ひみつの花園に想いを寄せて
「セーアちゃんがっ……」
エチェットの両腕にがっちりとホールドされている俺をみて、チェルがやや引きつった声を漏らす。
「女の人に、捕まっちゃいましたわ……!」
「嗅がれてた」
「ええ。すごく嗅がれてましたわ……」
身を寄せてヒソヒソと話し合いながら、チェルとフィノは部屋に押し入ってきたエチェットを見あげていた。
見ず知らずの女性が、いきなり大声を上げながら店のバックヤードにズカズカと入り込んできたんだ。そのうえモデルを抱き上げて頬ずりし、首筋に顔をうずめて嗅ぐというオマケつき。状況だけ見れば、完全に事件そのものだろう。
俺だって相手を知っているからこうやって身を任せていられるが、もしこれが知らない相手だったなら、あまりの奇行に悲鳴を上げて大暴れしているところだ。
「いっ、いまお助けしますわセーアちゃん!」
何を思ったか、チェルが蒼ざめながらも必死に傍にあった椅子をわし掴んだ。「ちょっ、」決死の表情に、意志の強さを垣間見る。
まさか投げるつもりじゃ――なんて思っていると、なんとフィノまで両手にハンガーを構えだしていた。かつてない二刀流だ。ていうかそれで戦えるのか?
「ちょーっと待ったああああぁッ!!!」
そのまま撃退しかねない勢いだったので、俺は慌てて両手を突き出しながら制止の声をあげた。
「セーアの知り合い、知り合いだから!!」
「……しりあい?」「ですの?」
疑問を含んだ視線がつどうなか、エチェットはガクガクと首を振る。そこでようやく理解したのか、二人は手にある武器を下ろしながらその場にへたり込んだ。
「良かったぁ……。人攫いかと」
「わたくしはてっきり、変態さんかと思いましたわ」
「変態ッ!?」
恋人とは程遠い表現に、少なからずショックを受けながらもエチェットは笑顔を浮かべてみせる。
「へ、変態さんなんかじゃないですよ! 私はその、セーアちゃんとはけっこう親しい仲でして。ね?」
「そ、そうそう。そうなんだよ」
同意を求められ、俺も土産屋にある置物のように首を振り続けた。
「エチェットお姉ちゃんは、セーアの……そのぉー……」
――婚約者? それとも家族?
いやいやいやいやいや、その通りだけどまんま言えるわけがないだろ。素性はもとい、家族構成だって父さん以外は秘密にされているんだ。簡単に喋れるはずがない。
じゃあなんて説明すればいい? 友達――いちばん自然だけど、気持ち的に嘘をつけそうにないだろう。俺だって思春期真っただ中の男なんだ。エチェットと密着するだけで変な気持ちになる事だってあるし、その反応を万が一指摘されたら、うまく言い逃れできる自信がない。だったら……、
「……たいせつなひと、かな」
少し考えたすえに出てきたのは、いつか旅のなかで得た、彼女に対しての飾らない純粋な気持ちだった。
こぼれ出た言葉に、囁きとともに満足げな吐息が耳にかかる。
「私も、ですよ。……成哉くん」
顔を寄せ、二人に聞こえないほどの声量でこっそりと名前を呼ばれた。
背中に、腿に回されていた手がいっそう絡んでくる。それがなんだかとても愛おしくて、恥ずかしがっているフリをして、エチェットの胸元に顔をうずめてみた。
熱く火照った顔面を、柔らかなふたつの膨らみが優しく受け止めてくれる。彼女自身の体温が、触れあった箇所からじんわりと伝わってくる。
「……だから……、その、だいじょぶ」
モゴモゴとくぐもった返答をしていると、なにやら後ろから熱量のある視線を感じた。振り向くと、チェルが瞳を爛々と輝かせながら両の拳を握っている。
「ひみつの、花園ですわね……ッ!!」
「は?」
ずいと顔を近づけられ、変な声がでた。
俺の反応をまるで意に介さず、チェルは固く手を握りしめたままで熱く語りはじめる。
「わたくし知っていますの! 近所のお姉さまからお借りした小説に書いてありましたわ。女の子同士の恋愛を『百合』といって、異性には邪魔できない神聖な関係なんだとか!」
「……はぁ」
女の子どうし? と一瞬思ってしまったが、下を向けば今日も俺は当たり前のようにドレス姿だ。
ピンクを差し色に白でまとめ上げたエプロンドレスで、縁に付いた大きめのフリルと、胸のところにはでかいリボン。衣装に合わせ、背中には今週発売のクマを模したリュックサックが背負われている。すべてモデル用に、セーアのイメージとして忠実に作られた品だ。
さすがにこんな服を着といて、男女のカップルに見えるわけがない。
……いや、見えるようだったら大問題なんだが。
チェルは鼻息荒く荷物置き場へと駆けていくと、自分の鞄から一冊の本を取り出した。七歳の子供が読むには少し難解な、厚めのハードカバー本だ。シリーズものらしく、タイトルの末尾にでかでかと『Ⅲ』の文字が刻印されている。
「わたくし今、女学校での複雑な恋愛模様を描いた禁断のラブストーリー『花園小道でつかまえて』にハマッているんですの! そこに出てくる人気者のハンナと、女教師セリージュとの関係がまさにお二人にそっくりで!」
ずいずいと近づけられたページには、確かにショートカットの可愛らしい女の子と、担任教師らしい女の人が庭園で向かい合っているイラストが載せられていた。漫画風でなく写実的なのが、妙にリアリティーを感じさせる。
