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トウロウ葬(キル・インセクタ)  作者: 来栖らいか
8/15

〔8〕

 土曜日、浩人は憂鬱な朝を迎えた。といっても、既に昼近くなのだが。

 カマキリ達を日光浴させて一階のリビングに降りると、ダイニングテーブルの上にヤキソバを盛った皿がラップをかけて置いてあった。仕事に出かける前に、母親が用意したのだろう。

 母親の料理センスは、あまり浩人の口に合わない。ヤキソバを作る時はキャベツではなくレタスやキュウリを使い、アジアンテイストだと言ってナンプラーや香菜を混ぜ目玉焼きをのせるのだ。普通のヤキソバにしてくれと言っても聞かないので最近は諦めて食べているが、毎週土曜日の昼食が同じでは食傷気味だった。

 先にシャワーを浴び、冷蔵庫から取り出した炭酸飲料を飲みながらテーブルについて、いつもと違うことに気が付いた。目玉焼きがのっていない。ラップを外すと、彩りの良い野菜と肉が入った普通のヤキソバだった。もちろんレタスではなく、キャベツが使ってある。

 皿の隣には大型の紙袋が置いてあり、表面にボールペンで「浩人にお土産」と書いてあった。中身は書籍のようだ

「父さんが作ったのか、めずらしいなぁ」

 現在は都心の外資系イタリアンレストラン・マネージャーをしている父親は、もともとイタリア料理のシェフだった。仕事柄、幼い頃より顔を合わせる時間が少なかったが、息子のことは気に掛けているらしい。たまにこうして昼食を用意したり興味がありそうな本を買ってくれたりするのだ。

 浩人が昆虫に関心を持つようになったのも、風邪で寝込んだ時に父親から送られた昆虫図鑑が切っ掛けだった。

 ヤキソバを口いっぱいに頬張りながら、紙袋を開けてみた。中身は以前から欲しいと思っていた専門書だ。数ヶ月前に科学専門誌の紹介記事を見て、父親がいる時に何気なく話題にしただけなのに覚えていてくれたのだ。

 世界中の昆虫の生態を美しい写真と詳しい解説で紹介した高価な洋書で、一般書店で手に入れるのは難しい。透子の部屋に同じ物があり羨ましく思っていたが、どうやって手に入れてくれたのだろう? 日本製ではない紙袋からすると、度々ヨーロッパに出かけるオーナーに頼んでくれたのかもしれなかった。

 急いで食事を済ませ部屋に戻った浩人は、透子が気付くことを期待して学習机の目立つところに本を置いた。タイミングの良いプレゼントだ、おかげで心配していた話題が確保できた。

 一通り部屋を片付けた後、落ち着かずに部屋を歩き回りながら、どのようなテンションで透子を迎えるべきか頭を悩ませる。

 父親の心遣いは、朝起きた時に感じた重苦しい気分を軽くしてくれた。しかし、透子の母親の言葉が頭から離れない。

 変に明るく振る舞うのも不自然だ、普段通りにすればいい。しかし長い時間一緒にいたら、病気のことを意識して失言してしまうかもしれない。あれほど透子と二人だけの時間を楽しみにしていたのに、今は傷付けないように振る舞えるか心配でならなかった。

 他に誰かいてくれたら当たり障りのない距離で話せるのだが、思い当たる友人もいない。

 ちらりと、彩花のことを考えた。彩花がいたら、女の子同士で話しが合うかもしれない。それとも透子のことを変に勘ぐり、お互い居心地の悪い思いをするだろうか?

 そういえば彩花は、T公園で浩人を見かけたと言った。なぜあの時間、公園にいたのだろう。怒っていたのは透子と一緒の所を見たからか?

