310 遅れて登場するのが英雄(ヒーロー)
「胡椒とか卑怯だぞ!」
胡椒にやられていた茶髪で細目の男ホンザワが叫んだ。どうやら叫べるまでに胡椒に慣れてきたらしい。
そのままネージュと対峙するアンドウの方へと向かって行く。アンドウの手助けをするつもりだ。
「見えない野郎よりもまずは見える野郎からだ!」
近付いてくるホンザワに気が付いたクレールは動き出す。
『透明スキル』の効果で誰にも気付かれずにホンザワの背後に周った。そして思いっきり落ちているフライパンを拾って思いっきり後頭部を叩く。
ドゴンッ、と何度も効いた鈍い音が鳴り響く。
「クソ!!! 邪魔すんなァー!!」
ネージュの元へと向かっていたホンザワは踵を返して、再び透明状態のクレールを探すために意識を向けた。
これによってネージュへの妨害を防いだのだ。
そんな中、憤怒しているネージュは対峙するアンドウに向かって動き出す。
力の差は歴然。それでもネージュは家族を守るために拳を強く握りしめる。
温厚で優しい性格のネージュが、恥ずかしがり屋で小心者のネージュが、人に拳を向けようとしているのだ。
それだけのことを悪人顔の黒髪の男アンドウはやったのである。
「許しません!」
そのままネージュの右拳がアンドウの顔面に向かっていく。
しかし、ネージュの右拳はアンドウの一回り大きい右手によって軽く受け止められてしまう。
これが先ほども言った力の差だ。強い意志だけでは埋めることのできない力の差。
アンドウはネージュの右拳を掴んだままネージュを引っ張って自分のところへと引き寄せる。
その瞬間、ネージュの右拳に代わって左拳がアンドウの顔面へ向かっていくが、それはアンドウの左手によって軽々しく弾かれてしまう。
そのままアンドウは、ネージュの上半身の露出を守る一枚の下着のような布に左手が伸びる。
右手は掴まれたまま。抵抗するのは利き手ではない左手と両足。叩いたり蹴ったり抵抗するもアンドウには全く効いていない。
しかし、アンドウもアンドウで片手で下着のような布を破くほどの怪力の持ち主ではない。
だからアンドウはネージュを床に叩きつけるように投げ飛ばす。
「おねーちゃん!」
ホンザワの相手をしている透明状態のクレールも思わずネージュの名を叫んでしまうほど、ネージュが床に叩きつけられる音は大きかった。
今すぐにでも助けに向かいたいが、ホンザワという男をフリーにさせる方が危険だと判断したクレールは、ネージュを助けられないもどかしさに胸が苦しくなる。
「威勢がいいのは結構だが観念しな。お前みたいな汚ねぇ耳が生えた種族は俺に犯されて喜びながら死ぬのがお似合いなんだよ!」
「外道め! お前なんか、マサキさんが! マサキさんがやっつけてくれるんですから!」
「そのマサキってのはどこにいるんだ? いないんじゃ助けてもらえないよな?」
「絶対にマサキさんは助けに来てくれます!」
「なんとでも言え! クソブスがァ!!」
アンドウの怒号とともに布がビリビリと破れる音が響く。
ネージュの純白な上半身を守っていた下着のような布がついに破れてしまったのだ。
「ぅう……」
「泣け泣け泣けェ! 俺様が唯一お前みたいな汚ねぇ耳が生えた種族を許せるのは、その怯えた泣きっ面だけなんだからよォ! ヤベー。もっと興奮してきた。だからもっと泣けェ!」
アンドウはネージュにさらなる恐怖を植え付けようと、白銀の髪を掴み拳を振り上げた。
(…………助けてください。助けてください……マサキさん)
ネージュは強く願った。マサキの顔を思い浮かべて強く願う。
マサキの優しい声も、同じ石鹸を使っているのに違う良い香りがするマサキの匂いも、大きくて暖かいマサキの手の温もりも、マサキの全てを思い浮かべながら強く強く願った。
「はぁはぁ……つ、通路が塞がれてるんですけど!? こ、これどうなってるんですか?」
幻聴が聞こえるほど強く願いすぎてしまった。この瞬間までネージュはそう思っていた。
しかし、これは幻聴ではないのだと、目の前で悪人顔の男が証明する。
「チッ。良いところで誰か来たな」
(誰か来た? 誰が……聞こえる声はマサキさんの声。でもこれは、幻聴…………なんかじゃないです! マサキさんです! マサキさんが帰ってきてくれたんです!)
