50 家族が増えた日
「落ち着きましたか?」
「……おねーちゃん」
泣き疲れたクレールはネージュの膝を枕にして眠っていた。そしてゆっくりと目を覚ましたのだ。
大きなウサ耳はまだ撫でられている感覚がある。クレールにとっては心地よい感覚だ。
「も、もう大丈夫……泣きすぎちゃった……」
クレールは、柔らかな膝枕から離れるのを惜しみながらもゆっくりと起き上がる。そして自分の顔を無意識に触った。目元が腫れている。泣きすぎたせいだろう。
クレールが起き上がったことでネージュはゆっくりと体勢を崩す。どうやら足が痺れてしまっている様子だ。ふくらはぎを重点的にマッサージをする。
「マサキさんマサキさん。いつまで泣いてるんですか? クレールはもう落ち着きましたよ」
「うぉぉおぉん……だって……だってよぉおおん……かわいそうすぎるだろぉぉ……俺の涙腺が止まらんのよぉおおんっ」
マサキは小さく丸まり床に転がりながら一人で泣いている。
クレールが泣き疲れ眠ってしまったあともこうして一人で泣き続けていたのだ。
「はぁ〜、ずっとこの調子なんですよ」
「そ、そうなのか…………お、おにーちゃん……」
クレールは自分のために泣いてくれている青年を呼んだ。
「ぅぅ……うぐ……クレール……ぐすっ……今……お兄ちゃんって……お兄ちゃんって……うぅ……クレールぅぅぅ」
マサキも答えるように呼んでくれた少女の名を呼ぶ。そしてお兄ちゃんと呼んでくれたことに対して嬉しくなり涙が徐々に引いていく。
マサキはそのまま丸まっていた体を無理やり起こし涙を乱暴に拭い鼻をすすって呼吸を整え始めた。
呼吸が整ったところでマサキは真剣な表情で口を開く。
「……なあクレール……どんな過去があったとしてもクレールがやってきたことは間違ってるよ」
「そ、それはもちろんわかってるぞ……だからもうおにーちゃんとおねーちゃんには迷惑かけない。ここから出ていくよ……」
「……出ていってどうするんだ? またどこかで盗んだりして生活するんじゃないのか?」
「……そ、それは……」
図星だ。マサキとネージュに迷惑をかけないためにここから離れ二度と現れないと誓ったとしてもクレールの苦しい生活は変わらない。
また別のどこかで盗みを働かなければ生きていけない。そしてバレてしまえば拠点を変える。それの繰り返しだ。明るい未来などどこにもない。
「……だって、だって仕方ないじゃん……全部話した通りだぞ。クーのこの耳のせいで仕事なんて見つかるわけないもん。だから盗むしかない。それが悪いことだってわかってるけど……クーはそれ以外で生きる方法を知らないの! 盗む以外で生きていけないんだから!」
クレールの必死の叫び。そんなことは話を全て聞いていた二人はわかっている。
どんな思いで盗みを働いていたのかは痛いほど伝わっている。しかしマサキは首を横に振った。
「ダメだ。二度と盗みなんてすんな」
「じゃあどうやって生きていけばいいの? クーに死ねって言ってるの? クーだって死ねるなら死にたいよ……」
「そうじゃねーよ」
「じゃあなんなんだよ……クーわからないよ……」
唇を強く噛み拳を握りしめるクレール。本当はマサキの言いたいことはわかる。盗みなんてよくない。働いてお金を稼いで普通に生活しなくてはいけないことをわかっている。
しかし現実が、世界がクレールをそうさせてくれない。だからクレールはわかっているようでわかってないのだ。
全ては悪魔が宿るという伝承がある片方だけ大きなウサ耳のせい。
「……クレール」
マサキは少女の名前を呼び右手を伸ばした。その右手はクレールの頭へと向かっていく。そしてクレールの薄桃色の髪と大きなウサ耳を優しく撫でた。
「ここで働く気はあるか?」
マサキは優しく微笑みながら言った。
「え……どういうこと……」
「いや、どういうことって俺たちの無人販売所で働く気はあるかって聞いたんだよ」
「でもクーはこんな耳だし……」
「こんな耳って俺には可愛いウサ耳にしか見えないぞ。悪魔がどうとかっていう伝承とか俺知らないしそれに信じないよ」