「透子さん、まだかな……」

 彩花のことは後で考えよう。今日は『彼女』にとって大事な日だ。

 モルフォチョウのパネルを使った、浩人お手製の時計が十三時を差した時。

「こんにちは」

 玄関チャイムが鳴り透子の声が聞こえた。途端、浩人の心拍数が上がる。

 階段を駆け下り迎えに出ると、私立高校は土曜日も授業があったのか、制服姿の透子が玄関上がり口に立っていた。両手で抱えた大きなバスケットには、大切なオオカマキリの雄が入っているに違いない。

「じゃ、じゃあ……部屋に上がって」

 ぎこちなくスリッパを勧めてから、先に立ってリビング手前にある狭い階段を上がる。

 二階は階段を上ってすぐの右手ドアが浩人の部屋、正面のドアが両親の寝室、左手のドアが母親の経営する輸入雑貨店の品物置き場になっていた。

 部屋に招き入れられた透子は、浩人に断りもなくベッドに腰掛けると籐製のバスケットを床に置いた。そして、おもむろに浩人の部屋を見渡す。

「男の子の部屋に初めて入ったけど、意外と普通なんだ」

 ノートPCが置かれた学習机、飼育箱の並んだローボード、パイプベッド。参考書や昆虫辞典が並ぶ、背の高い本棚。クロゼットに収まらない上着が季節感無しに下がったコート掛け。昆虫の写真パネルが数点。

 お姫様を思わせる透子の部屋とは違い、殺風景な部屋である。一応、飲み物くらいは出すつもりで、以前リビングで使っていた低いガラステーブルを押し入れから探し出しておいた。

「普通じゃない部屋って、たとえばどんな部屋?」

 最初に透子とどう接すればいいか迷っていた浩人は、話題を振られて内心ホッとした。

「う~ん、そうだな。もっと雑然としてて、ゲームやマンガが山積みされてて、アイドルの水着写真が貼ってあって……」

「それ、すごい偏見。部屋はなるべく片付けてあるんだ、カマキリ達が逃げ出した時に見つけやすいからね。まあ、ポスターは今日外したんだけど」

「あ、じゃあ、普段は貼ってあるんだ」

「えっと、一枚くらいは」

 お気に入りのゲームキャラ・ポスター数枚は、透子の来る前に丸めてクロゼットに隠しておいた。女の子を部屋にあげるとなれば、露出度の高いポスターは見られたくない。

「そっか、ヒロ君は普通に女の子に興味があるんだ」

 透子は少し顔を伏せて上目がちに浩人を見つめ、うっすらと微笑んだ。

 知り合って日が浅いはずが、内面を見透かされているようだ。そのうえ親しげに愛称で呼びかけられ、心臓が脈打つ。

 浩人の立ち位置は、ベッドに腰掛けた透子を正面から見下ろす形になる。するとどうしても、ボタン三個を外したブラウスから覗く白い胸が視界に入った。きっちり着込んだ襟のないライト・グレーのジャケットが際立たせる膨らみは、ゆるく結ばれた茜色のリボンタイに縁取られ、いっそう艶めかしい。

 意識しないように努めても、目が逸らせなかった。形も大きさも幼い彩花の胸とは違い、豊かで張りがある。

 触れてみたい衝動に、駆られた。

 明らかに透子は、雌カマキリの性フェロモンを発していた。このまま惑わされ、言いなりになったら? その先に何が待っているのだろう。

 甘い陶酔感を理性で頭の隅に押しやり、浩人は不機嫌を装った。勘の良い透子に、妄想が悟られるのを恐れたからだ。

「俺のことなんか、どうでもいいよ。『彼女』を見に来たんじゃないのか?」

「そうだった、早くみせて!」

 透子の無機質な瞳が期待に輝き、満面に無邪気な笑みがこぼれた。数分前に大人びた性フェロモンを漂わせていた透子が、まるで別人のように幼く見える。

 呆気にとられながら『彼女』の飼育箱を手にした浩人だが、意外な一面を見て透子を可愛いと思った。と、同時に安心する。

 生気のないビスクドール、謎めいた年上の女性は、やはり血の通った少女だった。これならば、病気のことも忘れていられる。自意識過剰になっているのは自分だけだ。

 飼育箱をガラステーブルに置くと、透子がベッドから身を乗り出した。交尾の様子を見るには、餌やり用の窓ではなく蓋を外した方が良いだろう。そう判断した浩人はロックに手を掛けた。

