324 呪いの鎖
「やっと……やっと終わったか……」
思わず口に出してしまいたくなるほど、ブランシュはクイーンとの戦いに勝利したことに安堵していた。
それを肯定するように『月の声』の流暢に話す女性の声が脳内で再生される。
《はい。終わりました。マスターの勝利です》
(黒エルフとの勝負には勝ったが……まだまだやるべきことは残ってる。月の声、私の体が不自由なく動けるようになるまでどのくらいの時間を有する?)
数多のスキルを所持するブランシュは治癒魔法を使わずとも、自身の傷を癒すことが可能だ。折れた骨も、焼けた皮膚も、貫かれた内臓でさえも治癒可能だ。
クイーンとの死闘で致命傷を負っている故、この状態ではこれ以上の戦闘は行えないと判断しているのである。
それだけ全力を出したのだ。それだけクイーンは強かったのだ。
《多く見積もって四時間ほどの回復が必要かと思われます》
(四時間か……)
四時間――それはブランシュにとってはあまりにも長い時間だ。
この四時間で戦況がどれだけ変わるのか、良い方向に傾けばいいのだが、それの逆だった場合がとてつもなく怖いのである。
そしてもう一つ頭に過っている嫌なことがあった。
(回復するまでの四時間の間で、悪の組織の幹部クラスとは絶対に戦いたくないな……先にサルと戦っておいて本当に良かったよ)
《そうですね。なるべく人気のないところに向かいましょう。ここは見通しが良すぎて気配を消していたとしても魔獣にすぐ見つかってしまいますから》
(そうだな。今なら下級の魔獣にも苦戦しそうだ)
ブランシュは覚束ない足取りでこの場から去ろうとする。
その際、深青の瞳でクイーンの姿を映す。先ほどから何一つ変わらない美しい芸術作品のような姿だ。
《個体名クイーンの死亡は確認しています。そして死後の呪いも発動していません。安心してください》
(ああ。それは分かってるんだが……最後にな。黒エルフの……クイーンの姿を見ておこうと思って。私が修練を怠らずに強さを求め続けれたのは、彼女のおかげでもあるからな)
ブランシュはクイーンと死闘を繰り広げた八年前から覚悟を決めていたのだ。
クイーンにすら勝てなければ『いずれ来たる大戦争』を終結させることができないのだと。『白き英雄』にはなれないのだと。だからもっと強くなろうと覚悟を決めたのである。
もし八年前にクイーンと死闘を繰り広げていなければ、ここまで修練を重ねていなかったかもしれない。貪欲に強さを求めていなかったかもしれない。
だからクイーンとの出会いはブランシュにとっては大きな出会いだったのだ。
そんな彼女を最後にひと目見ておきたいと思うのは当然なのかもしれない。
「安らかに眠れクイーン」
その一言をクイーンに贈ってブランシュは前を向き歩き出す。
一歩目、否、半歩進んだその時、背後から異質な殺気をブランシュと月の声は感じ取った。
「――な、なんだ!?」
ブランシュは反射的に背後を確認した。
その深青の瞳に映ったのは、異質な殺気を放つどす黒い二つの影だ。
クイーンの気配とよく似た黒い影とキングから授かったとされる呪いの影、それが二つだ。
《個体名クイーンの死後の呪いが発動されました》
月の声がすかさず知らせる。
クイーンの気配とよく似た黒い影の正体は『死後の呪い』。
死後、その者の強い念を受け継ぐ呪いの一種だ。その者の念が強ければ強いほど『死後の呪い』の強さ、願いを、想いを叶える強さに反映する。
「黒エルフに似て呪いもマイペースだな。もう少し勝利の余韻に浸りたかったのだが……」
ブランシュはこの場から逃げるために『神足スキル』『跳躍スキル』『瞬発スキル』の三つのスキルを同時に発動した。
三つのスキルを同時に発動した理由は、どれか一つでもスキルの発動が間に合えば、この場から逃げ切ることが可能だからだ。勝算は高ければ高い方がいいのである。
「――なッ!?」
逃げようとしたブランシュの足は、何かに掴まれてしまい一歩も動くことができなかった。
その何かとは鎖だ。どこからともなく出現した鎖によって行動を制限されてしまったのである。
(この鎖は!?)
《呪いの鎖です》
(くそ。やられた。このままだとまずい!)
