女神様におねがい
「分身魔法は諦めたほうが賢明だ」
まだ何も説明していないのに、というか『ただいま』さえ言っていないというのに、リビングで顔を合わせて早々に先手を打たれてしまった。
やはり元女神、どこまでもお見通しである。
「闇魔法の習得を、たった一晩でこなそうだなんて無理な話だ。そりゃあ君は精霊に近しくなった影響で、すべての属性が使える万能型の上位互換みたいな存在になったわけだけど。だからといって舐めてかかると、下手をすれば暴発しかねない。魔法を教わる時に最初に習う、基礎の基礎だよ」
ククリアは立ち尽くす俺を見あげながら、だらしなくソファーに寝転んだ姿勢で滔々と説教してくる。
光の加減で透き通って見える真っ白なロングヘアに寝ぐせがついてようが、ダボッとしたシャツの下から覗くショートパンツから半尻が見えてようが、まったくお構いなしだ。
お風呂でたまたま出くわしても、悲鳴ひとつ上げずに『脱がないのかい?』なんて真顔で言ってくるし。父さん以外、男として認識してないんじゃないかコイツ。
「そんなわけないだろう」
リアルタイムで思考を読まれ、ジロリと睨まれてしまった。
「他の男に裸体を見られでもしたら、さすがに嫌悪感が湧くよ。そうじゃなくて、僕が君を、男だと認識してないんだ」
「さらりと酷いこと言ってないか?」
「とにかく。仮に成功したとしても、分身したまま戻らなくなる可能性だってあるし。魔法で何とかするよりも、早着替えを習得したほうがいいね。僕からは以上だ」
そして横になった体勢のまま、ぐるんと後ろを向く。父さんに絡んだ事情でないとやる気を出してくれないのは相変わらずだ。
……こりゃあ言われたとおり、諦めたほうが良さそうだな。
まったく協力的でない姿勢に、別の方法を検討しようと思考を巡らしはじめた時。彼女の女神としての力が、まだ少しだけ残っている――そう以前言っていたのを思い出した俺は、勢いよくソファーに乗り上げた。
「ククリア!」
「嫌だ」
色々と察したのか、彼女は手足を縮こませて丸くなる。俺はそんな全身で拒否を示している元女神様に四つ足で迫りながら、覆いかぶさるほど間近でパンッと両手を叩き合わせた。
「なんでもするから! 頼むっ、お願い!」
「……なんでも?」
閉じられていた薄水色の目が開かれる。
振り向いた顔には、あからさまなほど嫌らしい笑みが浮かんでいた。
「じゃあ君、今晩は一緒に寝てくれ」
「は――――はあぁッ!!?」
思わぬ要求に、四つん這いの格好だったのも忘れて立ち上がりかけた。あわてて両手をバタバタさせるが、不安定なソファーの上だ、よけいに体勢を崩して後ろへと体がもっていかれる。せめて頭を打たないよう、屈む姿勢をとった。……が、
「へぶっ!!」
そのせいで丸まった体がゴロンと一回転し、でんぐり返しになったところでやっと止まった。……本日二度目だ。
またかよという気持ちと、いわれた言葉がうまく頭に入ってこなかったのもあって、すぐには体を起こす気が起きなかった。視界は新築らしい、削りたてのような美しい木肌の天井を映し出している。ちょうど人の顔に似た模様を見つけたとき、ニヤニヤ顔の真っ白な美少女が端から覗き込んできた。
「その代わりに、僕が分身をつとめよう。ボロが出るといけないから、たまに交代する形になるけどね」
「…………へ?」
混乱によって停止していた脳みそが、ようやく働きだす。
「それってつまり、ウェスティンとセーアを、俺とお前でこなすってこと……?」
「そう言っているじゃないか。馬鹿なのか君は」
冷たく言い放ったククリアは、いまだひっくり返っている俺を見下ろしながら頭を押さえた。
「……そういえば馬鹿だったな」
「うるさいな、改めて言うな!」
憤慨しながら立ち上がった俺は、抗議するために再び身を乗り出す。
