その少女、ワケあり。
真っ白な靴下に、爪先をすっと通していく。
小花柄のレースとフリルにふちどられた、薄手のハイソックス。肌にぴったりと吸い付いてくるそれを太ももの半ばまで持ち上げ、両足ともに履き終えたら、ここから俺はもうひとりの自分になる。
可愛らしいドレスに覆い隠された嘘が――人々の内に、『彼女』を呼び覚ます。
「えっと……今日は午後に写真撮影があるのか」
昼食の量、控えめにしとかないと。
机上のメモを確認しながら、ブラウスの上にジャンパースカートを着ていく。
ワンピースと同じような、上下が一体となった服だ。白地に薄紅色のチェック柄。ポイントとして、所どころに小さなクマの刺しゅうが入っている。
その下に、念のためのペチコートパンツ。これを履いていないと仕事中はどうも落ち着かない。
それから、スカートにボリュームを持たせるためのパニエも。見た目の豪華さを上げてくれる隠れたサポート役だが、動くたびに裾を揺らしてくれるのもまた、視覚的な効果もあって外せない。
仕上げに厚底のパンプスを履いたら、変身完了だ。
「…………よしっ」
姿見の前に立ち、改めて自分の姿を目にする。
プラチナ・ブロンドのショートヘアに、薄い青緑色の瞳。真っ白な肌。少年とも少女ともつかない、中性的な顔つき。
身にまとうのは、フリルやレース、リボンがたっぷりとあしらわれた、ひざ下丈の甘いドレス。
この外見からか、周りはよく俺をショーケースに飾られたお人形に喩える。
通りに面した服屋のショーウィンドウの中で、客引きをするのが主な仕事だからだ。
着用のイメージがしやすいよう、目の前でくるりとターンしてみせたり。
服のコンセプトに合わせた小物で興味を引いたり、視線が合ったら笑顔で手を振ったりと、存在こそマネキンと変わらないが、ガラス越しに行われる客への対応はアイドルのそれだ。
それこそが、若干七歳の美少女モデル・セーアの人気に火がついた要因であり。
俺が大きな秘密を抱えている、原因でもあった。
「セーアちゃんっ!」
扉を叩く音とともに、慌ただしい呼びかけが廊下から聞こえてくる。
「もうすぐステージの準備できるって! そろそろメイク、いいかしら?」
「あっ、はい!」
答えつつ、まだ髪かざりを付けていないのに気が付いた。急いで化粧台の上に用意されていた、白いリボンのカチューシャをセットする。
毛先を整え、全体を見るためにもう一度ターンしてから、ドアへと向けて駆けだした。
「着替え終わりました! 今日もよろしくお願いしますっ!」
* * *
「セーアちゃん入りまーす!」
付き添いのスタッフが声掛けとともに扉を開ける。
なかには様々なオブジェや小物、看板が所狭しと置かれていた。保管庫として使われているこの部屋では、ステージの飾りつけを担当しているスタッフたちが物に埋もれるようにして作業を続けている。彼らの合間を縫いながら俺は、部屋の奥側へと歩を進めていった。
右にあるカーテンの向こう側では、もう大勢のお客様が今か今かと待ち構えていることだろう。
「午前中はステージでのパフォーマンス。昼食のあと、一時から写真撮影……。ん?」
改めて本日のスケジュールを確認していたところ、紙の下側に別の筆跡で何かが書き込まれているのに気が付いた。よほど急いで書いたのか、読み辛いほどぐちゃぐちゃだ。
こういう事があると、やっぱり管理してくれるマネージャーが欲しいなと思ってしまう。
この仕事についてから一年近く経っているし、さすがにおねだりしてみてもいいか。
「ひる……きゅうけい、の、あと……はな、し……?」
「用意できました! ステージ入り、お願いします!」
「あっ、はい!」
慌ててメモ紙をポケットへと仕舞い込み、カーテンで隠された扉を開ける。
とたんにまぶしいほどの陽光と、大勢の視線がワッと注いできた。部屋というには少しばかり狭い空間。ここが俺のステージだ。
「「セーアちゃあああああああんッ!!」」
突き抜けんばかりの歓声が、大きな窓を通して響いてくる。
「待ってたよおおおおおおおおおっ!!」
「今日も可愛いっ! ほんと待ってて良かったあ!」
「あっ、あれ新作のドレスだ! もう買えるのかなっ?」
「セーアちゃんモデルとかあったら買いたい!」
