君のための嘘
「えっ…………うそおおおおおおおぉっ!!?」
チェルの補足、もとい衝撃の発言に、モデルさんたちが揃ってエチェットの方へと身を乗り出す。
「愛し愛され、って……ええ!?」
「だってエチェットちゃんが二十一歳で、セーアちゃんが七歳……いやそれより、女の子同士なのにっ!?」
青いドレスの女性が、俺とエチェットとを見比べながら驚愕する。
エルフやドワーフ、フィノみたいな魚人なんかもいるこの世界じゃ無性別なんて珍しくもないし、そのうえ、種族によっては同性同士で恋人になるのも許されていたりする。けれど俺もエチェットも人間だし、年齢差を考えれば、まず驚かれるのが当然だろう。
「ははぁ~ん、さっきからなーんか不機嫌そうだなって思ってたら。セーアちゃん盗られてスネてたってわけね!」
「あ、あはは……」
緑のドレスを着たモデルさんに小突かれ、さすがのエチェットも困り顔だ。
登場の仕方からして居丈高な先輩モデルだとばかり思っていたが、三人とも意外と気さくな人たちだったらしい。エチェットとも知り合いみたいで、喋りや態度にも友人に対するような親しみを感じるが……それが逆にやり辛いのだろう。チラチラと助けを求める視線を感じるが、俺にもこればっかりはどうしようもない。
「セーアちゃん、セーアちゃん」
黙って成り行きを眺めていると、横からチェルがちょんちょんとつついてくる。
「おふたりのご関係のこと、もしかしてヒミツにしておいた方が良かったですの?」
「んー。いや……」
もしもあの場で言っていなかったとしたら、エチェットとお姉さんで俺の取り合いになっていただろうから――チェルに助けられたと言えなくもない。けれど、結果的に状況は大混乱。
騒がしさを増す空間にどうしたもんかと思っていると、後ろから低い声がした。
「おうおう何だ。騒がしいな?」
「イオニアさん!」
開け放たれたままの扉から覗いたのは、なにやら普段とは違う物々しい格好をしたイオニアさんだった。
いつも彼が仕事場に現れる時には、お気に入りの黒い革ジャンを羽織り、同色のレザーパンツ、腰には複数のポケット付きの使い込まれたウェストポーチを身につけているのがほとんどだ。それが今は、なめした革と金属で作り込まれた、見慣れない軽装鎧を着ていた。
常に全身を自分のブランド服で固めているというのに、冒険者向けの装備をわざわざ着ているなんて珍しい。
「どうしたんですか、その恰好?」
「や、ちょいと野暮用でな」
俺の問いかけに彼は返事になっていないような答えをかえすと、すぐに手招きをしてエチェットを呼び寄せた。
「わりぃな、急に呼び出しちまってよ。冒険者の仕事も忙しいだろうに」
「いえいえ。セーアちゃんの仕事ぶりを間近で見られるチャンスですし、呼んで貰えて嬉しいです!」
「そうか。……ところで」と区切り、イオニアさんは待機している他のモデルさんたちの方を見た。
「なんでお前ら、さっきからきゃいきゃいしてるんだ?」
「だって! 人気美少女モデルのセーアちゃんと、勇者パーティー所属のエチェットちゃんが付き合ってるって!」
さっき俺を抱き締めていた赤いドレスの女性が、拳を握りながら興奮ぎみに叫んだ。
ていうか、いつのまにか愛し愛され――から付き合っている設定にまで発展していた。まんまその通りなんだけど、ウワサって怖い。
「あァ? 付きあっ……?」
なに言ってんだとばかりに、イオニアさんは眉をひそめる。
しかし即座に表情を戻し、何でもないように付け加えた。
「いや、なんか勘違いしてんじゃねーの? エチェットにとっては、こいつ妹分みたいなもんだし。そりゃあ抱き締めたりもするし、ほっぺにチューぐらいもすんだろうよ」
言いながら、俺の頭をぐりんぐりん撫でてくる。
一時期には転生者の先輩として旅に同行し、俺とエチェットの関係についてもよぉーく知っている御方だ。見かねてサポートしてくれたんだろう。
「なーんだ。妹分かぁ」
「それじゃあ嫉妬するのも無理ないわねぇ」
モデルさんたちはその説明に納得したのか、少し惜しみながらも囲っていたエチェットから身を離した。感謝しようと口を開くと、それよりも先に彼はまた頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。
「わぁっ!? ちょっ、さっきヘアメイクさんにやって貰ったばかりなんですけど!?」
丁寧に櫛を通し、整髪料でセットして貰ったせっかくの髪がぐしゃぐしゃだ。
キッとイオニアさんを睨むと、彼はいつもの明け透けな態度で肩を組んできた。
「まあまあ。短いんだからすぐセットできるって」
セーアの生みの親であるくせに、俺に対する振る舞いなんかはまるで変えるつもりがないらしい。これじゃあ雇用主というより、弟に意地悪をしている兄みたいだ。
ついでとばかりにもう一つ文句を言ってやろうとすると、組んだ腕を寄せてなにやら囁いてきた。
「ンな事より、オレはしばらく出掛けなきゃならねーんだ。下手すりゃ長くかかりそうだし、その間はお前のサポートをしてやれねぇ。代わりに、頼まれてた件をそろそろ叶えてやろうと思ってよ」
「頼まれてた、件……?」
「ほれ、いつだったかマネージャー雇えないかって言ってたろ?」
