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トウロウ葬(キル・インセクタ)  作者: 来栖らいか
10/15

〔10〕

 月曜の朝、浩人は日課である契約菜園での餌捕獲作業をせずに登校した。寄り道をしない分、いつもより二十分ほど早い。

 普段ギリギリに教室に入ることが多い浩人は、こんなに早い時間に大多数のクラスメイトが登校しているとは思わなかった。ジャージ姿の連中は、朝練がある運動部だろう。早く登校すると、他にも意外なことに気が付く。

 彩花が自分の席で、なにやら縫い物をしていた。そういえば彩花は手芸部だ、見たところ袋物のようだが。

「ナニ、作ってるんだ?」

「えっ、あ、おはよう」

 袋らしき黒い布を、彩花は慌てて机に突っ込む。

「どうしたの今日は、ずいぶん早いじゃない? 菜園行かなかったの?」

「うん、まあ、餌は足りてるし、それに……」

 菜園に行けば、透子と出会うかもしれない。

 交尾は大成功だったと、透子は言った。しかしあれから一日半経つが、産卵する様子はない。経過を報告し再交尾させるか相談しなくてはならないが、気まずさから連絡も出来ず、偶然出会いそうな場所も避けていたのだ。

「今日は行かなくて正解だよ、しばらく立ち入り禁止だって」

 彩花が顔をしかめ、『一時限目自習』の文字が大きく書かれた黒板を指さした。

「何かあった?」

「あの菜園で日曜の朝、バラバラになった猫の死体が見つかったんだって。犯人が未成年だと大問題だから、緊急職員会議を開いて対策を考えるらしいよ? 酷いことするよね……噂だけど、あの近くに住み着いてたアメショー(アメリカンショートヘア)の雑種だって」

「もしかして灰色の、尻尾が長い雄猫?」

「そうそう、以前、ヒロのお宝を襲った猫じゃない?」

 全身に、冷たい水を浴びた気がした。手と足の指先から感覚が無くなっていく。

 いや、まさか、考えすぎだ……ありえない。

 透子の顔が浮かぶなんて、飛躍しすぎた想像だ。だが、あのビスクドールの白い顔が脳裏から剥がれない。目眩がした。

「どうしたの? 顔、真っ白だよ? あ、いつも行ってる場所だし……さすがに気持ち悪いよね。大丈夫?」

「平気、ちょっと想像力を働かせすぎて、気分悪くなっただけ」

「うわー、それどんな想像?」

 呆れ顔の彩花に苦笑を返し、浩人は胃のムカツキを収めるため教室を出た。

 二時限目の通常授業前には、何とか平静を取り戻せた。すると、自分の考えが馬鹿馬鹿しく思えてきた。本当に、どうかしている。

 何も起こらない、何も心配いらない、普段通りの日常が連続していくだけだ。その中で、彩花との関係や透子との関係が変化したとしても、想定の範囲内から逸脱することなど無いはずだ。

 放課後、浩人は透子の家を訪ねてみようと思った。気まずいまま別れた時間を修復し、交尾の経過報告をしなくてはならない。

 最後の授業、終業チャイムの音と同時に浩人は教室を出た。ところが昇降口に向かって廊下を十数メートルも進まない所で、おなじみの声に呼び止められた。

「ヒロ、ちょっといいかな?」

 振り向けば彩花が、ニコニコしながら立っている。何となく、わざとらしい笑顔だ。

「なんだよ、今日はちょっと急いでるんだ。今じゃなきゃ、ダメなのか?」

「そういうわけじゃ……ないけど」

 途端、彩花は泣きそうな顔になった。微かに罪悪感を覚えて、浩人は場を取り繕う。

「少しくらいなら、いいよ。で、何の用?」

「ここじゃちょっと……家庭科室まで少し付き合ってくれる?」

 家庭科室は浩人たちの教室がある東校舎ではなく、二階の渡り廊下を通って西校舎にある。しかも一番北側で、ちょっとした距離があった。

「面倒くせぇな」

 大儀そうに、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。だが、彩花の用事が気になり、心中は穏やかではない。

「一緒に歩くと、その、なんだから、後から来て」

 言うなり彩花は小走りに浩人から離れ、渡り廊下のある方向に曲がった。

「イミわかんねぇ……」

 本当は解っている。お互いに特別な感情がなければ、一緒に歩いても気にならないはずだった。

 彩花が廊下を渡り終わる間を読んで、浩人は西校舎に向かった。胸がドキドキする、新鮮で心地よい高揚感だ。透子と一緒の時に感じる、囚われた陶酔感とは違う。一方的にアプローチされるより、お互いに関心を持つ方が楽しかった。

 彩花の様子からすると、悪い話ではないだろう。告白だろうか? 