虹や雲をかたどったファンシーなオブジェと、ぬいぐるみがいっぱいに詰まった空間。
その中央に座り込みながら、手近にあったピンク色のクマを胸元へと抱き込む。最初こそ抵抗感があったものの、こういう〝あざとさ〟がないとそもそも成り立たない仕事であるというのは、今までの経験から学んでいた。
正面を見ると、店外の通りには俺の登場を待ってくれていたお客様や、興味から足を止めた人達までもがこちらを覗き込んでいる。
彼らに向けてにこりと微笑みながら、俺は抱えたクマのぬいぐるみの手をパタパタと振ってみせた。
「いらっしゃいませ。みんな、今日も会いに来てくれてありがとう!」
当然ながらガラスに阻まれてしまい、一人分の声ではろくに通らない。
それでも観客たちは色めき立ち、同じように手を振り返してくれた。
昨日あった式典でも、壇上に立って大勢の前で挨拶したけど……あの時よりは、やっぱり身近な触れ合いに感じる。
下手をすれば拝まれたりもするからな。俺としては畏れ多く思われるよりも、こうやって向き合いながら笑顔をかわす方が好ましい。
「セーアちゃあああああんッ!! こっち向いてええええええっ!!」
「クマさんと一緒にポーズしてえええええッ!!」
「ハートちょうだい、ハート! こっちに!! 俺だけにッ!!」
……熱量としては、どっこいどっこいだが。
こういう客層が出てきたのもあって、なおさら俺は自身の本当の顔を隠し通さなければならなくなってしまった。
知られてしまえば、セーアは煙のごとく簡単に消え失せる。
本名不明。プロフィール非公開の、謎の人気美少女モデル。それがセーアだからだ。
「みんなーっ! 今日のドレス、新発売の商品だから見ていってね――……ッて!」
何気なく客の後方を見やった時だった。ガラス越しに、建物の上空へと墜落していくドラゴンの残像が映る。
あれは……グリーンドラゴンだ。荷物の運搬に使われる種類で、少し離れた場所では、配送員が落下の衝撃に備えパラシュートを開いていた。あれなら無傷で済みそうだ。
しかし、下にいる人たちは無事では済まないだろう。
「――――スゥッ――――」
意識を集中させる。
ゆっくりと両眼を開くと、先ほどとは違う景色がいっぱいに広がった。
人間の傍で息づく、たくさんの精霊たち。都会のなかでも変わらないその姿がはっきりと見えた時、彼らの声もまた聴こえてくる。
――落っこちちゃう。
ウェスティン、落っこちちゃうよ?
「うん。下から支えてあげてくれ」
小声でもしっかりと聞き届けてくれた彼らは、突風となってドラゴンの体躯をグンと持ち上げた。落下のスピードが目に見えてゆるやかになる。
羽ばたきと変わらない速度で降りていくのを確認した時、明るい男性の声が後方から響いた。
「サンキューな。ウェスティン」
カーテンのすき間から、尖った黒髪と橙色の瞳がのぞく。
「モデルと勇者の兼業、お疲れさま」
「今はウェスティンじゃなくセーアですよ、イオニアさん。後始末お願いします」
かわした言葉に互いに笑顔を浮かべながら、彼は手にあるぬいぐるみを置いてさりげなくカーテンを閉めた。
ブランドの設立者とはいえ、違う店舗に通っているというのに……かなりの頻度で顔を見せている。いつも相談に乗ってくれるし、色々と気にかけてくれているのだろうか。ありがたい限りだ。
「「セーアちゃあああああん!」」
「お、っと」
慌てて客側へと意識を引き戻す。
その時、ひとりの女の子と目が合った。ちょうど同い年ぐらいか、キラキラとした瞳をこちらへまっすぐに向けている。
そんな彼女に対し、俺は軽く手を振ってから軽く一回転してみせた。スカートとパニエが風を含み、ふんわりと広がる。
「わあぁっ、きれー!」
くぐもって聞こえにくいにも関わらず、彼女の言葉は口の動きだけでもハッキリと分かった。
こういう時間が本当に楽しい。普段は血と泥にまみれている俺にとって、モデルの仕事というのは慣れないこと以上に心躍る瞬間が多くあった。
勇者をやっているだけでは、感じ取れない気持ちだ。
「ブランドショップ『ピュティシュ・アルマ』へようこそ! 今日もたくさんの服を用意して、あなたを待ってます!」
いつもの宣伝文句を口にしながら、ふとあの日を思い起こす。
勇者ウェスティンが、謎の美少女モデル・セーアとなった日の出来事を――……。