そういえばチェルやフィノの加入など、立て続けに色んな出来事があって忘れていたが――イオニアさんと世間話をするかたわら、そんな愚痴をこぼしたような気もする。
「この世界じゃモデルなんて仕事はまだ一般的じゃねぇし、お前のヒミツの件も含めてずいぶんと探すの苦労したんだけどよ。やっと合いそうな人材が見つかったんだ。これでオレがいなくても安心だな」
組んでいた腕が外され、ポン、と背中を叩かれる。
その勢いがなんだか背を押されているように感じて、俺は何気なく後ろを見た。
やっぱり彼は何食わぬ顔で立っているだけだが、いつもとは違う恰好も含め、なにかを決定的に見過ごしているような――自分の知っている世界のはずが、どこかに大きな隔たりがあるような――そんな気がした。
「イオニアさんッ!!」
反射的に手を伸ばし、間近にあった彼の袖を引く。
思わず出た声量に、周りのモデルさんたちがビクッと震えた。
「え、なに? どうしたの?」
「何かありましたの?」
チェルやフィノが心配そうに見つめてくるが、今はとてもモデルとしての顔ではいられそうになかった。集う視線もいとわずに、彼の袖を握る手に力をこめる。
……今の平和な世の中に、勇者なんて必要ない。そう思っていた。
けれど、本当にそうなのだろうか? 父さんともすれ違ってばかりだし、今までサポートしてくれていたイオニアさんも、こうして遠くへと行ってしまう。勇者の仕事は相変わらず入ってこなくて、代わりとばかりに、モデル業が忙しくなっているけど……。
「本当は……本当は俺にも、やるべき事があるんじゃ……」
口紅のせいか、吐息のせいか。やたらと唇が湿ったく感じ、ファンデーションで整えた肌から嫌な汗が噴き出てくる。
いつの間にかエプロンの布地を強く握りしめていたのに気付き、ゆっくりと拳を開いた。やわらかなフリルがしわくちゃになっている。
「落ち着け。セーア」
たしなめるように名を呼ばれ、俺はゆっくりと顔を上げた。
「オレがいなくても、後から来るマネージャーにちゃんと伝えてあるから。お前はただ、セーアとしてステージに立つ事だけを考えていればいい。それが今のお前に与えられた使命だよ」
……使命、って……。
「その言葉を使うのは、ズルいです……」
唇を噛みしめ、少しだけうつむく。
だってあのとき俺に与えられた使命は、途方もなくデカかったじゃないか。生まれ変わるかわりに異世界を救ってくれと頼まれて、またゾンビと戦う羽目になって。仲間とともに旅をして。
それに比べれば、嘘みたいに楽な〝使命〟だ。だけどそれは、裏で誰かが重さを調節してくれているからで。
「あの時はさ、お前が存在ごと命張ってくれたんだから。五年ぐらいは他の仕事でもして、オレらに任せて遊んでろ。な、勇者様?」
――あまりにも明白な『嘘』に、俺は気付かないフリなんて出来やしない。
「遊んでる暇なんてないって、知ってるくせに……」
これからステージに向けて、俺たちは練習しなければならない。
店の外でやる、三人での初めてのパフォーマンスだ。歌もダンスも経験がないから、人一倍練習しないといけないし。三人のフォーメーションも、どんなトークをするのかも考えて。衣装だって慣れないといけないし……。
「セーアちゃん、泣いてるの?」
フィノが心配そうに、屈んで顔を覗き込んでくる。
言葉を紡げない俺の代わりに、イオニアさんが笑って答えてくれた。
「こいつ、オレの長期出張が心細いらしくてよ。頼むから、傍にいて安心させてやってくれ。本当は気が弱い奴なんだ」
違うなんて言えず、黙って突っ立っている俺の肩にチェルが優しく寄り添う。
「セーアちゃん、大丈夫ですわ。わたくしたちがいますもの」
「うん。みんないるよ、ね?」
長い前髪からお揃いで買ったヘアピンを外し、フィノが目に見えるようにかざしてくる。チェルも鞄に付けていた自分の分を持ち出し、俺の手に握らせた。
「イオニアさんが出張でいなくなるのは、少しの間だけですわ。だから、大丈夫」
「スタッフさんや他のモデルさんたちも、お客さんもみんないるよ。セーアちゃんひとりじゃないよ?」
「…………うん」
頷きながら軽く目を擦ると、手の甲に色が付いた。そういえば、ファンデーションと一緒にマスカラをしてきたんだった。
せっかくやる気を出すために、普段の軽い化粧に加えてまつ毛まで綺麗にしてきたのに。忘れて拭ってしまうだなんて、俺はまだ自覚が足りない。
「ほら、お化粧が落ちちゃう。メイクさん呼んできてあげるから、直しちゃいましょ」
他のモデルさんまで心配してくれて、なんだか別の意味でも泣きそうになった。
これから合同で撮影があるというのに、ひとりだけ腫れた顔で出られないじゃないか。そう思っているのに、どうしても視界が滲んでくる。
エチェットにハンカチで拭われながら、俺はイオニアさんの方を見た。
「……イオニアさん。すぐに、帰ってきますよね? 父さんも忙しいみたいだけど……そのうち、チェルとフィノを、紹介できるようになりますよね……?」
彼は問いかけには答えず、俺の顔を指さしながら軽く笑った。
「早くメイク直して貰ってこい。目もと真っ赤だぞ」
言われたとおりにメイクを直して貰い、ようやく撮影に入る頃には、イオニアさんの姿はなくなっていた。
それから数日が過ぎ、新しくやって来たマネージャーの顔と名前を覚えられるようになっても、やっぱり彼が店に現れる事はなかった。