275 異世界転移三百六十五日目
マサキが異世界転移してから三百六十五日目。運命の日が――大戦争が起こる日がやってきた。
大戦争が起きるとはつゆ知らず、今日もマサキたちは平和な時を過ごしている。
「あなたが落としたのは、このもふもふのルナちゃんですか? それともこのもふもふのルナちゃんですか?」
薄桃色の髪をした兎人族の美少女クレールは、チョコレートカラーのイングリッシュロップイヤーのルナを抱き上げながら『金の斧』のような台詞を言っていた。
そんなクレールの台詞を聞いていたのは、オレンジ色の髪をした双子の姉妹の兎人族ジェラ・デールとジェラ・ドールだ。
今日はデールとドールが通っている学舎が休みで家でごろごろくつろぎながら遊んでいるのである。
これも一つのスローライフだ。
そんなデールとドールは、キラキラと黄色の双眸を輝かせながら、左右に振られるルナを見ていた。
左右に振られているだけでどちらも同じルナなのだが、どっちのルナがいいのかと問われてどちらも選びたくなっているのだ。
「ンッンッ」
「じゃあデールはこっちー」
「ンッンッ」
「じゃあドールはこっちー」
双子の姉妹は珍しく意見が割れた。デールは右に振られた時のルナ。ドールは左に振られた時のルナだ。
シンクロ率が高い双子でも意見が割れてしまうほどルナは可愛いということなのである。
「正直者のデールとドールには、このもふもふのルナちゃんをあげるぞー」
「わーい!」
「わーい!」
クレールはデールとドールの二人の間にルナを置いた。
デールとドールは同時にルナのもふもふボディに向かって顔を埋めた。
これで一通りの『金の斧ごっこ』が終わりを迎えた。
そんなタイミングを見計らっていたのか、黒髪黒瞳の青年セトヤ・マサキがルナを持ち上げて自らの頭の上に乗せた。
「ちょっとこのもふもふのルナちゃんを借りるね」
「どこかいくのー?」
「どこかいくのー?」
ルナを頭に乗せたマサキの足元にラタン製のバスケットが置いてあり、デールとドールはマサキがルナを連れてどこかに行くのだと判断した。
その判断は正しく、マサキは今から兎人族の森に行こうとしているのである。
「うん。今からルナちゃんと二人でニンジンの収穫してくる」
「ふ、二人で!?」
声を上げたのはクレールだ。
右目は薄桃色の大きなウサ耳と前髪で隠れて見えないが、両目を大きく開いて驚きの表情を浮かべている。
クレールが驚いたのは、マサキが自らの意思でルナを連れて、二人だけで家を出たことが一度もないからだ。
「呪いが解呪されて一人でも外に出れるようになったからさ。それにルナちゃんで試してみたいことがあるのよ。だから二人で行ってくる」
「ルナちゃんで試してみたいこと?」
「ふふふっ! 特別に教えてあげよう! ルナちゃんのこの可愛らしい小さなお鼻を使って、森のニンジンを掘り当てるのだー!!」
「ンッンッ! ンッンッ!」
マサキはルナで試してみたいことというものを自信満々に答えた。
兎人族の森は、元兎人族の神様アルミラージ・ウェネトが三千年前の亜人戦争終結後に魔法を付与した森。つまり神様の加護を授かった森なのだ。
アルミラージ・ウェネトが付与した魔法は一日置きに新鮮なニンジンが育つというもの。
しかし、その魔法の付与は不十分だったため、育つニンジンの数は極端に少ない。そしてニンジンの葉と瓜二つの有毒植物『そっくりニンジン』が大量に生えているという、ありがた迷惑な加護の森になっているのである。
そんな森の中にあるニンジンをルナの鼻なら簡単に探し当てることができるのではないかとマサキは考えたのである。
「でもなんで一人で行くの? みんなで行った方がいいんじゃないの? おねーちゃんもそう思うよね?」
一人で行くよりもみんなで行った方がニンジンの収穫率はぐーんと上がると、クレールは考えたのだ。
だからその考えを肯定してもらい一緒に森に行くために、おねーちゃんこと白銀色の髪をした兎人族の美少女フロコン・ド・ネージュに話を振ったのである。
「そうですね。クレールの言う通りです。ですが、マサキさんはルナちゃんのお鼻を使って、たくさんニンジンさんを収穫して私たちを驚かせたいのですよ。それにみんなで行って収穫できなかった場合、時間を無駄に使ってしまうのではないかとマサキさんは不安に思ってるみたいですよ」
ネージュはすでにマサキから話をして聞いていたのだろう、的確にマサキの意見を踏まえてクレールの質問に答えた。
しかし、クレールは引き下がらない。
「えー。おねーちゃんはいいの? それでいいの? おにーちゃんと一緒に行きたくないの?」
そのクレールの質問にネージュは体をくねくねと動かしながら答える。