「おにーちゃん……」
「ここから出ていったら別のところで盗みを続けるんだろ? だったらほっとけないよ。それにうちの店も安定してきてちょうど従業員を増やそうかと思ってたところだったしさ……」
マサキは嘘をついた。店はまだまだ安定していない。従業員など増やす予定もない。
透明の姿でずっとそばにいたクレールはマサキが嘘をついていることがすぐにわかった。その嘘が優しい嘘なんだとということも。
それでもクレールは一歩前に踏み出せなかった。
「で、でも従業員だったらクーなんかよりもいい兎人がいっぱいいるよ」
「いや、お前じゃないとダメだ」
「どうしてクーじゃないとダメなの? 盗んだ分を償わせたいから?」
「う〜ん。最初はそうだったんだけど、今は違うな」
マサキは違うと言った。最初は金がなければ働いてもらうと意気込んでいたマサキだ。そのマサキが違うと言いたのだ。
そして息を大きく吸い込み言葉を続けた。
「俺とネージュはクレールと普通に喋れてる。だから盗んだこととか一旦忘れて……クレールを従業員として雇いたい。家がないことも知ってる。家がないなら一緒にここに住めばいい。それに食事だって提供する。一緒に温かい飯を食べようよ。どうだ? 悪くない話だろ?」
人間不信のマサキと恥ずかしがり屋のネージュ。二人が自然に話せる人物はそうそういない。クレール以外ではまだ出会っていないのだ。
道具屋のレーヴィルや冒険者ギルドのミエルとは会話はすることはできる。しかしぎこちない話し方で言葉を発するのに相当の体力を毎回使っている。
そんな二人は体力を使わずにクレールと自然に会話することできたのだ。二人にとってクレールは逸材。そしてマサキが言ったようにほっとけない存在でもある。
「そ、それは……嬉しいけど、おにーちゃんだけの判断でしょ? おねーちゃんはいいの……?」
「はい。もちろんですよ。マサキさんと同じこと考えてました。以心伝心ってやつですね。私からもよろしくお願いします」
相談もなしにクレールを雇うと言ったマサキの意見に大賛成のネージュ。
足の痺れを気にしマッサージをしながらもネージュは天使のような笑顔で答えたのだ。
しかしそれでも受け止め切れないのがクレールである。
「め、迷惑かけるかもしれないんだぞ……料理なんてしたことないし……それに給料とか貰っちゃったら二人が大変になる……ご飯だって……いつかクーは邪魔者になる……そしたら追い出される……」
「邪魔なんて思わないし追い出したりなんかしないよ。給料は初めはめちゃくちゃ少ないかもだけど……飯はちゃんと食わせられる自信はある! だからそんな悲しい顔するなって……」
「クーなんかがここにいていいの?」
「クーなんかって……そんなに蔑むなって。騙されたと思って頷いてくれればそれでいいんだよ」
クレールの大きなウサ耳を右手で優しく撫でるマサキ。この右手はネージュの心を救った右手だ。今、クレールの心の闇をゆっくりと溶かそうとしている。
「もちろん、クレールが嫌になったら逃げ出してもいいよ。クレールが一人で生活したくなったと感じたら俺たちから離れてもいい。ただし盗みをしないと約束できるならの話だけどな」
「おにーちゃん……」
マサキの顔を見るクレール。黒い瞳と紅色の瞳が交差する。
目が合うとマサキは笑顔で小さく頷いた。そのまま視線をマサキのパートナーでもありこの家の持ち主でもあるネージュの方へ向けた。
ネージュも同じく笑顔で小さく頷いた。
「仕事に不安があるんなら少しずつ覚えていけばいいさ。それに無人販売所がオープンしてからずっとここにいたんだろ? そしたらもう家族みたいなもんじゃんかよ。俺とネージュもいつの間にか家族みたいな関係になってたしさ……」
「か、ぞく……」
クレールは家族という響きに肩の力がスッと抜けた。そして小さく呟いたのだ。
クレールにとっては家を出た時に完全に捨てた存在だ。それがどんな形であれ、血が繋がっていなくともまた家族ができようとしているのだ。
