殴った人が看てくれていた人
「……んん……」
そうしてまたしばらくしてから、男は意識を取り戻した。
記憶の整理整頓は寝ている間に終えたのか、既に頭痛はなかった。
だからやっと……自分の頭の中で、自分の名前を、言──
「あっ!」
──再び、女性の甲高い声。
しかし今度は、少し遠くから。
正確には、足裏の向こう側。
そこが部屋の出入り口なのだろう。
そう考えつくぐらいには、男の頭の中も安定していた。
「嘘っ!? 今度こそ目が覚めたっ!?」
「う、うるさい……」
包帯で抑えつけられた顎を必死に動かし、何とか言葉を口にしながら、上体を起こす。
「えっ!?」
その男の行動に、女性が再びの驚きの声を上げる。
しかし今度はどこか、気色が違うように思えた。
「な、なんで……っ!?」
「なに、が……!」
喋りづらくて仕方がないので、包帯に手をかけて外しにかかる。
「いや、ちょっ、それ解いたら……!」
手に伝わる感触だけで結び目を見つけ、解こうとするものの無理だと悟り、思いっきり引っ張るようにして外す。
「もう治った、って」
一つ外れれば後は自動的だ。
そのままバラバラと解け、ようやく顔周りに自由が訪れた。
「治った、って……いやいや、そんなはず……」
「顎の骨が粉々に砕けてたのだよね? 寝る前に糸を操って魔力を集めて、治すようにしてたから」
「糸……?」
意味が分かっていないのか、女性が首を傾げる。
その時になって初めて、男はその女性を見た。
大きな水差しを乗せたお盆を持ち、驚いているその顔は、本当に可愛かった。
男にとっての好みドンピシャだ。
今まで女性だと思っていたが、こうして意識がハッキリして見てみれば、どちらかというと女の子に近かった。もう少しで女性、といったところか。
長い金髪を左右に別れるように括って垂らしている。
半袖の服は普通に見えるものの、左脇から横っ腹まで切れ目が入っているせいで、その大きな胸を強調しつつ身軽さも兼ねているように見える。
激しい動きをすればヘソが見えてしまいそうだが、それを隠すようにマントを羽織っており、魔法使いなのか別の職業なのか、どっちつかずでよく分からない。
「……もしかして、前ちょっとだけ目覚めた時やってた、あの精霊を集めてたやつ……?」
「精霊……そうか、これが精霊か……」
前世の記憶が戻る前──簡単な魔法すらも使えず、少ない魔力だけしか持っていなかった頃。
それでも何か使えないものかと勉強はしていたので、精霊というものは分かっていた。
けれども男は、その精霊をちゃんとは分かっていなかった。
知識としてしか知らなかった。
根本を分かるその才能が、存在しなかった。
だから多少の魔力を使うことも出来なかった。
いや厳密には、あったのに開花していなかった、だが。
記憶を取り戻し、ソレとともに得ていた『望んだ与術』のおかげで、男は“ついで”とはいえ、その能力を得ることが出来たのだ。
「うそ……そんな治療が出来るほどの魔法使いだったなんて……」
魔法で誰かを治療する。それを行うのはかなり高位の魔法使いでないと出来ないことだ。
「いや、俺はそこまでじゃないよ。ついこの前までロクに魔法も使えなかった、有象無象のただの冒険者だよ」
「そ、そんなはずないじゃないですか!」
「本当だって。だから、その敬語みたいなのは止めて? 急にそういうことになっても困るから」
とは言うものの、会話したのなんて今しがた初めてなので、違和感自体はそこまででもないのだが。
ただここで言っておかないと、これから先も敬語で話されそうだったので止めておきたかった。
「それよりもほら、自己紹介しよう。
俺はリーディ。キミは?」
「……サリスです」
「サリス。
オーケー。じゃあお互いに、これで恨みっこなしってことで」
「えっ!?」
「え?」
「でも私、その、あなたの顎を砕いちゃって……」
「今は治ってるから関係ないんじゃない?」
「そうは言うけど……私、とっくにギルド内のランク下げられてるし」
「そんなの無事だって説明して……ってのは確か、無理だったな……」
整理整頓された記憶から呼び出されたのは、ギルド内の絶対的ルールの一つ。
意味なく誰かに大怪我をさせた場合は、どれだけの功績があろうとも、一番下のランクまで強制的に下げられ、その怪我をさせた人の介護を生涯かけて行わなければならない。
もちろん殺せばその段階で罪人だ。
この判断基準はギルド長が直々に行い、その行為に不備があった場合は、ギルド自体の信頼が損なわれてしまうため、ほぼ覆ることがない。
実は無事だったから取りやめ、というのは、それはそれで信用度が落ちてしまうからだ。
「だから私はそのまま、一番下のランクの依頼を受けながら、あなたが目覚めるのを待って……目が覚めたら、顎を砕いたこともあるし、ずっと介護しながら生きていくのかなぁ、って」
自分の定められた不運が、突然覆った。
置かれた状況を改めて口にすることで、ようやく不運でなくなっていることを理解できてきたのか。
その声にも涙が混じっていた。
「……いや、その必要は無くなったから、また一からランクを上げていけば良いんじゃない?
こうして喋ることも出来るし、体力もまあ、このまま寝たり食べたりしてたら治ってくると思う。だからサリスが俺を介護する必要はない」
言ってから、でもこんなに可愛い子ともう関われないのは残念だなぁ、という気持ちが過ぎった。
「あ~……でもそうだな……じゃあ、こうしよう。
このまま介護をしないままだとギルドにも戻りづらい。
俺はもう介護を必要としないけど、今の俺は、まだ日常生活が出来るほどは回復してない。
だから、俺がちゃんと冒険者として戻れるまで、金銭面や生活面の世話をしてもらって良いかな?」
「えっ!?」
「ああいやもちろん回復してるんなら自分のことぐらい自分で見ろと言うのならやらなくても良いんだけど! こんな提案サリスの優しさを利用して色々と言い訳を重ねてるだけで実際は俺がまだキミと一緒にいたいってだけのソレなんだから!
……だから……その、なんて言うか……」
「い、良いの!? それ、私からしても、何も悪くない条件だけどっ!?」
「えっ……?」
「だって、あなたが無事だからってこのまま追い出されたとしても、周りからしてみれば『回復したとはいえ看病せずに放置した』としか見られないし、いくら説明しても、私の周りしか信用してくれなくて、そうなるとギルドとしても、いくら私が功績を上げたとしても、ランクを上げていくのは難しいってなるから……。
あなたがちゃんと歩けるようになって、私のことを、ギルドに説明してくれるなら……私としても、本当にありがたいよ!」
目に少しの涙を浮かべながらの興奮気味なサリスの言葉は、本当に感謝しているのが伝わるものだった。