屍となったクイーンの体から放出されている二つの呪いが鎖の形に変化したもの。それが呪いの鎖だ。
ブランシュは両足を縛り付ける呪いの鎖ごと飛び出してこの場から離れようとする。
それでもブランシュは一歩も動くことができずにいた。さらには徐々に力が吸い取られているような感覚に苛まれている。
力が吸い取られて無くなってしまう前にブランシュは『月の剣』を呪いの鎖に向かって振りかざそうとした。
しかし、その振りかざそとする腕も一ミリたりとも動かす事ができずにいた。
「――くッ」
呪いの鎖がブランシュの腕も拘束したのだ。
さらにそれだけではない。動かすことができなくなった腕から『月の剣』だけを奪ったのだ。
『月の剣』が簡単に奪われてしまったのは、ブランシュに『月の剣』を握り続ける力が残っていなかったからだ。
奪われた『月の剣』が向かう先は、屍となったクイーンのところ。
カランッと音が鳴り、まるでお供物をするかのようにクイーンの側に『月の剣』が置かれた。
その瞬間、『月の剣』を奪った呪いの鎖がブランシュの元へと向かっていき、更なる拘束を始めた。
ブランシュは呪いの鎖に拘束されて体の自由が奪われてしまう。
そして奪われたのは体の自由だけではなかった。
(月の声! この鎖の脱出方法は?)
月の声に打開策がないかと尋ねるブランシュだったが、月の声からの返事は返ってこなかった。
(月の声! 月の声!?)
焦りはじめるブランシュ。冷や汗を流し心拍数が上昇を始める。
(まずいな。この鎖、能力までも拘束するのか)
ブランシュの考察通り、呪いの鎖はこの世界にある四つの特殊能力『加護』『魔法』『スキル』『呪い』の力をも拘束し使えなくしてしまうのだ。
数多の回復系のスキルを屈指することによって四時間で回復するはずだったブランシュの体は、本来の自然治癒力でしか回復することができなくなってしまったのである。
致命傷を負っている体に対して自然治癒力のみ。それはつまり生命の危機を――死を意味することとなる。
「初めからこれが狙いだったのか!? 黒エルフ!!!!」
クイーンに向かって叫ぶブランシュだが、当然の如く屍となったクイーンは答えてはくれない。ブランシュの声はただただ虚しくも風に流されるだけ。
(そうか……勝ち負けなんて最初から関係なかったんだ。私は最初から黒エルフの術中に嵌っていた。キングの手のひらの上で踊らされていたということか……)
そのように解釈したブランシュの体は宙に浮き始める。
呪いの鎖がブランシュを浮かしているのだ。そのまま呪いの鎖はブランシュを何処かへ連れて行こうと動き出した。
(この方角は……人間族の国か……)
ブランシュの思考通り呪いの鎖は人間族の国へと向かっていた。
途中で壁や木々などの障害物があったとしてもお構いなし。障害物を破壊しながら真っ直ぐに突き進む。
障害物に衝突し破壊するたびブランシュに激痛が走る。それが何十回とあった。
『身体大強化』のスキルや『痛覚大軽減』『打撃大耐性』『衝撃大耐性』のスキルが発動できないため、大ダメージは免れないのである。
さらに致命傷を負った体ではこの一つ一つの衝撃は死に直結する。
「――ガハッ!!!」
ブランシュは意識だけは失わないようにと頑固たる意志を持って、障害物への衝突を覚悟していた。
不幸中の幸か。呪いの鎖の溢れんばかりの禍々しいオーラが先に障害物に触れているため、ブランシュへのダメージは多少なりとも軽減されている。
だがそれだけのこと。満身創痍の体でスキルが発動できないただの常人の体には、耐え凌ぐのは困難に近いものだ。
「ぐ……うぅうう……」
歯を食いしばれば食いしばるほど唸る喉。
拳を握れば握るほど唸り声は大きくなる。
(耐えろ耐えろ耐えろ! 私!)
ブランシュは言い聞かせる。
(耐えろ耐えろ耐えろ! アンブル・ブランシュ!)
意識を強く保つため、己を奮い立たせようとする。
(ここでくたばってしまったら全てが無駄になるぞ。この世界を守れずに死んでいいものか。意識を強く。意志を強く。アンブル・ブランシュ! 戦え! 戦うしかない! なるんだろ! 白き英雄に!)
