43 乾杯
料金箱の中身を確認して渋い顔をする二人。
「た、足りませんね」
「あぁ、足りないな……」
二人は売り上げを何度も計算する。何度も計算しても結果は同じ。売り上げが合わないのだ。
料金箱の中に入っているのは三万二千ラビとレーヴィルの二個無料のサービス券だ。販売した商品は六十七個。つまり五百ラビ足りない事になる。ちょうど商品一つ分の金額が不足しているだ。
「全員しっかりと払ってるように見えたんだけどな……商品の計算ミスか? レーヴィルさんが間違えて一個多く持っていった可能性は……ないだろうな。俺が一つだけ多く計算しちゃってたって可能性の方が高い……」
「それか銅貨が多いので入れる金額を間違えたとかですかね?」
「それだと銅貨一枚の百ラビだけが足りないとかならわかるんだが……商品一個分の五百ラビだからな……やっぱり俺の計算ミスかもしれない……俺はもう俺自身を疑ってしまっている。この疑いは絶対晴れないやつだ。俺自身だからこそわかる……」
「さ、さすが人間不信ですね。自分自身も疑うなんて……」
五百ラビが足りないのは陳列する商品の計算ミスだということでひとまず落ち着いた。というのもマサキが自分自身を疑いすぎて塞ぎ込んでしまったからだ。
「はぁ〜、もっとちゃんと計算しておくべきだった。はぁ〜、寝不足だったからな……間違えたんだきっと。はぁ〜」
冒険者ギルドのミエルのようにため息を吐くマサキ。
「マサキさん。ちょっと待っててくださいね」
ネージュはぴょんぴょんと跳ねながら塞ぎ込んでいるマサキの元から離れた。そしてレーヴィルから貰った『ハート柄のペアマグカップ』を持ってマサキの元へ戻ってきた。
そのままマサキの前で箱を開封してマグカップを取り出した。
「お、おい。せっかく綺麗に飾ってたのに開けちゃっていいのかよ……」
「はい。飾るよりは使うほうがいいかなって思いました。それにマサキさんに元気を出してもらいたいので」
「そ、そうか。で、でも開けるってことは使うってことだよな。一緒に使うの恥ずかしくないか? ハートだぞ、ハート。ネージュも恥ずかしいって言ってたじゃん」
あれほど恥ずかしがっていたネージュがマグカップを使おうとしている。
「恥ずかしいですけど…………無人販売所開業の乾杯をしましょう。この特別なマグカップで!」
ネージュの意図が判明した。顔を赤らめて恥ずかしそうにしているがこのマグカップで祝いの乾杯がしたいそうだ。
その意図に気付いたマサキは賛成、賛成、大賛成だった。いつの間にか元気を取り戻していた。
「そ、それもそうだな。せっかくの開業だしな。やろうか。そのマグカップで乾杯をやろう!」
「はい!」
嬉しそうに微笑むネージュはマグカップに飲み物を注ぐ。マグカップ注がれるのはワインでも酒でもジュースでもない。新鮮な湧水だ。
二人はまだまだ貧乏。家にある飲み物は新鮮な湧水しかない。それでも二人は文句を言わなかった。
二人は新鮮な湧水が注がれたハート柄のペアマグカップを手に取った。そして目線よりも高い位置で持った。マサキは乾杯の前に一度咳払いをしてから口を開く。乾杯前の挨拶だ。
「え〜、ようやく無人販売所が開業したという実感が湧きました。え〜、これから二人で死ぬまでずっと経営していけたらいいなと思ってます。え〜、そして、え〜、いつか夢の三食昼寝付きのスローライフを送りたいなと思っております」
(や、やぱりこういうの苦手だ。新年会とか忘年会とか打ち上げとかでよく乾杯の音頭やらされてたけど毎回ダメ出し受けてたからな。嫌な思い出が蘇ってきた……それにネージュの前で堅苦しい挨拶しちゃって恥ずかしくなってきた……)
堅苦しい挨拶になってしまったと顔を赤らめるマサキ。その正面に座るネージュも顔が赤くなっている。
(死ぬまでずっとって……マサキさんったら……ハート柄のマグカップ持ってそんなこと言ったら私また勘違いしちゃうじゃないですか……で、でもマサキさんは私のことをどう思ってるんですかね……な、なんか考えたら恥ずかしくなってきました……)
