とも友達になれるから。だからセーアちゃんがまた変なのに狙われても、だいじょーぶ。倒してくれる」
フィノがぐっと拳を握りながらそんなことを言っているが、その襲われたのが勇者様であるという事実は…………うん。今は、考えないでおこう。
「それにしても、危ない人でしたわよね」
路上に散らばっていた荷物を三人がかりで回収し、俺たちはおしゃべりをしながら隣町にある勇者様の家へと向かっていた。
俺としては来た道をただ戻っているに過ぎないんだが、両隣にふたりがいるのが新鮮で、いつもの道さえなんだか違った雰囲気に感じる。
喫茶店の窓から見えるアンティークなランプ、冒険者が入り浸っていそうな小さな酒場、怪しい店構えの魔法道具屋。
その隣にある民家の窓ぎわに置かれている手作りの人形に目を引かれていると、安堵と不安が入り混じった、複雑なため息が耳に届いた。
「見た時は本当にゾッとしましたわよ。セーアちゃんの首を締めながら大声で叫んでいましたし、あれって……」
口にするのを嫌がるように、目だけで続きを尋ねてくるチェル。
俺は首を振って、怖がらせないためにあえて明るく返した。
「殺すとかそういうのじゃないよ。セーアが年とったり死んじゃったりするのがイヤだったから、魔法を使って本物のお人形にしようとしてたみたい。でも『そういう魔法は人に使っちゃダメなんだよ?』って怒ったら、あのひと急に怖くなって。おまえセーアちゃんじゃない、ニセモノだー! って。それで」
多少の嘘をまじえながら説明すると、チェルが納得した面持ちで頷いた。
「なるほど。『かいしゃくちがい』ってヤツですわね?」
一体どこからそんな言葉を覚えたんだろう。いまハマッているという、例の本からだろうか。
フィノも表情は控えめながらも、怒っていると分かる程度に両の頬をぷっくりとさせていた。
「セーアちゃんがほんとのお人形さんなんかになっちゃったら、おしゃべりもお散歩も、いっしょにお買い物だって出来なくなっちゃう。それ、すごくイヤ」
「まったくですわ!」
二人ともプリプリと怒ってはいるが、おそらく人形にされたあとどのような目に遭うのかは想像できていないのだろう。……どうか、知らないままでいて欲しい。
俺も正直考えたくはないが、『あなたのために石化魔法を習得した』とか言っていたから、どこかに飾ろうとしていたのは間違いないだろう。服について文句を言っていたから、もしかしたら着替えもさせられていたかもしれない。
そうしたら当然、ヒミツがバレてしまうわけで……。
「どうしましたの、セーアちゃん。お花摘みですの?」
とつぜん股間を押さえ、内股の姿勢になった俺にチェルが心配そうに尋ねてくる。
あれだけセーアを神聖視していた女だ。下手をしたら砕かれるかも――なんて思ったら、大事なところがヒュッと縮みあがっただなんて。とてもじゃないが言えない。
「う、ううん。だいじょーぶ。ガマンできる」
「もうちょっとでおうちに着くから、そしたらおトイレ借りよ。ね?」
「ん、うん。おトイレ借りる」
フィノの慰めに、全身を小刻みに震わせながら頷く。
あの女が首を絞めてきた時と同じ表情で、『セーアちゃんにこんなものいらないわあぁぁァッ!!』と握ったハンマーを振り上げてくる姿を想像したら、恐怖が再び蘇ってきたうえ、なぜか言い訳で口にしていたはずの尿意まで襲ってきた。
砕かれてたまるかという、息子からの全力の訴えかもしれない。
色々とパニックになりながらも、やっと我が家……ではなく、お呼ばれしていた勇者様の家にたどり着く。
ピュティシュ・アルマのお店があるウッドリッジのお隣の町、プレナントで二番目に大きい、立派な赤い屋根の家。
「ちぇ、ちぇる。……どあ、を……」
「ごめんくださいですわーっ!」
もはや手も使えない俺の代わりに、チェルが急ぎ気味に玄関扉の丸い輪っか――ドアノッカーをカンカンと叩く。
「はぁーいっ!!」
元気な返事とともに顔を覗かせたのは、すでに冒険者の仕事を終えて帰ってきていたエチェットだった。夕飯の支度中だったのか、栗色の長い髪を毛先で束ね、アイボリー色のニットワンピースの上にエプロンを身につけている。
「あっ、三人ともいらっしゃいませ! 勇者様の家にようこそーっ!」
ややわざとらしい紹介を口にした直後、ようやく俺の様子がおかしいことに気付いたらしい。彼女はハッとした表情になると、急いで外の小屋を指し示した。
「おっ、お手洗いはそこですので! えぇと、あの、てっ、手伝いましょうか!?」