「自分用に買ってありますから、近い内にセーアちゃんとフィノにもお貸ししますわね。特にセーアちゃんにとっては、教科書になること請け合いですわっ!」
「あ……ありがと?」
両手を握られ、とりあえず感謝の意を述べる事しか俺には出来なかった。
いや、めっちゃ異性混じってるから。女の子ふたりと女性ひとりの中に、スカート履いた男がひとり混ざり込んでるから…………なーんて事実は、口が裂けても言えない。
「セーアちゃんっ!」
「は、はい?」
依然として興奮状態のチェルが、真正面から見つめてくる。
「わたくし、おふたりの恋を全力で応援しますわっ!!」
……彼女の中では、どうやら決定事項らしかった。
本当の関係を説明できるはずもなく、俺たちはそのままチェルの勘違いに乗る事にした。そのほうが、世間的に知られている情報とも合致するだろうとの理由だ。
以前あった雑誌のインタビューで、「憧れのひとはエチェットお姉ちゃん」なんて話してしまったから、憧れと恋とで結び付きやすいだろう。
「えっと、改めて紹介するね。勇者ウェスティンのパーティーメンバーに所属している、エチェットお姉ちゃん。まえ一緒に撮影した事があって、それ以来親しくして貰ってるんだ」
落ち着いたところで二人に紹介すると、チェルとフィノは興味深げに身を寄せてきた。どうやら『勇者パーティー』という部分にそそられたようだ。
「まあっ! 三年前に魔王エルディオを倒したっていう、あの勇者一行のエチェット様ですの!?」
「大槌使いっていうから、もっとムキムキで怖い女の人かと思ってた」
「勇者ウェスティンの事もよーく知っている御方なんですわね。あの、勇者様のお身体にブシュウウッて穴が空いて、そこから魔王が誕生したっていうウワサは本当なんですの?! あと、大気に存在する全てを統べるとか……!」
……俺、人外と化してない?
世間に広まっている勇者像の進化具合に、もはや頭を抱えるしかない。そのうち巨大化したり、口から炎を吐き出しそうだ。
まあ、女神と合体ぐらいはしたんだけども。
当時の噂は世界中に広まっていて、勇者ウェスティンの素性なんかも尾ひれが付きまくっていた。まだ七歳にもかかわらず大人と変わらないほどの体型だとか、身長の二倍ほどもある大剣をブン回して戦うだとか。指先ひとつでドラゴンを持ち上げただとか。
果ては、拳ひとつで魔王とやり合っただとか。
最後のは完全に父さんの逸話なんだけど、話のうえではなぜか俺がやった事になっているから怖いものだ。
「あれは体から魔王が出てきたんじゃなくて、仕掛けが起動したタイミングで体を乗っ取られたんですよ。あと統べるというより、精霊さん達と仲良しなんですよ、成哉く……ウェス様は。たまに花びらを遠くに飛ばして遊んでたり、一緒にお話ししたりしてますよ」
エチェットは少しはにかんで答えると、しゃがんで二人と同じ目線になりながら話し始めた。
「〝たった四歳で魔王を倒し、世界を救った〟なんて経歴から、畏れられたりする事も多いんですけど……意外と普通の人なんですよ、ウェス様は。運動が日課で、鍛錬が終わるとご褒美のスウィーツをいつも幸せそうに食べるんです。その時のお顔が、ニッコニコでかわいくって。あと、意外と料理も上手いんです。魚を三枚におろせちゃうんですよ」
「えっ!? わたくし達とおなじ七歳ですのに!?」
「さすが勇者」
「鍵開けなんて特技もあるんです。このあいだなんか、私の宝箱をたった一分で開けてくれて」
「「おおおおおー!!」」
チェルたちは驚いているが、その特技は単純に前世のサバイバル生活で身についたものだ。あちこちゾンビだらけ、食糧もろくに無いなかでは技術力がものを言う。
魚のさばき方も、獣の解体方法も。ピッキングのしかたも、ぜんぶ出会った誰かに教わった。
地球で得た二十三年間の人生は、ほとんどが辛く苦しいものだったけど……こうして誰かと共有できるようになった今は、不思議とそんなに悪いもんじゃないと思える。
「本当は凄い特技や能力をたくさん持っているのに、誰かのためにしか使わない人なんですよ」
目を伏せ、エチェットはひとり言のように呟く。
「身分を隠してまで、民衆の笑顔のために動くなんて当たり前で。恥ずかしがりやのくせに、精一杯パフォーマンスして。皆の前で声を張り上げて」
「まあ。セーアちゃんみたい」
「だね」
チェルとフィノが嬉しそうに頷き合う。それはまぎれもない、勇者という立場を隠しながら活動している今の俺だった。
なんて言っていいか迷っていると、エチェットがまた二人と目線を合わせる。
「そんな人なので、いつかウェス様と出会った時には、ぜひ友達になってあげてくださいね。きっと恥ずかしがりながら、笑顔で『ありがとう』って言ってくれるはずですから」
最後にちらりと俺のほうに目をやって、彼女は姿勢を正した。
「それじゃあチェルさん、フィノさん。セーアちゃんも。今日はどうぞ、よろしくお願いしますっ!」
ぺこりとお辞儀をされ、事情を呑み込めない俺たちは互いに顔を見合わせた。