「っていうか、今晩一緒に――って何だよ!? エチェットとふたりで寝たこともないっていうのに!!」
「前に膝枕して貰ったじゃないか」
「それはあるっ……けど! 違う! なんでエチェットより先にお前がって話で!」
必死に訴えてみても、彼女はどこ吹く風だ。
「肉体どころか、魂を重ねといてよく言うよ。それに君、エルディオに女の子にされた挙げ句、あちこち触られていたじゃないか。あれはいいのかい?」
「うっ……!」
コイツ、分かっててわざと引っ張り出してほしくない過去を持ち出してきやがった。
「あれはー……生身じゃないからノーカンだ」
そう何度となく自分に言い聞かせてきたが、初めての行為といってしまえばそれまでだ。俺を殺すことで肉体と魂魄の両方を手に入れたエルディオは、あろうことか、精神世界のなかで魂を望みのままに変えて…………あああああ、今思い出しても恥ずかしい。
せめてもの救いは、あのとき意識がぼんやりとしていたおかげで詳しく思い出せないぐらいか。
「教えてあげようか? あーんな場所に紋を刻まれちゃって、ヘソから――」
「わあああああああああっ!! 説明しなくていいって言ってるだろ淫乱女神いいいいいい!!」
慌てて口を塞ごうとするも、身長差のせいでヒョイとかわされてしまう。いつもこんな調子で、ククリアに弄ばれるのが常なのだった。
「とにかくだね」
ぐぬぬぬと歯噛みしているのをよそに、彼女は肩をすくめてみせる。
「一緒に寝るというのはだね。君の姿を正確に写し取るために、肌と肌を触れあわせて、なるべく同調していた時と同じ状況にしなきゃいけないからなんだ」
「淫乱んんんんんッ!!」
「どっちがだい」
べちんと音を立てて額を叩かれた。
くそ、モデルに対してなんて仕打ちだ。
「男としては見てないと言っただろう。まったく」
赤らんだ額を押さえる俺に対し、少々あきれ気味に、ククリアは白く細い指を突き出してくる。
いまだに帰宅したままのドレス姿なのを示しているのかと思ったが――違う。ソファーに座り直した彼女の瞳は、確かに俺の内側を見つめていた。
「君、戦いに行かせて貰えないなりに、雄大たちのサポートをするつもりなんだろう?」
……やっぱりコイツには、何だって見透かされてしまうみたいだな。
隠す事もできないくすぐったさに、頬を掻きながら苦笑する。
「うん。勇者としてじゃダメなら、セーアとして戦おうって、そう決めたんだ。正直、どのぐらい効果があるのかは分からないけど……」
セーアに対して向けられる、みんなの感情。時には熱狂的になるそれが、希望の光に匹敵するものなのか、敵わないほど弱々しいものなのか。
どちらにしても、呼びかける程度はできるはずだから。
「少しでも、父さんたちの支えになれたらいいなって思って」
言いながら、体勢を変えてククリアの隣へと座る。並び合うと、やはり数センチほどの差が気になる。
俺が七歳になったのに合わせて、平均的な十三歳の体型へと変化させている彼女の肉体。その身長差は当然ながら以前よりも縮まっているものの、やはり最初に出会った時の青年だった頃の高さを思うと、ちょっぴり歯がゆい。
ちなみになんでずっと十歳のままだったのに見た目を変えたのかと訊いたら、『姉らしく?』とか疑問形で返ってきた。もともと父さんの子供が欲しいという願いにあわせて変えていたせいか、そこらへんは頓着ないようだ。
けれど愛憎すら抱いた相手に対しては、やはり気持ちが強いようで。
「僕だって同じだ」
身長を見比べるつもりで横を向いた時、真剣な瞳をしたククリアと目が合った。
「けど雄大は君だけでなく、僕までもこの戦いから遠ざけようとしている。たとえお情け程度に残された力でも、奴らにとっては垂涎ものだろうからね。危険だからあまり外に出るな、とまで言われてしまった」
……だからこんなだらしない有り様なのか。