「いらないッ!!」
たぶん精一杯のフォローをしようとした結果だろうが、大声で拒みながらトイレへと駆け込む。
――約二分後。さっぱりとした気分でドアを開けると、腕を組んだ姿勢で薄ら笑いを浮かべているウェスティン……こと、ククリアが目の前に立っていた。
「おやおや。あの人気美少女モデルのセーアちゃんともあろう者が、勇者様の家にお呼ばれして真っ先にお花摘みとは。まったく、顔を真っ赤にしながら小鹿みたいにプルプルと震えちゃって。だらしがない」
「言うな」
俺の顔と声をしているくせに挑発的なことを言ってくるものだから、いつもの倍ぐらいは腹立たしい。
「ていうかお前、俺が襲われたの知ってるだろ。真っ先にかける言葉がそれか?」
毒づいてやると、ククリアは肩をすくめた。
「ああ。危うくお人形か石像にされて、あのお姉さんのコレクションにされちゃうところだったね。でも僕が伝えるよりも先に、雄大がすっ飛んでいったから。ま、大丈夫だろうなって」
「軽いな……」
ククリアならびに神様を馬鹿にされた気になって、あんな場で言い返してやったというのに。完全に首しめられ損じゃねえか。
口の端をヒクつかせる俺を見て、ウェスティンは彼女と分かる皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「無事に帰ってきて何よりだよ、成哉くん」
それから芝居がかった動きで右手を差し出し、
「改めて俺の家にようこそ、セーアちゃん。まずはお友達が待ってるリビングに案内しようか?」
と、七歳児のくせしてホストみたいな態度で爽やかに告げた。
姿は完璧に写し取れても、言動までは似せられないらしい。……いや。コイツのことだから、そう出来たとしてもわざとやってる可能性があるけど。
「あれぇ? セーアの聞き間違いかなぁ。ウェスティン君、そんな口調だったっけ? 全然似てねーぞおい」
セーアの声といつもの営業スマイルで突っ込んでやると、向こうも負けじとにこやかに返してきた。やっぱりわざとだ。
「えぇ? そうかな。君の反応がおもしろ、いや可愛いからじゃないかな?」
「そんなチャラいこと言わないよぉ。ホントやめろ、チェルたちの前で俺のイメージ崩すな」
「上げてあげてるんだけど?」
「下げてんだよ」
こそこそと話し合っているうちに、玄関ドアが開いてチェルとフィノが顔を覗かせた。
「セーアちゃん、もう大丈夫ですのー!?」
「あれ、勇者様もおトイレ?」
フィノが何気なく問いかけてきたので、俺はここぞとばかりに言ってやった。
「うん、そうみたい! これから入るんだって!」
どうだ困るだろうと見返してやると、ウェスティンは口元だけで笑い、俺にだけ分かるように囁いた。
「残念だけど、僕はそれほど抵抗ないから。恥ずかしい思いをするのは君だけだよ、セーアちゃん?」
意味ありげにこちらの体をチョンとつついて、ウェスティンはそのまま涼しい顔でトイレへと入っていく。
しばらくの後、異変に気付いた俺は全力でトイレ小屋の扉を叩いていた。
「これ戻してっ、急がないと風呂の時間になっちゃうから! 早く戻して! 戻せ今すぐ! ここ開けろおおおおおッ!!」
「え~? 急かされると出るものも出ない……」
「出そうとしてないくせにいいいっ!!」
壊さんばかりにドアノブをガチャガチャさせているのに、向こう側からは相変わらず呑気な返事しかかえってこない。
「セーアちゃん、どうしましたの? 具合でも悪いんですの?」
「お夕飯のしたく、はじまってるよー」
なかなか戻らないからか、今度はリビングの窓から顔を覗かせた二人が再び呼びかけてくる。
「ほら呼んでるよ。行ってきなよ」
「うううううっ……!」
促され、仕方なしにトイレから離れる。
その時、扉越しにほんの小さな声が聞こえてきた。
「風呂までにはギリギリ戻れるだろう。たぶん」
「たぶんはいらない」
恨みを込めて呟きながら、俺は可哀想なぐらいあっさりと姿を消してしまった相棒を憂いた。
あんなに砕かれまいとしていたのに。イタズラの犠牲になるだなんて、まったく可哀想なやつだ。
心もとない体を引きずりながら、リビングへと顔を出す。
すでに料理はあらかたが並べられていて、チェルとフィノも支度に加わっていた。オーブンの前で焼き上がりを待っていたエチェットが、俺の姿に気が付いて嬉しそうに駆け寄ってくる。しかしすぐに、「あれ?」と言いたげに小首を傾げた。




