〔15〕
花曇りとは、今日の天気を言うのだろう。
桜の蕾がほころび始めたというのに、薄ねず色の空からは弱々しい日が差し、肌寒い風が吹いている。
彩花は親に付き添われて、五ヶ月ぶりに学校を訪れた。
春休みの学校は、グラウンドでランニングする野球部の生徒しかいない。職員室で元気な掛け声を遠くに聞きながら、彩花は母親と教師が話す様子をぼんやりと見ていた。進級は出来るようだが、明日から新学期まで補習に出なくてはならないらしい。
補習を受け、四月から中学三年生となることに現実感がなかった。なぜ自分だけ、変わらず学校に行かなければならないのだろう?
「お母さん、ちょっとだけ二年生の時の教室、見てきていいかな?」
母親と教師は顔を見合わせたが、「心配ないから」と言い切ると許可してくれた。しかし彩花は職員室を出て階段を下り、内履きのまま一階廊下にある非常口を出ていった。中庭に通じる出入り口だ。
彩花が職員室に倒れ込んだ日、中庭には、おびただしい血溜まりが出来ていたそうだ。そして裏門方向に何かを引きずった後があり、鉄柵にもべっとり血が付いていたという。ところが裏門から外には、何かを引きずった形跡も血の跡も残っていなかった。通報を受けて駆けつけた警察は、何者かが学校に侵入し生徒を殺害。証拠隠滅のため、死体を持ち去ったと結論付けた。唯一の目撃者である彩花は事情聴取を受けたが、事件のショックから真実性のない証言をしていると断じられたのだった。
誰も彩花の言葉を信じてはくれない。気の狂いそうな毎日に疲弊し、家に閉じ籠もった。だが彩花は、ある決意を胸に固め立ち直った。
中庭を見渡すと、すっかり様相が変わっていた。花壇がもうけられ、色とりどりの花で花時計が造られている。そう、まるで誰かを弔うかのように。
直径一メートルほどの花時計の傍らに、白い百葉箱があった。小さな屋根が付いた箱を、細い四本の柱が支えている。彩花は柱の一つに貼り付いた、銀色に光る塊を見つけた。長さは二十センチほどで幅が七・八センチくらい、踞った胎児のような形だ。
「うそ……まさかこれって?」
これほど大きな卵囊など、あるわけがない。だが彩花の知る限り、色も形も間違いなくカマキリの卵囊だ。
浩人が大切に育てていた雌カマキリなら、あるいはこのくらい大きな卵を産むかも知れなかった。しかし、その雌カマキリは、透子の母親がもらいに来たという。思い出すとまだ全身の震えが止まらなくなるため自ら確かめたわけではないが、透子の一家は遠くに越したと聞いた。透子が生きているのか、死んでいるのか、解らなかった。
彩花は花壇を囲う白いプラスティック柵を、一本引き抜いた。そして刀のように振り下ろし、卵囊を引き裂く。何度も、何度も、何度も、粉々になるまで砕き続けた。中から、一ミリにも満たない白く小さなカマキリの幼生が溢れ出た。彩花は幼生を内履きで踏みつぶし、地面に擦り付ける。
「殺してやる、殺してやる、絶対に許さない!」
これからカマキリを見つけるたびに、必ず殺してやる。殺し続ければ、いつかあの女に、透子に会えるような気がした。ヒロを奪った透子を絶対に許すものか、今度は負けない。彩花を立ち直らせたのは、怒りの感情だった。
「うっ……ヒロっ……ヒロぉおおっ……!」
花時計に咲く花を、掻きむしりながら彩花は泣いた。粉々になった卵囊が、きらきらと光る雲母のように風に舞い散っていった。
了
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