「も、もちろん私も一緒に行きたいです! 時間が無駄とかそういうの関係なく、一緒に行きたいです! ずっと一緒にいたいです!」
「それじゃ一緒に行こうよ! クーも一緒に行きたいぞ!」
「そうですよね! そうですよね! で、でも……」
「でも?」
「マサキさんは私と出会ってからどんな時でもずっと一緒にいましたから、たまには一人の時間もあってもいいんじゃないかなって思うんです! 息抜きの時間ですかね。それにマサキさんも言ってましたが、呪いも解呪できましたしね。せっかくですからいいんじゃないですか? でも本心は一緒に行きたいですよ。でも、せっかくですし、でも、一緒に……でも、息抜きの……でも……でも、でも……」
ネージュもネージュでたくさん苦悩した結果、マサキの意見に賛成するという答えにたどり着いたのである。
「兄さ〜ん。アタシだけでも、アタシだけでも連れて行ってくださいッス〜! 荷物持ちでも、マッサージでも、靴磨きでも、なんでもするッスから〜!」
ここにもまたマサキと共に兎人族の森に行きたい兎人族の美少女がいた。オレンジ色の髪と小さなウサ耳が特徴的なジェラ・ダールだ。
ダールはゾンビのように床を這いつくばりながら足元にしがみついている。そんな姿からどうしても一緒に行きたいという意思が伝わる。
「ん〜。俺もみんなと一緒に行きたいけど……必ずしもルナちゃんの鼻がニンジンを探し当てるとは限らないからなぁ。時間を有効的に使いたいからさ。もし、ルナちゃんがニンジンを見つけられなかったらすぐに戻ってくるよ。でもニンジンを掘り当てたら今夜はニンジンパーティーだ! そんでニンジンを収穫し続けてニンジンビジネスを! ゆくゆくはニンジンでスローライフを! 一攫千金も夢じゃないぞ!」
「ンッンッ! ンッンッ!」
マサキはルナがニンジンを探し当てると信じている。そしてその先のスローライフまで夢見ているのだ。
「絶対ッスよ! 絶対にすぐに戻って来るッスよー!」
「わかったよ。すぐに戻るから。ネージュ、ニンジンパーティーの準備しておいてね!」
「それってすぐに帰らないじゃないッスかー!」
ダールはマサキの脚にしがみつきながら泣き叫んだ。
出発前からマサキの足元は、ダールの鼻水と涙で汚れてしまう。
それと対照的にネージュは、豊満なマフマフの前で小さくガッツポーズを取りマサキにエールを送った。
「はい。楽しみにしてますね! 頑張ってください!」
ネージュの笑顔、ダールの泣きっ面、納得のいってないクレール、ニンジンパーティーを想像してよだれを垂らすデールとドール。マサキは兎人ちゃんたちの多種多様な表情を黒瞳に映した。
「そんじゃ行ってくるわ」
「ンッンッ! ンッンッ!」
マサキとルナの挨拶に兎人ちゃんたちも挨拶を返す。
「はい! 行ってらっしゃい。マサキさん」
「いってらっしゃーい」
「いってらっしゃーい」
「次はクーも連れてくんだぞー。いってらっしゃいだぞー」
「うぅ……兄さん〜。すぐに戻ってきてくださいッスよー!」
マサキは右手で頭の上にいるルナを撫でながら、居住スペースから無人販売所イースターパーティーの店内へと移動し、そのまま外へと出た。
マサキとルナを見送った兎人ちゃんたちに喪失感ほどではないがそれに似た寂しさが心を襲う。
そんな寂しさから未だに床を這いつくばっているダールが口を開く。
「ネージュの姉さん」
「はい。どうしたんですかダール」
「本当に兄さんを一人で行かせて良かったんッスか?」
「そうですね。私たちのために色々と考えてくれるのは嬉しいですが、すごーく心配です。でもマサキさんならきっと大丈夫ですよ。それにルナちゃんもついてますからね」
ネージュは店内へと繋がる通路のカーテンを見ながら、否、その先にいるマサキたちのことを思いながら言った。
その時のネージュの瞳は、真っ直ぐでとても綺麗な瞳をしていた。
そんなネージュの瞳を見たダールはゆっくりと立ち上がりながら会話を続ける。
「姉さんは優しいんッスね。アタシだったら駄々こねて無理にでも一緒について行ったかもしれないッスよ」
「ふふっ。ダールのそれも私は優しさだと思いますよ。次はみんなでそうしましょうね!」
「はいッス! 約束ッスよ」
ネージュとダールが約束を交わそうとしている時、その約束を聞いていたクレール、デール、ドールの三人も口を開いた。
「約束だぞー。次はみんなで行くぞー」
「やーくそーくー」
「やーくそーくー」
兎人ちゃんたちは自然と円陣を組むかのように並んだ。その後、おでこを近付けておでことおでこをくっつけ合った。
兎人族の間で、おでことおでこをくっつける行為は、謝罪の時や信頼している者に対してのサインなどで使われる。