クレールにとってどれほど嬉しい言葉か。
「それにさ罪悪感がどうとか言ってニンジンの収穫も手伝ってくれてただろ? それは本当に感謝してる。おかげで営業もできてるからさ。ありがとうな」
感謝の言葉ももらうのは初めてだ。この数時間でどれほどの初めてをクレールは二人からもらったのだろうか。
しかしそれでも頷くのを躊躇っている。
そんな時、マサキは先ほどよりもワントーン声を上げて意気揚々とに自己紹介を始めた。
「俺の名前はセトヤ・マサキ。そっちの白くて可愛い兎人ちゃんは俺の相棒そして家族のフロコン・ド・ネージュ。俺たちは無人販売所イースターパーティーを経営している。夢は三食昼寝付きのスローライフを送ることだ」
そんなことを言われなくてもクレールは知っている。透明になってずっと見ていた。聞いていたから知っているのだ。しかしそんなわかりきったことでも直接目の前で言われたのは初めてだ。
「俺とネージュの夢……三食昼寝付きのスローライフの手伝いをしてくれるか? そんでクレールもよければ俺たちと一緒の夢を追いかけようぜ」
夢。何もないクレールにとっては無縁の存在だった。しかし自分たちの夢を優しく押し付けてくる青年は一緒に夢を追いかけようと言ってくれたのだ。
クレールの真っ暗な未来に一筋の光が差し伸ばされた。その光は一本の道。夢を押し付けてきた青年と同じゴールが待っている道だ。
「お、おにーちゃん……おねーちゃん……こんなクーに優しくしてくれて……ありがとう……」
感謝の気持ちを伝えたクレールは一瞬で消えた。透明になるスキルを使ったのだ。
「クレール……」
残念そうな表情で俯くマサキ。クレールのウサ耳を撫でていた右手の温もりが寂しさを物語っている。そしてマサキの右手は虚しく力が抜けていった。
マサキの右手は力を失いぶら下がった状態になった時。その瞬間、マサキの意思とは別に右手が勝手に動き出した。
「ぅえ!?」
マサキの右手は激しく上下に振られて始める。
透明になったクレールがマサキの右手を上下に激しく振っているのだ。
「なんだかよくわかんないけど……クレール! 俺たちと一緒に働いてくれるのか?」
透明になったクレールからの返事はない。透明になっている間は声も消えてしまうからだ。
しかし右手が止まらないということは肯定しているという判断で間違い無いだろう。
「うぅ……こんなに……こんなに嬉しいのは……生まれて初めてだよぉお……クーは……クーは……生きててよかった……生きててよかったよ……うわぁあああああああああああん……うわぁああああああああああああんっ」
クレールは泣き顔を見られたくなかった。そして泣き叫ぶ声も聞かれたくなかったのだ。なので透明になったのである。
泣き顔も泣き叫ぶ声も二人の目には見えず耳には届かなかった。けれどマサキの腕の振られ具合を見れば透明になったクレールの感情がわかる。喜んでいるのだと。
両親に殺されかけて孤児院ではいじめを受けていた。そして五歳の誕生日に得た透明スキルを利用して盗みを続けてなんとか生き延びてきた兎人族の美少女クレール。
「うわぁああああああああああんっ! うわぁあああああああああああんっ!」
クレールは今日二度目の産声をあげた。生まれ変わるための、人生を変えるための産声だ。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
クレールがマサキとネージュの家族そして従業員になりました。
正式な家族ではありませんが家族のような関係ということです。
立場的に妹ですかね。
クレールはネージュのことをおねーちゃんと呼び、マサキのことをおにーちゃんと呼びます。
そしてネージュとマサキはクレールのことをそのままクレールと呼びます。
次回はもう少しクレールとやりとりをしていこうと思います。
小さくてロリボイス。そして元気で明るいが色々と背負っている兎人族の美少女、クレールをどうぞよろしくお願いします。




