マネージャーがやってきた
「このたびピィニアのマネージャーとして配属されました、アーシュア・ルイベスタインと申します。どうぞよろしくお願いしますっ!」
そう言って彼は、俺の何倍もある身長を窮屈そうに折り曲げながらお辞儀をした。
見た感じ、百八十五センチくらいはあるんじゃないだろうか? 父さんといい勝負だ。歳は……二十代後半くらい。短く切り揃えられた清潔感のある濃い青色の髪に、シルバーフレームの奥にある青灰色の瞳。微笑が似合う柔和な面持ち。
決して顔は悪くない部類だし、どこにでもいるごく一般的な青年といった雰囲気なんだけれど……何だろう。長身という以外、取り立てて印象付ける部分がない。
まるでアイドルのマネージャーを作る必要があって、そのためにメイキングをしたみたいな――というとさすがに失礼だろうが、そう勘繰りたくなってしまうほどの、型にはまった容姿をしている。着こなされたスーツが、よけいにその印象を強めていた。
もしかしてこれは仕事用の顔で、プライベートでは俺みたいに、もうひとつ秘密の顔があったりするんじゃ……。
「セーアちゃん。名刺、名刺!」
右横に立つチェルにひじで小突かれ、ようやく目の前に厚紙のカードが差し出されているのに気が付いた。
ヴァルアネスにおいては一般的な作法ではないものの、服飾業界にはイオニアさんをはじめとした転生者が複数人在籍しているのもあって、こうして現地人のスタッフにも社会的なマナーとして浸透している。けれども幼い子供相手に渡してくるとは思わず、呆気に取られて少しだけ反応が遅れてしまった。
「……どうも」
すぐに動けなかった申し訳なさから、控えめな動作で受け取る。名刺にはカッチリとした字体で、先ほど彼が口にした言葉がそのまま記されていた。
ピィニア専属マネージャー、アーシュア・ルイベスタイン。
「セーアちゃん。おなまえ、自己紹介」
「え? ……あ」
今度は左横にいるフィノに呼ばれ、名刺から顔をあげると、彼が少し困った様子で立ち尽くしているのが目に留まった。ボーッとする頭を押さえ、前髪を軽く整えてから口を開く。
「セーア、です。えっと……、その」
それ以外の説明が見つからない。まさか本当は男です、だなんて言えないし。勇者ウェスティンの仮の姿だなんてもってのほかだ。あえて公開できるとすれば年齢ぐらいだが、それを言ったところでどうする。好物でも付け加えておけばいいのか?
「ああ、無理に言おうとしなくて大丈夫ですよ」
口を開けたまま発しようとしない俺を見て、彼は片手を突き出した。
「あなたの事は、イオニアさんから色々と伺っていますから。これからよろしくお願いしますね」
にこりと微笑まれ、何も言えずに首だけで返事をする。
我ながら分かりやすい反応だ、なんて思ったそのとき、お辞儀っていうのはこうやって上半身を使うんだ――いつかのセリフが、頭のなかで再生された。
『なんだそのぬるいお辞儀は。隣人への会釈じゃねぇんだからよ』
『ご、ごめんなさい』
モデル業を始めたばかりの頃、笑顔はおろか、お辞儀すらマトモに出来なかった俺。そりゃあ今まで死に物狂いでゾンビと戦ってきた男に、いきなり女物のドレスを着て笑顔で接客をしろと言われても、色々と荷が重い。
『そういやお前、仕事したことないんだっけ?』
『はい。荷物を運んだりだとか、そういう小さな頼まれ事なら経験があるんですが。ちゃんとした仕事とか、社会的なマナーとなると、あんまり……』
『そっか。んじゃあ、この機会に色々と教えてやるからよ。っても、オレも社会人としてはろくなモンじゃねぇけど』
接客の仕方もろくに知らなかった俺に、イオニアさんは一時期つきっきりで指導してくれた。
自分の店は首都アーセナルにあるというのに、わざわざ支店のウッドリッジまで通い詰めて。そうして合格を貰い、セーアとしてきちんと接客できるようになっても、イオニアさんはたびたび様子を見に来てくれた。
そんな彼が、仕事どころではない事態に陥っている。
分かっているのに、どうして俺は剣と装備でなく、化粧とドレスをしているんだろう。ウェスティンではなく、偽りの名で自分を語っているんだろう。
そもそも俺、今ちゃんとセーアでいられてるのか?