髪を掴まれて今にでも殴られそうなこの状況でもネージュは安堵した。
マサキがすぐそこに、部屋の外、つまり通路の先にいるからだ。
しかし、安堵したのも束の間、塞がれている通路が青く澄んだ瞳に映ってしまう。
これでは助けに来るのに時間がかかってしまうではないかと。すぐそこにいるのに声しか聞こえないではないかと。塞がれた通路を見て思ってしまったのだ。
そして同じように塞がれている通路を見ている男はニヤリと笑った。何かを企んでいる時の表情だ。
「それじゃ助けに来たやつにお前が犯されてる姿を見せてやろうぜ? グッハッハッハッハッハ!」
アンドウは振り上げていた拳を下げた。その代わりにネージュの両手を強く掴んだ。
さらにはネージュを押し倒そうとする。このまま上に乗って宣言通りのことをしようと企んでいるのだ。
もちろんネージュも抵抗するが、アンドウの力の前では無力でしかない。
押し倒されるのであれば押し倒されてしまう。上に乗られるのであれば上に乗られてしまう。それだけネージュは無力。そしてアンドウは力付くで成し遂げようとしている。
しかしネージュは抵抗をやめない。
自分が無力だと知っていても抵抗をやめない。否、無力だと知っているからこそ抵抗しているのだ。そして自分ではどうにもできないからこそ声を上げるのである。助けてと。
「マサキさん! 助けてください!」
「ガッハッハ! 無駄だよ。すぐには助けに――」
助けに来ない、と言おうとしたアンドウが言葉を最後まで言い切る前に吹き飛んだ。
それだけではない。マサキとともに作った無人販売所イースターパーティーの店舗スペースと部屋を分ける壁に大きな穴が開いて貫通したのである。
その穴から全身黒ジャージの青年が、金髪の幼女を背負い、チョコレートカラーのウサギと子ウサギサイズの妖精を抱き抱えながら姿を現したのだ。
そんな全身黒ジャージの青年が壁に開いた穴から現れる三分前のこと。
彼は全力で兎人族の里を走っていた。
「はぁはぁ……だはぁ……がはぁ……ぐはぁ……やっと……はぁはぁ……豚をまいた……魔獣、を……はぁはぁ……」
マサキたちは、悪の組織の幹部の一人、猫人族の男ミオレを倒した直後から今までずっと、複数の魔獣に追いかけ回されていたのである。
最後までしつこく追いかけ続けたのがマサキが言う豚の魔獣――光豚だ。
その魔獣をやっとの思いでまいたのである。
「見事な走りだったよ。セトヤ・マサキ」
「はぁはぁ……ありが……ざい、ます……はぁはぁ……」
「では、魔獣をまいた記念に紅茶を飲むとしようか」
「はぁはぁ……はぁはぁ……だはぁ……ぜぇ……」
マサキは、背中に乗る金髪の幼女――兎人族の神様アルミラージ・ハクトシンに返事をしなかった。
返事する体力がもったいないと思ったのだ。なんとも神様に失礼だが、マサキたちの状況を見れば誰でも納得するだろう。
マサキからの返事がなかったのを良いことに、ハクトシンはどこからともなく紅茶を取り出しマサキの背中の上でずるずると啜り始めた。
「うん。やっぱりキミの背中の上は最高だ。もしかしてキミの前世はティーパーティー用のテーブルだったりしてね。いや、椅子かもしれない」
「はぁはぁ……ありが……ざい、ます……はぁはぁ……」
嬉しい言葉をもらったわけではないが、適当に感謝の言葉で返すマサキ。この適当な感謝ももう数えるのが面倒になるほどしてきていた。
本来なら無礼極まりないが、状況が状況だ。幾度となく適当に返事を返したり相槌を打ったりしてきたのだ。
「ところで、あとどのくらいで目的地に到着するんだい?」
「はぁはぁ……も、もう……はぁはぁ……だはぁ……ぜぇ……すぐ、ですよ……はぁはぁ……」
「よかった。キミの背中は居心地がいいがそろそろ腰の方が限界でね。椅子に座りたいと思ってたところだよ」
「はぁはぁ……お、俺も……はぁはぁ……だはぁ……ぜぇ……と、とっくに、げ、限界、ですよ……はぁはぁ……」
そこから少し走ってようやく目的地が見えてくる。そう、マサキの目的地は店舗兼住居である無人販売所イースターパーティーだ。
マサキの黒瞳に無人販売所イースターパーティーが映った。
普通なら目的地が見えて喜びの感情が湧き出るものだが、マサキの心にポッと現れた感情は『不安』だった。
「……はぁはぁ……と、扉が……壊されてる………はぁはぁ……」
無人販売所イースターパーティーの扉が壊されているのを見て、不安を感じたのだ。
大戦争はすでに始まっている。その被害がここまで及んでいるのだ。
(魔獣か? それともミオレみたいな悪い奴らか? どちらにせよやばいぞ)
マサキは一刻も早く家に到着したいと前のめりになって走る。一歩も先ほどよりも大きい。
限界を迎えていたはずなのに『不安』の感情がその限界を容易く超える力となったのだ。皮肉なことだ。
それでもその皮肉を受け入れて走った。走る速度が上がり家族を助けられる確率が上がるなら皮肉だろうとなんだろうとマサキは受け入れるのだ。