 期待を胸に家庭科室のある北側へと、誰もいない廊下を歩いた。美術準備室、木工室を過ぎ、家庭科室のプレートを見つけた時だった。

「きゃあああっ!」

 彩花の、叫び声だ。

 勢いよく扉を開け、浩人は家庭科室に飛び込んだ。

「彩花っ!」

 教室を見渡すと、電動ミシン台が並ぶ窓際で彩花が踞っている。

「大丈夫か? どうしたんだよ、誰かいた?」

 膝をつき顔を覗き込むと、彩花は小さく首を振り床を指さした。

 表も裏も、マスコットの小さなヌイグルミさえズタズタに切り裂かれた紺色のスクールバック。散乱する裁縫セットやノート、作成物にも刃物跡らしき傷をみて浩人は息を呑んだ。

「手芸部のみんな、家庭科準備室にクラブ・バックを置くんだけど……私のバックが、私のバックだけが床に落ちていて、切られていて、それで……」

 先の言葉が継げずに、彩花は涙を流した。

 誰の仕業だ、酷いことをする。浩人は怒りから、息苦しさを覚えた。と同時に、今朝聞いた猫の話を思い出す。

 何も関連性はない、はずだ。

 それでも何かが、浩人に警鐘を鳴らした。

「先生に言おう、一緒に行ってやるよ。クラスでイジメとか心当たりあるなら、それも話した方がいいと思う」

 彩花が落ち着くように、浩人は背中を軽く叩いた。

「イジメは、ないよ」

 消え入りそうな声で、彩花が答えた。確かに浩人のクラスで、イジメの話は聞いたことがない。

「携帯やPCサイトは? プロフとか、掲示板とか?」

「それもない。プロフは作らないし、のぞきにも行かない。PCサイトは、予備校の交流板にたまに書き込むけど、HNだし喧嘩になったこともないし」

「え? おまえ、予備校行ってるの?」

 意外な情報を得た浩人は、しげしげと彩花の顔を見た。彩花は少し顔を赤らめ、拗ねたような目で浩人を見つめ返す。

「誰かさんは勉強しなくても、テストで七十二点以上取れるから関係ないよね」

「ハァ? それ、俺のこと?」

 七十二点以上と言えば聞こえがいいが、良くて七十五点から八十三点までしか取ったことがない。どうでもいいが、彩花はなぜ浩人の点数まで知っているのだろう?

「アタシは頑張らないと、同じ高校に行けそうにないし」

 そういうことか、と納得した途端、浩人の頭に血が上った。ここまで言われて解らないヤツがいたら、バカとしか言いようがない。

「と、とにかく先生の所に行って、鞄のこと話そう。帰り、家まで送ってやるよ」

「ありがと」

 彩花を立たせ、並んで家庭科室を出ようとした浩人は、当初の目的を忘れている事に気が付いた。

「そういえば、俺に用があったんじゃないの?」

「あ!」

 間の抜けた声を発し、彩花はカバンをひっくり返した。傷つけられた道具の他に小さなポーチやケース、巾着などがバラバラと床に散乱する。よくもこれだけ詰め込んでいると、呆れるほどの量だ。最後に出てきたのは、女の子の持ち物にしては地味なビニール袋だった。

「よかった、奥の方に入れてたから無事だったみたい」

 ぽん、と手渡された、グレー地に黒と黄色のチェック模様がある袋。一応、お約束の『自分にくれるの?』ポーズを取ってから袋を開いた。中身は今朝、彩花が縫っていた物だ。

 広げてみれば、ネル地を縫い合わせた黒い筒状のもので、青い糸を使い浩人のイニシャルが小さく刺繍してある。

「まだ早いけど、ネック・ウォーマーなんだ。本当はマフラーとか編みたいんだけど、不器用なアタシじゃ来年の春まで掛かっちゃう。最近寒くなってきたし、浩人はカマキリの餌とりでいつも朝早いから……風邪引かないでね」

「えっと、ありがと……」

「私の方こそ、ありがとう。幼稚園の頃から私が泣いてると、ヒロは背中叩いて慰めてくれたよね」

 涙目で微笑まれ、浩人の心拍数が上がった。抱きしめたくなる衝動にかられたが、切り裂かれたカバンが現実に引き戻す。

「彩花、おまえ何かあったらすぐに俺に言え」

「なにかって?」

「たとえば誰かに付きまとわれたりとか、変な電話があったりとか、今日みたいな事があったりしたらだよ」

 きょとんとした彩花の顔が、真剣な浩人の言葉に真顔になった。

「うん、わかった。何かあったら助けてね」

 浩人は無言で、頷いた。

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