奔放な寝ぐせと、羞恥心のかけらも無いルームウェアを見て思う。本来は女神らしい絶世の美女であるというのに、まったくもって勿体ないお姿である。
「僕だって雄大の役に立ちたい。陰でいいから、雄大のためになるようなことをしたいんだ。だから成哉くん。君で発散させてくれ」
「なに言ってんだおまえ」
思わずばちんと額を叩き返してしまった。
理由はともかく、言っていることがあんまりだ。
「まあ、ククリアも父さんのサポートをしたいっていうのは分かった。とりあえず、替え玉……いや、交換? 作戦に協力してくれるんだな。で、そのための準備として、今晩一緒に寝て欲しいと」
「うん。そういう意味だ」
ククリアはしきりにコクコクと頷いてみせる。
数十分前までのやる気のない態度はどこに行ったんだろう。父さんへの重すぎる愛の前に、裸足で逃げ出したんだろうか。
「それじゃあ、今晩は君の部屋に行くから。隣、空けといてくれ」
そして彼女の要求どおり、俺たちはファンからのプレゼントであるぬいぐるみに囲まれたベッドで一夜を明かす運びになった。
もちろん、男女の関係なんかになるはずもなく――――……。
「って、なんでイルマニ神になってんだよ!?」
密着した状態で、黒髪ロングの美女が首筋に顔をうずめてくる。
女神イルマニ。ククリアの中に生まれた愛憎の気持ちが意思を持ち具現化した存在であり、父さんごと世界を破壊しようとしていた三年前の元凶。
結局のところククリアは彼女を受け入れることで、負の感情とうまく付き合っていくことを覚えたわけだが……。
「おいこら吸うな! エチェットじゃないんだから!」
ククリアと同化を果たしてからも、何故かこうしてたまに顔を出しては、俺にまでちょっかいを掛けてくるようになったのだった。
「……うん。やっぱり覚えがある匂いだな」
なにを納得したのか、首筋を嗅いでいたイルマニがひかえめに頷く。そしていきなり俺の着ていたシャツをめくったかと思うと、おもむろに顔を近づけて……。
「おおおお俺のヘソになにする気だおまええぇぇッ!!?」
あろうことか、お腹の辺りへと唇を落そうとしてきた。
「今のお前には、色々と悪い虫が付きそうだからな。ワタシの物だという証明、いわばマーキングをしてやろうかと」
「いやそもそもお前が悪い虫だろッ!!」
ツッコミには答えず、ここがいいか、などと呟きながら彼女は探る手つきでお腹を擦ってくる。それがもう本当にくすぐったくて、俺は身もだえながら叫んだ。
「男としては見てないって言ってただろ、どういうつもりだよ!?」
「それはもちろん。男として見ているのは雄大であって、お前はとびっきりの玩具だ。キャンキャン鳴いて跳ねる、犬っころみたいな」
「ククリアよりタチ悪い!!」
もはや人間にすら見られてないんじゃないかという疑問はともかく、お腹の辺りへと執拗に伸びてくる手を必死に回避する。
「やめっ、ヘソは! そこ弱いんだからやめろおおおおおおおおぉぉぉッ!!」
しかし俺の全力の訴えに対し、イルマニはワインレッドの冷酷な瞳で見下ろしながらニイィッと不気味に口角を吊り上げた。
「ほう? あんな目に遭ったというのに、またココを弄って欲しいのか。まさか癖になってしまったのか? まったく。可愛いらしいやつめ」
「お前が言うとシャレにならないから!! ホントにっ!!」
なんとか近くにあった抱き枕でガードしようとするが、慈悲もなく指が伸びてくる。
「どれ。望みのままにグリグリしてやろう」
「やめてえええええええッ!!!」
そのあと俺のヘソおよび腹は彼女の餌食となり、悲鳴のデカさに堪えかねて苦情を入れにきたエチェットとひと悶着あったのは…………まあ、言うまでもないだろう。
こんなんでも一応ククリアの要求どおりにはなったらしく、かくして俺たちは、お泊り会の日を迎えた。




