第三十五話 繁華街へ
本日分の授業が終わり、午後ののんびりとした気配が漂う最中、馬車で自宅へ帰るものや繁華街へ繰り出す生徒達に紛れて、ミーアとヘリオもそちらへ向かって歩いて行きます。
————ノーブル国・繁華街
王立学園から程近いここには、沢山の娯楽施設が集まっています。新進気鋭の俳優や女優の舞台を拝める劇場に、ヘリオが良く練り歩いている食べ物の露天商。それに、職人の手で一から作られた繊細なアクセサリーに、色とりどりのドレスを扱うお店等。
「着きました。ここです」
ヘリオが案内してくれたのは、ヒューバートと来た時とはまた違った、けれど同じぐらい高級そうなお店の前でした。ヘリオはミーアをエスコートしながら扉を開くと、カランと来店を告げる澄んだベルの音が響きます。
その音を聞いた無愛想な年配の女性店主はこちらへ向き直り、ヘリオの顔を見るなり途端に愛想良くニコニコと笑いながら、「これはこれはヴィオル様! お待ちもうしておりました!」と流れるように話します。
それから「ドレスをお持ち致しますので少々お待ち下さいませ」と言うなり、素早く奥へ引っ込んでしまいました。
「……もしかして、ヘリオ君って、ここのお得意様です……?」
「いいえ。今回のドレスで初めて利用しましたが。そうだ。ミーアさんに良いことを教えてあげましょうか。世の中はお金が全てを支配するのですよ? 時間が少々足りませんでしたのでドレスの代金に色をつけさせて頂いたのです。それだけで、ほら。人間の態度は面白いほどに変わるのです。まるで魔法のようだとは思われませんか?」
「ヘリオ君って、結構良い性格してますよね。なんだか捻くれた金持ちの発想って感じで。でもここまで清々しいと却って好感がもてますね……!」
「……わかった上で付き合っている貴女も相当良い根性をしているかと思われますが。思った事を真綿で包まずに言い放つのは、なかなかどうして普通の人間にはできませんから」
「これ、褒めてますよ?」耳もとで囁きながら、ヘリオはにっこりと目を細めて愉しげに笑います。
ややあって店主が店の奥からドレスを手に持ち戻ってきます。そこには淡いライラック色の美しいドレスが抱えられており、同色の繊細なレースが幾重にも重ねられた、プリンセスラインの可愛らしいものでした。ヘリオの瞳を思わせる紫の色彩が、このドレスを着た人間は彼に最も近い間柄なのだという事を周りに示すでしょう。
「わあ……! すっごく可愛らしいです……! でも……私じゃこのドレスに負けてしまうんじゃ……」
「大丈夫ですよ。貴女はもう少し自分に自信を持つべきです。ドレスの色合いも淡いですから、貴女のその髪の色に良く似合うでしょう。細身ですからきっと上手く着こなすでしょうね……ですが、もう少し、肉を付けた方が宜しいかもしれません」
「う……そうですかね……? 結構皆さんからも痩せすぎだって言われるんですけど、これでも寝る前にナッツを食べるのは欠かしてないんです。最近は結構、肉が付いてきて……少し前なんか、今よりもっとガリガリで……」
ヘリオに話していくうちに、ミーアはマーリオと過ごした日々を思い出して、段々と声音が小さくなっていきました。マーリオがいなくなってからもミーアは言いつけをしっかりと守り、体操も、美容パックも欠かさず続けています。あの頃と比べれば、頬がふっくらとしてきましたし、血色も良くなっています。やっと女性らしい体型になってきたというところでしょうか。
「……なるほど。ミーアさん、貴女、どこぞの男の事で落ち込んでいるのですね? 相手は……貴女の元婚約者ではなさそうですが。僕の知らない方でしょうか?」
「あ……確かに、そうかもしれません」
相手はオネェなので男というと語弊があるような気がしてしまいますが、確かに、マーリオの事で落ち込んでいた心を見透かされたような気がして、ミーアはまじまじとヘリオを見つめてしまいます。
「ヘリオ君は感が鋭いんですね……その方、私にとっては側にいるのが当たり前だったんです。ヘリオ君が転入してくる少し前でしょうか。私の前から消えて……いなくなってしまいました。多分……もう会えないんです。 ……永遠に」
「そうですか……ですが、お相手の方は貴女が落ち込んでいるのを良しとしますでしょうか?」
「え……?」
思いもよらない言葉を受け、ミーアはその大きな瞳を更にまんまるく見開きます。
「察するに、貴女と随分親しい間柄だったようですね? それならば、貴女が幸せそうにしているのが、消えてしまったその方にとっては嬉しく思うモノだとは思われませんか?」
「そ、うですね……」
「ええ。憂いを帯びた貴女も素敵ですが、笑顔の方がずっと良い。ですから、どうか日々を楽しくお過ごし下さい。僕もその為に微力ながらお力添え致しますから」
「ヘリオ君……ありがとう」
「いいえ? 当然の事です。なんせ、僕は貴女の大事な友人なのですから」