「――グフッ!!!」
己を奮い立たせるブランシュ。錯覚かもしれないが、奮い立たせている間だけは全身に走る激痛が和らいでいるように感じられていた。
だから奮い立たせることを、意識を強く保つことをやめない。
彼女なら死んでもそれをやめることはないだろう。もしここで死んでしまったらクイーンと同じように『死後の呪い』が発動してキングの野望を阻止するまで彷徨い続けるかもしれない。
この『呪いの鎖』がそれを許してくれるのならだが。
「……はぁ……はぁ……はぁはぁ……すーっ、はぁ……」
壁や木々などの障害物が無くなり呼吸を整える場面がやってきた。
それは同時に目的地である人間族の国への到着が近いことも意味する。
「着いた……のか?」
ブランシュは人間族の国を見下ろしていた。
いつの間にか雲の近くにまで上昇していたのだ。
最初からこのくらいの高度で飛んでくれれば障害物に激突せずに済んだのに、と呪いの鎖に怒りをぶつけようとしたが、それは呪いの鎖の思う壺になってしまうかもしれないと悟り、ふつふつと煮えたぎる怒りを抑えた。
そんな怒りを抑えたばかりのブランシュにその怒りが抑えきれずに沸騰してしまうようなことが起きる。
「――くッ! おいおいおいおいおい!!!」
雲の近くにまで上昇したかと思いきや急降下し始めたのだ。
落下予想は真下の人間族の国。建物の屋根なのか、地面なのか、湖なのか、森の中なのか、この時点では定かではない。
けれどブランシュは落下地点がこの場所なのではないかと悟っていた。否、野生の勘というものだろうか。どちらにせよブランシュは落下地点が予想ついていたのだ。
「……王宮」
ブランシュの予想通り、落下地点は王宮だ。王宮内には全ての聖騎士団の総本山でもある本部があり、ブランシュも何度も訪れたことがある場所だ。
この王宮に住む国王はジングウジ・ロイ。この大戦争を企てた悪の組織の親玉だ。
今のブランシュからしたらこの王宮は悪の組織のアジトにしか思えないだろう。
そんな場所に連れてこられてしまったのだ。急降下中のブランシュは死を覚悟した。
無論、万全な状態ならそんな覚悟はしない。致命傷を負っているだけでも死を覚悟することなどしなかったであろう。
ただ今のブランシュの状況は別だ。
致命傷はもちろんだが、加護もスキルも魔法もさらには呪いも使えずに体の自由もない。
そして敵のアジト。悪の親玉であるキングやクイーンと同格の大幹部であるルークが待ち受けている可能性もある。魔獣も数十匹、数百匹いてもおかしくないのだ。
こんな状況、こんな場面だからこそ死を覚悟するしかほかならないのである。
ブランシュの予想通り王宮に落下する。
王宮の屋根を突き破る。そして、頑丈な床を三枚、四枚と突き破り地下へと到着。その地下の床を突き破ることなくゴミ捨て場に捨てられているぬいぐるみのように放置された。
「……止まった……」
呪いの鎖は解けてはいないものの静止したことに安堵する。
そして自分自身がまだ生きていることにも安堵していた。
しかし、その安堵は瞬きの刹那のみ。
ここは敵の組織の中心。何が起きるのかわからないからだ。
「ここは、地下か……魔獣が襲ってきそうだな……」
気配を感じ取る力が残されていないため、深青の瞳で辺りを見渡した。呪いの鎖に拘束されながら倒れている自分の視野全てを見渡したのだ。
しかし、いつまで経っても魔獣は襲ってこない。それどころか足音も聞こえてこない。
覚悟していた死とは裏腹に驚くほどの静寂がブランシュを包み込んでいた。
その静寂は自分が既に死んでしまっているのではないかと錯覚させるほどのもの。
幸いここ落下する際、天井を突き抜けているため光が差している。眩しい光だ。
実際には温かさは感じないものの、気持ち的には温かなものを感じていた。
(辛うじて生きているが……この鎖がある以上、ひとりではどうすることもできないな。月の剣さえあればなんとかできたかもしれないが……まあ、ないものをねだっても仕方がないか……助けが来るのを待とう)
ブランシュは助けに来てくれる誰かに希望を託した。
それまでは冷たくならないようにと意識を保ち続ける。呼吸を丁寧にゆっくりと行い続ける。
殺されずに済んだのだから、この場所を自分の墓場にしてはダメなのだ。生きていれば、生きてさえいれば何でもできるのだから。
「死んでたまるか」
静寂の地下でブランシュの生に縋る強い意志の言葉だけが強く跳ね返る。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
大大大大ピンチで幕を閉じた今回の章。
ブランシュはどうなってしまうのか?
ブランシュを助けに来るのは誰なのか?
月の剣もどうなるの?
ブランシュが助からなかったら世界はどうなっちゃうの?
誰がキングを倒すの?
など色々と気になる点が多くなってしまいましたが、全て解決していこうと思いますのでご安心ください。
そして次回は前回もお知らせした通りマサキたちの場面に戻ってガルドマンジェVSルークをお届けします!
お楽しみに!