この『信頼』というものは様々な意味があり、『友情を表すもの』や『家族愛を確かめるもの』や『告白』、さらに今回の『約束』など、本当に意味がたくさんあるのだ。
「はい。約束です」
おでことおでこを信頼している者同士で付け合うことによって、より深い約束を交わしたのである。
様々な表情をしていた兎人ちゃんたちだったが約束を交わした直後は、みんな笑顔になっていた。
兎人ちゃんたちは、マサキとルナがいない喪失感のような寂しさを残しながらも、それぞれがそれぞれの行動を始めた。
無人販売所イースターパーティーの仕込みや店舗の掃除、部屋の掃除、中断した遊びの再開など、スローライフとは違えどそこまでかけ離れていないスローライフな一日を過ごそうと行動するのである。
一方、兎人族の森へと向かうマサキは、期待に胸を膨らませながら歩いている。
「ンッンッ。ンッンッ」
マサキの頭に乗っているルナは、マサキが一歩歩くたびに声を漏らす。
その声があまりにも心地よくて、マサキの歩幅は無意識にリズムを刻むのであった。
時を同じくして聖騎士団白兎の本部では、雪のように白い髪と長いウサ耳が特徴的な兎人族の女性がその長いウサ耳をピクピクと動かして何かを感じていた。
彼女の名はアンブル・ブランシュ。聖騎士団白兎の団長だ。
(月の声、何か嫌な予感を感じないか?)
ブランシュは元兎人族の神様アルミラージ・ウェネトから授かった内に秘めたる力の『月の力』、その力の一部である『月の声』と心の中で会話をしている。
《はい。北の方角から感じます》
流暢に喋る女性の声がブランシュの脳内で再生された。この声こそ『月の声』だ。
(北か……。妖精族の国……いや、もっと先の鳥人族の国か?)
《そこまでは特定できませんが、おそらくその二国のどちらかだと思います》
ブランシュと月の声が感じている嫌な予感や胸騒ぎは、兎人族の国から北の方角にある国――妖精族の国か鳥人族の国のどちらかから感じているものだと推測する。
(妖精族の国にはフエベスがいるよな)
《はい。フエベス様は本日、タイジュグループで食品管理の仕事があると仰ってました》
二人の会話に出てきたフエベスとは、妖精族の少女の名だ。
本名はフェ・フエベス。マサキのことを慕うビエルネスの一つ上の姉でもある。
(何かあってからでは遅いからな。急いで妖精族の国に向かおう)
嫌な予感を感じたのなら即行動。それが聖騎士団白兎団長のアンブル・ブランシュのやり方なのだ。
「団長! どこ行くんですかー!?」
妖精族の国へ向かおうとするブランシュの背中に向かって高めの男性の声を出して呼び止めた。
彼の名はズゥジィ・エーム。聖騎士団白兎の団員でブランシュの後輩だ。
「妖精族の国へ向かう。嫌な予感がするんでな」
「嫌な予感って……団長のそういうのよく当たりますよね……」
「ああ、そうだな。だからエーム。副団長とともに警戒しつつ兎人族の国を……国民を守ってくれ」
「もちろんですよ。まあ僕は治癒魔法しか取り柄がないですけどね。っていない……。相変わらず忙しい人ですね」
エームの話を最後まで聞かずにブランシュは聖騎士団白兎の本部から出発したのだった。
「ブランシュらしいネ。オレたちもブランシュに言われた通り行動するとしようカ」
椅子から立ち上がった赤髪の兎人族の男は、聖騎士団白兎の副団長ことアセディ・フレンムだ。
すぐに行動に移したフレンムを見たエームは、意外なものを見た時のような表情を浮かべていた。
そのエームの表情に気付いたフレンムは口を開く。
「めんどくさいけどネ、今動かないともっとめんどくさいことになりそうだと思ったんだヨ」
「ということは副団長も団長が感じた嫌な予感? みたいなものを感じたってことですか?」
「う〜ん。同じかどうかはわからないケド、オレもなんか嫌な予感がするんだよネ」
「だんだん僕まで嫌な予感っていうやつを感じてきましたよ。い、急いで見回りをしましょう!」
「そうだネ」
エームとフレンムは、他の団員を聖騎士団白兎に残して兎人族の国の見回りに出た。
先に聖騎士団白兎の本部を出たブランシュは、兎人族の国空にいた。空を駆けて妖精族の国に向かっているのだ。
妖精族の国に向かうブランシュ。兎人族の森に向かうマサキとルナ。
この時、空と大地でブランシュとマサキはすれ違っていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
ついに第5章の大戦争編が始まりました。
作者が一番書きたかった話です。
外伝主人公のブランシュもガッツリ登場しますのでまだ外伝を読んでない人がいたらぜひ外伝の方もチェックしてみてください。