にっこりと深い笑みを浮かべて、ヘリオは店主からドレスを受け取り、そのままミーアに手渡します。「きっと貴女に似合いますから、僕の前で着てみせて下さい」そう言ってミーアを試着室へと送り出します。店主に手伝って貰いながらドレスを着終えて戻ってきたミーアは、おずおずと、気恥ずかしげにドレスの裾を摘んではにかみます。
「どう、でしょうか……?」
「ああ、やはり僕の思った通りです。貴女は紫が良く似合う。……おや? ミーアさん。首から下げている紐はなんですか?」
「ああ、これですか?」
首から大きく開いたデコルテ部分に掛かる古い革紐を、ヘリオは目敏く見つけたようです。すっかり明るさを取り戻したミーアは、首元の紐を指で引っ掛けて、くいっと持ち上げる仕草をします。
「えっと……実はこれ、さっきお話しした方から預かった大事なモノなんです。私、結構ズボラですから、無くしてしまわないようにこうして首から下げているんですよ?」
「へえ……! なんだか妬けてしまいますね。他の男のものを身につけているだなんて。 ……そうだ。僕も貴女になにか贈らせて頂きたいのですが。参考までに見せて頂いても?」
「え? え? ヘリオ君はこのドレスを贈ってくれたじゃないですか……! これ以上は頂けませんよっ!」
「ミーアさんは非常に奥ゆかしい方ですね? ドレスだけでは、女性を真に輝かす事はできません。アクセサリーを身に付けてこそ、その身に光をまぶすように、女性をより美しく見せるのです。 ……そうですね……耳飾りは、貴女の瞳の色のペリドットを付けて……首元は……」
口元に手を当ててぶつぶつと呟きながら、頭の中でミーアのコーディネートを組み立て始めるヘリオに、ミーアは慌ててしまいます。
「だ、大丈夫ですよっ! ネックレスは、え、えーっと! そう! これがありますからっ!」
ただでさえ高そうなドレスを買ってもらっているのに、このままではより高いアクセサリー類を贈られてしまう。そう思ったミーアは首元の紐を更に引き寄せ、先端についている鍵を取り出しては、ヘリオによく見えるようてのひらに乗せます。
「……? これは……どこかの鍵、ですか……?」
「あ、う……えーっと……はい。ほら、アンティークな雰囲気ですし、このままアクセサリーとしても良いんじゃないかと……」
少し照れたように話すミーアとは対象的に、ヘリオは深刻そうな顔をして、ミーアを真正面から見据えます。
「……ミーアさん。もしかして、貴女は婚約者のある身で浮気をされていた、という事でよろしいのでしょうか」
「え……それってどういう……」
「この鍵、先ほど話していた方のご自宅の鍵ですよね? 僕はそれぐらいで貴女を軽蔑はしませんが、中には貴女を節操のないいやらしい人間だと思う方が出てくるかもしれません。 ……すみません。無理をさせてしまいましたね? 僕、今日の事は誰にも言いふらしたりしませんから……」
「え? え? それってどういう……」
言ってからミーアはハッ! と気がつきます。まさか、合鍵を貰うような間柄の男性がいるかと思われている……?
「ち、違うんです! 誤解なんです信じて下さい! 私は断じて二股をかけるような危ない人間じゃないんですってば!」
「…………」
焦っているのが却って怪しさを際立たせて見えるらしく、にっこりと微笑むばかりでヘリオは応じてくれません。こんなにも近くにいるのに、心の距離はひたすらに遠い。まるで見えない壁で覆われているかのようです。
「ヘリオ君っ!? あのあの! この鍵はですねっ!? 確かにさっき言ってた方のお家の鍵ですけれど、やましい事なんてなにも……」
そこまで言ったところで、そういえば眠り続けるマーリオの身体に口づけをした事を思い出したミーアは、ボッ! と頬が赤くなります。
「……やはり、そうなのですね。ミーアさん。いいのです。例え貴女の身が潔白でなかろうとも、純朴で飾らない貴女が僕は好きですから。嘘をつかせて申し訳ありません。お辛かったでしょう? ……さあ、取り繕うのはもう辞めにしましょうか。ドレスの仕立てが残ってますから、採寸部屋の方へお戻り下さい」
「い、いや! 本当に違うんですってば! ……そうだ! ほら、この鍵、古いタイプでしょう? お屋敷も昔のタイプのもので、相手は私よりもうんと年上なんです。ね? よく見て下さい!」
「……なるほど。妙齢の紳士が好みである、と」
「ヘリオ君!? ちょっと! 絶対に誤解してますよね!? 違うんです本当そんなんじゃ……」
「ミーアさん。時間が迫ってますから。ほら、店主さんも気にされてますでしょう?」
「あ……! す、すみません……! すぐ行きますからっ! ヘリオ君、誤解ですから信じて下さいね! 絶対ですよ?」
促されるままに移動しかけて、ミーアはヘリオに誤解であると力一杯伝えた後に、店主と共に奥の採寸部屋へと消えていきました。