「ニャアァァウゥッ!」

 背後で、猫の鳴き声がした。浩人は反射的に飼育箱の蓋を押さえる。

「やばっ透子さん、バスケット気を付けて!」

 慌てて透子はバスケットを抱え直した。

 開け放たれた窓縁から、灰色の猫がくるりと身を翻し飼育ケースの並んだローボードに降り立った。大きな音をたて、アクリルの飼育ケースが床に散乱する。

 猫はローボードから軽やかに降り立ち、ひっくり返った大小の飼育ケースと餌の入ったタッパーを鼻先で転した。そして雄カマキリ数匹が入った二番目に大きな飼育ケースに目をつけ、きっちり閉めてある蓋を開けようと爪で引っ掻く。しかし容器の蓋は容易に開かず、諦めきれない猫は中のカマキリを取り出そうと通気用のスリットに爪を入れた。

 浩人は急いでコート掛けから上着を掴み取り、大きく振り回した。

「出てけよっ、このバカ猫っ!」

 猫は一瞬動きを止め、浩人を見て鼻をひくつかせながら低く唸り威嚇する。しかし分が悪いと踏んだのか、ローボードから身を躍らせ窓に飛び乗ると、手に入れることの出来なかったオモチャを一瞥して捨て台詞よろしく一声鳴いた。そして窓近くに植えられている紅葉の木に渡り、柘植の生垣に移り降りて姿を消した。

「はぁ……今日は被害無いかな、驚かせてゴメン」

 散乱する飼育ケースを並べ直し、足がちぎれていないか羽が破れていないか確かめながら浩人はカマキリ達に話しかけた。透子が立ち上がり、窓を閉めてカーテンを引く。

「あの猫、よく来るの?」

 低く静かな、明らかに怒気を孕んだ声だった。

「前に一度だけ。俺が学校に行ってる時、母さんが部屋を掃除して窓を開けたままにしてたんだ。そしたら入ってきて……」

 一年前の惨状を、説明する気にはなれなかった。

 猫はカマキリを食べない、オモチャにするだけだ。羽をむしり、頭をちぎり、腹を踏みつぶし、咥えた鼻先で暴れる様を楽しむ。

 その時は、頑丈な飼育箱に入った『彼女』以外、全滅だった。

 以来、窓を開けたままにした事などないが、あの猫はカマキリ達を餌食にする楽しさから窓の開くチャンスを執拗に狙っていたのだ。今日は透子を招くことで頭が一杯だったから、つい油断してしまった。失敗が悔やまれる。

「交尾は、止めた方がいいかもね。猫の騒ぎで『彼女』も動揺してると思う」

 深く溜息を吐いたあと、同意を求めて浩人は透子に目を向けた。カーテンの引かれた薄暗い部屋で、ベッドに腰掛け直した透子の瞳が妖しく光った……ように見えた。あるいは、隙間から漏れる日射しが反射しただけかもしれない。

「いいえ、交尾させましょう。少しのアクシデントは、かえって刺激的だし」

「えっ? でも……」

 普段の浩人なら賛成しかねる状況だった。カマキリはデリケートな昆虫で、警戒心も強い。危険を回避したとはいえ、数時間は様子を見るべきだ。そのうえで餌の食べ方や行動が普段と変わらないか確認し、交尾をさせたほうがいい。

 頭で解っているはずなのに、異を唱えるどころか素直に従いたい気持ちが勝った。

「そうだね、このまま交尾させよう」

「さあ早く、ヒロの大事な『彼女』をみせて……」

 透子の甘えたような囁き声が、浩人の耳たぶを愛撫する。交尾を中止すれば、透子は帰ってしまうだろう。言うとおりにすれば、失敗しても逢う口実が出来るではないか。頭の中に浮かぶのは、透子のことだけだった。

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