そんな不安に駆られるマサキの鼓膜にハクトシンの真剣な声が振動した。
「あれは魔法によるものだね」
「はぁはぁ……ま、魔法……ですか……はぁはぁ……」
「ああ。魔法を使える魔獣は非常に少ない。それに魔法を使える魔獣はかなり強いからね。扉だけを破壊したとなると人の仕業の可能性の方が十分に高いよ」
「……ひと……ですか……」
「人は魔獣よりも厄介だよ。気を引き締めるんだね。セトヤ・マサキ」
その言葉にマサキは生唾を飲んだ。口呼吸をし続けて渇いた喉がその瞬間、少しだけ潤う。しかし、すぐに口呼吸をするため再び渇いてしまう。
その渇きがさらに不安を掻き立てる。
(大丈夫。絶対に大丈夫だ。ネージュたちならなんとかやってくれる。クレールのスキルもダールのスキルもすごいのは俺がよく知ってるだろ。だから大丈夫。絶対に大丈夫……)
マサキは自分に言い聞かせた。強く強く言い聞かせた。
言い聞かせたら言い聞かせただけその通りになると思ったからだ。だから何度も家族全員が無事だと言い聞かせる。
しかし、壊された扉を見るたびに心がズキズキと痛む。
(早くみんなの顔を……みんなの無事な姿を見て安心したい。だから絶対に無事でいてくれよ)
その願いとともにマサキは壊された扉から、無人販売所イースターパーティーの店内に足を踏み入れる。
そこで真っ先に目に入ったのが、商品棚に綺麗に陳列された無人販売所イースターパーティーの商品だ。
(魔獣なら食べ物も荒らすはずだ。やっぱりハクトシンさんが言った通り人が来たってことか)
その時、壁の奥から激しい物音がマサキの耳に届く。そして微かに聞こえる人の声や泣き声もあった。
その物音がなんの音なのか、人の声が誰の声なのか、泣いているのは誰なのか、それを確かめるために店内と部屋を繋ぐ通路へと向かう。
「はぁはぁ……つ、通路が塞がれてるんですけど!? こ、これどうなってるんですか?」
「誰も入れないように塞いだんだろうね。でも中から嫌な音が聞こえてるよ」
「で、ですよね。早く中に入って確かめたいんですけど、ルナちゃんとビエルネスを持ちながらだと……」
「あとボクを背負ってる」
「わかってるんだったら降り――」
降りてください、と言おうとしたマサキの言葉が通路の先の部屋から聞こえた叫び声によって遮られる。
「マサキさん! 助けてください!」
マサキが知っている声。ネージュの声だ。
必死に助けを求めるネージュの声がマサキの耳に届いたのだ。
その瞬間、マサキは全身が不安の靄に包まれたような感覚を味わう。
一刻も早くネージュを助けに行きたいのに、通路が塞がれているせいで助けに行けない。
それでも助けに行こうとするマサキは考える。そして瞬時に閃く。両手が塞がっているのなら足を使えばいいと。
マサキは塞がってしまった通路を蹴って空けようとした瞬間、背中に乗っている金髪の幼女が暴れ始めた。そしてその幼女が息を吐くかの如く囁く。
「朗報だ。ボクの体力がたった今、全回復した」
その囁きの直後、マサキの視界に激しい光が映る。光ったと思えば激しい破壊音と風圧とがマサキを襲った。
激しい光のせいで目を瞑ってしまい何が起きたのかを目で確認することはできなかったが、破壊音と風圧それに目を瞑った原因である激しい光から、何が起きたのか容易に想像できた。
だからマサキは目蓋のカーテンを開けるのと同時に一歩踏み出す。否、目蓋のカーテンを開けるよりも前に体は動いていた。
壁も商品棚も商品も何もかもがめちゃくちゃになった道を通り部屋の中へと入る。
遅れて登場するのが英雄。そんな言葉があるようにネージュたちの瞳には、マサキが英雄に見えただろう。
「また全体力を消費した。よろしく頼むよ。セトヤ・マサキ」
「えぇえ! またですか!? って、これはさすがにやりすぎですって! ネージュたちに当たったらどうするんですか? 小さい子供もいるんですよ!」
「一刻を争う状況だったのでな」
「そ、そうですけど……いや、そうだった!」
マサキは部屋全体を見渡す。その瞬間、不安に駆られていた感情は怒りの感情へ塗り変わる。
奥歯を食いしばり、拳を強く握り、眉間にシワが寄った。全身が沸騰するかのように熱くもなっている。
しかし、怒りの感情に心が支配されていてもマサキの頭は冷静だった。
今何をするべきなのかを的確に判断して、この絶望から家族を解放しようと動くのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
マサキ登場です!
いや〜グッドタイミングですよね!
これぞ主人公!
そんなタイミングを狙ってここで登場させました!
でもルナちゃんもビエルネスもまだ目を覚ましてません。
そしてハクトシンさんは再び力を使い果たしました。
マサキ一人で大丈夫なのか?
次回をお楽しみに!




