嵌められた勇者
たった四歳にして、魔王から世界を救った勇者。
それがいまの俺、ウェスティン・オザキが持つ経歴だった。とはいえそんな、字面から想像するような輝かしいものでは決してない。
小さいなりに足掻き、周りに助けを乞い。血をにじませ、汗と涙をだくだくと流しながらもようやく叶えた平和だ。
けれど事情を知らない者の多くは、畏敬の念を込めてその名を口にする。
彼はまさに、歴史に刻まれるにふさわしい光の勇者であった――……、と。
「まったくもって、不相応な扱いだと思うんです。自分で言うのもなんだけど」
「ほんとに『なんだけど』、だな」
俺の言い分に、対面に座る黒革ジャケットにツンツン頭、ダメージパンツのスタイルでバッチリときめた男性は苦笑いを浮かべた。
イオニア・バーンズ。英雄としての先輩であり、これから俺をモデル道へ突き落と……もとい、導いていくきっかけとなった人物だ。
彼はテーブルに置かれていたメニュー表を手に取ると、開いたページに軽く目を走らせる。
「なんだ。悩みがあるなんて言ってたけど、愚痴のたぐいなのか?」
「いや、そのぉ……勇者稼業が、思ったよりも暇でですね。仕事が入らないので、なんか紹介して貰えたらなー、なんて……」
顔を上げたイオニアさんは、ちょっと困ったように眉根を寄せた。
「お前いま、何歳だっけ?」
「六歳です」
「あのなぁ。そんな年齢の子供に斡旋してやれる仕事なんて、そうそう無ぇよ。同じ年齢のやつは実家の稼業を手伝ったり、学校に通える年齢になるまで独学で勉強したりしてるもんだ。てか、式典とかイベントとかにお呼ばれしてるんだろ? それで充分じゃねぇか」
「だってなんか、単なるお飾りみたいじゃないですか」
下を向いて、何とはなしに目に付いた紙ナプキンを折り始める。
この一連の行動も、口にした言葉も。すべて目的なんかない、ふわふわした思い付きだ。
それがなんだか、余計にみじめだった。
――世界を滅亡の危機から救ったいま、勇者はほぼ無用な存在と化していた。
もちろん世間では、まだ持ち上げられてはいる。
銅像を作ろうなんて話も出ていると聞くし(やめてくれと言ったのだが事が勝手に進んでいた)、グッズや書籍なんかも、本人のあずかり知らぬ所でどんどこと売られている。けれど人気が高まる一方で、勇者としての存在意義は薄れていくばかり。
大抵のモンスター退治なんてその辺の冒険者でも事足りてしまうし、魔王なんて存在がそうポンポン生まれてくるわけでもない。
ましてや此処、ヴァルアネスは俺や目の前にいるイオニアさんのような転生者があちらこちらにいて、個々の能力によって各地を統治しているような世界だ。
なにか起こっても彼らの手ですべて済んでしまうので、勇者としての仕事なんてほんの一握り。
年齢上の規制もあって冒険者ギルドから仕事を斡旋して貰うこともできないし、もう庭で畑でも耕そうか……なんて考えすら、湧いて出てくるような状況だった。
「つまりお前は、他になにか充実感を得られる仕事がしたい、と」
ひとつ頷いてから、彼は再びメニュー表に目を落とした。数秒置いて、スッと手が掲げられる。
近くを歩いていた獣人族のネコ耳ウェイトレスがそれに気付き、すぐに駆け寄ってきた。
「メニューお決まりですかにゃっ?」
「コルデノ茶と、当店おすすめサンドイッチ。あと、お子様ランチも」
「ちょっ!」
とっさに制止の声を上げたのだが、彼女は手早くメモをとると「しばらくお待ち下さいにゃ~ん♪」と鼻歌でも聴こえてきそうな軽やかさで厨房の奥へと引っ込んでいってしまった。
ギッと対面のイオニアさんを睨み付ける。「おぉ怖」彼はふざけて肩をすくめから、あっけなく表情を戻した。
「気持ちが焦ってんだろうよ。あんな大役を無事に務めたんだ、お飾りなんてとんでもねえ。学校に通えるようになるまで暇つぶしてても、誰も文句なんか言わねえって」
「け、けど……」
「おおかた、家で独りぼっちなのが嫌なんだろ?」
「ぐうっ!」
図星をさされてしまい、俺は押し黙った。
「やっぱりな」とでも言いたげに、彼はわけ知り顔で頷く。
「お前以外はみーんな、他に仕事とか各々の役割があるもんなぁ。冒険者に看護魔法士見習い、世界の復興。特に最後のなんて、手伝おうにもやらせて貰えねえだろうし」
「うぐぐぐぐぐぅっ……!」