ネージュが赤らめていた理由はマサキの愛の告白のようなセリフにきゅんきゅんしていたからだった。
そんなことを知らずにマサキは乾杯前の挨拶を続けた。
「商売繁盛、一攫千金、千客万来、薄利多売……」
マサキは、縁起の良さそうな四字熟語を知っている限り言い続けた。その後、マサキの知識が尽きたところで乾杯前の挨拶が終わった。
「無人販売所イースターパーティーに……乾杯!」
「かんぱーい!」
無人販売所イースターパーティーの経営者、マサキとネージュの二人による乾杯。
ハート柄のマグカップは軽くぶつかり合いカーンッっと綺麗な音を響かせた。
「ところでマサキさん」
「なんだネージュ。まだ乾杯の音頭が足りないか? 俺なりに一生懸命やったつもりなんだが。あっ、わかったぞ。ネージュもやりたいんだな。本当にネージュって恥ずかしがり屋っぽくない一面もあるよなー」
「乾杯の挨拶はやりたくないですよ! って、そうじゃなくて……明日の商品は……」
「あっ、しまった……店を監視するのに夢中になってて全く頭に入ってなかったぞ。やばい……今から八百屋に行くぞ……って店閉まってるよな……」
「多分……いや、絶対閉まってますね……兎人族の森も暗くて行けそうにないですし……明日も臨時休業ですかね……」
「そ、そんな……一日置きに臨時休業ってうちの店、不安定すぎるだろ……」
開業の実感が湧いた二人だったがしっかりと営業するのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「それにまだ仮眠しか取ってませんよね。体が一番大事ですよ。湧き水飲んだら寝ましょう」
「体が一番大事と言っておきながら夕食は湧き水のみ……売り上げ金はあるってのに肝心の食べ物がないなんて……」
空腹を意識した途端に腹の虫が鳴るマサキ。それに釣られてネージュの腹の虫も鳴る。
そして二人の腹の虫は同時に『ぐうぅぅぅ』と鳴った。
「お、お腹空いてきちゃいますので夕食の話はやめましょう……」
「そ、そうだな……そ、それじゃ話題を変えるとして……明日の八百屋で果物買おうと思ってるんだけど何がいい? クダモノハサミの果物なんだけど。ネージュの好きな果物を入れたいなって思ってさ」
「お腹が空いてきちゃうので仕事の話もやめましょう……」
「な、何も話せねぇ……」
二人は会話の内容が見つからなくなり無言の状態が続いた。なんとも気まずい空気だ。この気まずい空気を変えたのはネージュの一言だった。
「明日に備えて寝ましょうか……」
「そ、そうだな」
眠っている間は空腹のことを忘れられる。二人にとって寝ることは最適解なのである。
ネージュは寝床の準備するために立ち上がろうとする。
「それじゃ布団を出しますね」
「あっ、最後にもう一回だけいい?」
マサキはネージュを呼び止めた。そして乾杯の時と同様にマグカップを掲げた。
「ネージュ。これからもよろしくな。夢の三食昼寝付きのスローライフを絶対に叶えようぜ!」
「は、はい。よろしくお願いします。絶対に叶えましょうね!」
湧き水を飲み切った空のマグカップがカーンッっとぶつかり合った。先ほどよりも鋭く短い音が部屋中に響き渡った。
それと同時に別の音がキッチンの方から聞こえてきた。食器が何かにぶつかったような軽い音だ。
(何の音だ? 食器かなんかズレたのかな? まあいいか。気にするようなことじゃないし……)
本当に些細な音。食器がズレた時に生じる音。何も気になる必要がない環境音だ。
二人はその音を深く追求することなく寝床の準備を始めた。
マサキが異世界転移してから六十八日目。無人販売所を経営している実感が湧いた日だった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
乾杯の言葉をフランス語にしようと思ったのですがフランス語で乾杯は『チンチン』と言うそうです。
グラスのぶつかる音からそのようになったという説があります。
さすがに『チンチン』って叫びながら開業を祝いのはちょっと……と思ったので普通に乾杯にしました。




