〔5〕
二日後の土曜日が、待ち遠しかった。
正確には期待感から待ち遠しくもあり、いまだ正体を掴みきれない透子に会うのが不安でもあった。
雄カマキリは、交尾を続けながら抵抗もせず喰われていく。死と引き替えにしても種を残そうとする本能なのか、それとも栄養を蓄え産卵するために雌カマキリが暗示を掛けているのか。もしかしたら、喰われても離れたくないほど雄カマキリは一個の雌に執着しているのかもしれない。
透子に見つめられた浩人は雄カマキリの気分だった。畏怖を抱きながらも惹かれ、離れることが出来ない。
繋がり続けるかぎり、甘美な夢に墜ちていられるのだろうか?
「……浩人、暮林浩人。授業中に、ぼんやりするな。おまえの好きなカマキリは秋の季語だぞ、なにかあるだろう?」
「え、あ、はい。ええと……」
今は四限目、現国の授業中だった。黒板に学習内容である現代俳句が数本、定年近い国語教師の汚い字で書き出してある。国語教師なら、もう少しマシな字を書いて欲しいところだ。
思考を覆った霞を無理やり追い出し、浩人は現実を迎え入れた。
「かりかりと蟷螂蜂の皃を食む」
「ほう、山口誓子の句だな。山口誓子というのは、新興俳句運動の指導者的立場で―」
国語教師は浩人の読みあげた句を黒板に書き付け、教科書から脱線した講義を始めた。あと十分ほどで授業時間が終わる。隙間時間を埋めるのに、丁度良い題材を提供したようだ。
終業のチャイムが鳴ると、教師の終わりの言葉も聞かず数人の生徒が教室から出て行った。この中学校は自校給食なので、配膳担当は大急ぎで取りに行かなくてはならない。
「昨日、T公園にいたでしょう?」
教科書を片付けようとした浩人は、斜め後ろの声にドキリとして振り返った。声音から想像した通り、彩花の怒った顔がある。
「別に……用があって通っただけだし」
「何の用?」
「関係ないだろ。おまえこそ何だよ、俺のストーカーか?」
「フザケンナ、だーれがヒロなんか!」
彩花は勢いよく立ち上がり、これ見よがしにそっぽを向いた。
また、いつもの癇癪だ。幼稚園の頃からの決まり文句、同じ態度。いつも先に喧嘩を仕掛け、一人で怒って、一人で自己完結して、自分から仲直りしに来る。
無視して机の中に教科書を突っ込み、浩人は小さく溜息を吐いた。
透子との出会いは新鮮で、興奮するような出来事を期待できた。だがそのために古くからの友人を、ないがしろにすべきではない。
たまにはこちらから、折れてやるか……。
近しい女の子から他の女の子に気が移る後ろめたさを正論に置き換え、浩人は自分を納得させた。
パンにポークビーンズ、サラダと牛乳の成長期男子には物足りない給食を食べ終えた後、浩人は身体を後ろに向けて彩花のトレーから牛乳パックを取り上げた。
「もーらいっ!」
「今日はあげない、イチゴ牛乳だし!」
彩花の牛乳は大抵、浩人が頂くことになっていた。小学校の給食から変わらない恒例行事だ。
「今日さ、J公園でコオロギ捕まえるから手伝えよ」
芝生の多いT公園はショウリョウバッタが多いが、低木の多いJ公園にはコオロギが多い。それにT公園は透子の家が近いので、彩花と一緒の時に会いたくなかった。
「えっ、あ~暇があったらね」
浩人の誘いに彩花は、ぱっと顔を輝かせた。しかし隣の席で意味ありげにニヤニヤする女友達に気が付き、わざとらしく顔をしかめる。
「んじゃ、暇があったらJ公園でな」
「たっ、多分いかないけどねっ!」
了解の意味で片手をあげ、浩人は彩花の牛乳パックを手に教室を出た。
理由はわからないが、妙に清々しい気分だった。