痛いところを突きまくられ、胸を押さえているしかない。
このひと飄々としているようでいて、意外と洞察力があるんだよな。だからこそこうしてたまに、相談に乗って貰うんだけども。
「俺も手伝うって言ったら、父さんにも師匠にも『これは自分の役目だから』って言われちゃって……。俺ばっか暇してるし、何していいか分からないしで……」
「なーるほどなーるほど。確かにそりゃあ、焦っちまうわな」
「でしょうっ!?」
思わず身を乗り出した瞬間、「お待たせしましたにゃ~ん♪」とさっきのウェイトレスがやって来た。テーブルに料理が並べられていく。
俺の目の前に置かれたのは、ケチャップライスの山に旗が刺さったお子様ランチのプレートだった。ハンバーグに小さめにカットされた野菜、尻尾の形が違うけどたぶんエビフライ。プリンまで付いているのが嬉しい。
添えられた幼児向けのフォークを手に取った時、軽いため息が聞こえた。
「……わかった。なんかあったら紹介してやるよ、お前に合いそうな仕事」
「本当ですかっ!?」
再び立ち上がった俺に苦笑して、イオニアさんは手ぶりで座るよう促す。
「おう。だから安心して、しばらく暇してろ。勇者様」
そんな会話があったのが、たしか二か月ほど前だったかと思う。
あの時は愚痴を吐きたい気持ちが大半だったので、申し訳ないが会話の内容自体を忘れていたのだが――彼は確かに、約束どおり見つけてきてくれた。
策略と、仲間の裏切りをもって。
「……なにが、起きてるんだ……?」
呆然と呟くしかなかった。
状況が理解できない。さっきまで俺は、服屋の店内を歩き回っていたはずだ。それがどうしてフリッフリの女児向けドレスを着させられて、こんな場所で座らされているんだろう……?
正面にある大きな窓からは、興味本位で覗いていく人々の姿が見える。
本来はマネキンが置かれているべき場所だ。そこに人間、しかも子供が収まっているのが物珍しいのだろう。ガラスに阻まれてくぐもってはいるが、ちらほらと戸惑いの声が聞こえてくる。
「人形じゃ……ないよな?」
「まばたきしてるから、人間だと思うけど……。それにしても綺麗な子だな……」
「なんでマネキンじゃないんだ?」
「機械人形とかだったら怖いんだけど。ほんとに人間だよね? ね?」
無遠慮に突き刺さる、無数の好奇の視線。
そして次々と湧き出る疑問に堪えられなくなった俺は、静かに口を開いた。
「…………イオニアさん?」
「ん? どうしたウェスティン」
「状況がまったく理解できないんですが……。どうして俺はブランド物の服を着させられて、ショーウィンドウに飾られているんでしょう……?」
他のスタッフと共に空間を埋める作業を続けていた彼は、こちらを見ずに答えた。
「そりゃおまえ、嵌められたんだよ。仲間に」
じつに淡々とした返事に、たまらず天を仰ぐ。
「……そうか……。俺は仲間に、嵌められたのか……」
つい数時間前、家の中であったやり取りを思い起こす。
端からおかしかったのだ。普段は服になど興味を示さない父さんが、オープンしたてとはいえ、急にブランドショップの話題を持ち出してきたり。周りまでわざわざパンフレットを見せ付けてきて、行ってみろと促してきたり。
かと思えばやたらと落ち着きがなかったりで、なにか誘導しようとしているのは明白だった。
この仕事を嫌がるだろうと読んだイオニアさんは、家族や仲間を買収し、まんまと俺に少女モデルの代役をやらせようとしたのだ。
もともとは自分で蒔いた種だけども、さすがにこんな状況になるなんて予想もしていなかった。
「そんじゃ、愛想良くよろしくな。ウェスティン」
そんな言葉と共に、デザイナーでありファッションブランドの設立者であるイオニアさんはショーウィンドウに繋がる扉をバタンと閉じた。
視線が集うなかに一人ポツンと取り残されてしまい、表情筋が引きつったのは言うまでもない。
これが実質、セーアとしての初仕事だった。
本人としては一度きりにして欲しかったのだが、予想以上の反響が巻き起こってしまい、引くに引けない状況となり――気付けば一年近くも、モデルとしての活動を続けていたというわけだ。
契約解除の期日となる、二次性徴期を迎えるその日まで。
人々に笑顔を届けるために、俺はセーアでいなければならない。
勇者として、世界を守りながら。