捉えようのない不安が押し寄せ、目の動きだけで鏡を探す。
視界の端に捉えた姿はたしかに彼女――セーアのものだったが、表情だけは、いつもの見知った自分自身だった。
化粧でも隠せないものがあるんだな……なんてぼんやりと思っているあいだにも、両隣に立つ二人の自己紹介が進められていく。
「フィノール・オルシスタ。ママが魚人のハーフ。歌うのと泳ぐのがとくい。人前はちょっと苦手だけど、セーアちゃんとチェルがいれば、だいじょーぶ、です」
「わたくしの名前は、チェルシエール・ノイ・エイデンベルクですわ。セーアちゃんに憧れてモデルになったんですの。ですから今、おふたりと一緒にお仕事ができて、毎日がとーっても楽しいですわ!」
ハキハキとした笑顔を正視できなくて、俺は靴の調子を見るフリをしてうつむいた。
どうしてチェルは、俺なんかに憧れてモデルになったんだろう。……ああ、俺でなくセーアか。
いつでも天真爛漫で、お客さんに対して常に笑顔で。可愛い衣装も、大人っぽい服だって着こなしてみせるスーパー美少女モデル。
なーんて世間じゃ言われているが、現状はコレだ。勇者としても必要とされず、置いてけぼりにされて泣きながらモデルをやっているただの子供。
イオニアさんには『お前はここに居ろ』と言われたが、確実に何かが起こっている今、勇者でなくセーアとして活動する意味が果たしてあるんだろうか。五年のあいだに二人を押し上げる、その目標さえ突き崩しかねない事態なのに、悠長にステージの練習なんてしてていいのか?
悶々とした思考と、靴の先があんまりフィットしていないのもあって、よけいに落ち着かない。そのせいだったのだろう。
「――――……成哉さん」
急に間近で名を呼ばれ、ぞくり、と身が震えた。
耳を押さえながら顔を上げれば、そこには笑顔のマネージャーが立っていた。いつの間に移動したんだこの人。いやそれより、どうして俺の前世の名前を?
「フルネームは御崎成哉さん。もとは地球のご出身で、こちらでの名前はウェスティン・レイアネット。……ああ、ふたたび雄大さんのご子息になっているので、今はウェスティン・オザキでしたっけ。三年前に魔王エルディオと戦い、勝利の代償に肉体は消え去り、魂は自然へと溶け出してしまった」
「ちょっ……」
「だから今のあなたの肉体は、女神が感覚だけで作った偽造品。魂も寄せ集めで、人間というよりも、どちらかといえば精霊に近しい存在。……なんですよね?」
ほぼ確認に近い問いかけに、すぐには言葉を紡げなかった。レンズの奥にある瞳は内も外も見透かすようで、どこか得体が知れない。
「どうして、それを」
引きつった喉から辛うじて声を出すと、彼は人のよさそうな笑みを浮かべた。
「さっき言ったじゃないですか、イオニアさんから色々と伺っていると。たぶん彼は不安定な存在であるあなたを心配して、戦いから遠ざけたんだと思いますよ」
囁きは穏やかなもので、少しだけ肩のこわばりが解けた。
もしかして……俺の元気がないのを気にして、驚かすつもりであんな言い方をしたんだろうか。だとしたら、印象が薄いだなんて撤回しよう。食えない人だ。
「んもうっ!」
乾いた笑顔を返していると、チェルが急に俺とアーシュアさん――マネージャーとを引き剥がした。抱きつくような形でぐいぐいと押され、寄せていた距離があっという間に離される。
「ちぇ、チェル?」
突然の行動に彼女を見ると、なぜか不満そうに膨れっ面をしていた。
「おふたりだけでコソコソ話すなんてズルいですわ! セーアちゃんのヒミツ、わたくしも知りたいですのにっ!」
「そうだそうだー!」
今度はフィノまで抱きついてきて、サンドイッチ状態になってしまった。困ってマネージャーの方を見るが、肩をすくめるだけで動こうとしない。ちょっと待て、こういう時にいさめるのがあなたの仕事なんじゃないのか?
「ちょっ……チェル! 転ぶ、転んじゃうって!」
ぎゅうぎゅうとおしくらまんじゅうされ、俺は慌てて声をあげた。けれども時すでに遅く、言った直後に足がもつれる。
「わ、わわっ!?」
体勢を立て直す暇もなく、勢いよくその場へと倒れ込んだ。
「ふぎゃあっ!!」
「んみゅ!」
「むぁ!」
くっ付いていたふたりも当然引っ張られ、俺たちは重なり合う形で盛大に転んだ。スカートもなんのその、といったわんぱくな倒れ方だった。
ちなみに最初の色気のない悲鳴が俺、鳴き声みたいなのがチェル、最後のがフィノである。
音に驚いた他のスタッフたちが、何だなんだと覗いてくる。しかし彼らは部屋の中の様子を見たとたん、プッと吹き出した。
「おいおい。お揃いでスカートめくれてるぞ」
「モデルさんなのに、ほんとお転婆なんだから」
この状況じゃあ笑われても仕方ない。なんせ揉みくちゃになりながらひっくり返っていたからだ。
下に履いているとはいえ本来ならスカートがまくれるなんて由々しき事態なんだが、それどころじゃなかった俺はしばらく顔を覆っていた。痛いとこあるの? と女性のスタッフさんに心配されたが、首を振って否定する。
だって、どういう顔をしていいのか分からないじゃないか。
さっきまであんなに悩んでいたのに、俺まで笑いそうになっているだなんて。




