第三十四話 ヘリオトロープ・ヴィオル
ヘリオトロープ・ヴィオルは、隣国テトラから来た転入生です。テトラは学術芸術の類いに特化した上流思考が根付いており、野蛮な事を好みません。周囲を海で囲まれた立地の為に、外敵から攻め込まれるような事はなく、マーリオがいた時代の戦争にも参加をしていないのです。
隣国という立場にも関わらず中立という名の傍観を決め込んだ、ある意味興味のない事には徹底的に取り合わないというのが彼の国の国民性、とでもいうのでしょうか。
それに倣うようにか、ヘリオトロープ———ヘリオも例に漏れず、興味のない事には一切取り合わない性格のようで、剣術の授業よりも教養の授業、物理の授業よりも美術の授業というように、芸術面での授業には積極的に参加するのですが、彼の気に入らないものには顔を出さず、視界にすら入れないようでした。
塞ぎ込んでいたミーアでしたが、この出来たばかりの友人が、早々に道を踏み外しそうな状況を流石に気にせざるを得なくなり、学園長のアランの元を訪れてはそれとなくヘリオの事を聞いてみるのですが、どうやら彼は、隣国で高い身分にある貴族の子息だそうで、下手に注意を促すと国政にも関わってくる為に、大抵の事なら大目に見ないといけないのだと苦笑しながら教えてくれました。
ただ、それでも授業に出ていないくせに、テストでは好成績を毎回叩き出すのだそうですが。
ヘリオはミーアの隣のクラスに転入していたようで、少年のようにも見える外見の幼さから、よく中学部の生徒に間違えられるらしく、実際に彼と並んで歩いていると、事情を知らない他の生徒から「ここは高等部の敷地内だから入ってはいけないよ」だなんて注意をされてしまい、ヘリオはその度に説明をしては、困ったように笑っていました。
その反面、妙に好奇心旺盛で散策好きなところもあるようで、ヘリオに市街地へ遊びに行きましょうと誘われてついて行ってみると、彼は露天商の奥様方から売り物のパンやら果物やらを貰ったりしているので、この子はやっぱり得しているなぁ、というのが、ミーアが抱いた印象でした。
なにかが心の琴線に触れたらしく、ヘリオは塞ぎ込みがちなミーアに積極的に話しかけにいきます。やや斜に構えた物の見方をする彼の話は面白く、時折あのオネェを彷彿とするような物騒な言い回しをするので、ミーアとしては、それが思いのほか心地良く感じてしまいます。
元婚約者のルイズについては特に辛辣で、「大量の睡眠薬入りの紅茶を差し入れて昏睡させてしまいましょう」だとか、「人目のつかない旧校舎へ呼びだして背後から突き落とす等いかがでしょうか?」といったように、対象をいかに目立たず処理するかという、様々な殺害方法を勝手に伝授してくるので、やたらと具体的な内容の数々に、「まさか本当にやらないですよね?」と聞き返すのが、最近のミーアの日常になりつつあります。
けれど、ヘリオは決まって猫のように目を細めて笑うのみで、返事をする事はありませんでしたが。
そんな風に、顔に似合わず不謹慎かつ物騒な話ばかりするヘリオが側にいる事が、ミーアもいつのまにか当たり前になってきていました。
彼は授業が終わった後の僅かな休憩時間に毎回ミーアのクラスへやってくるので、初めの頃こそ他の生徒———主に女生徒達から嫉妬めいた視線をミーアは一心に浴びていましたが、女生徒達がいくらヘリオを引き剥がそうとしたりコナをかけたりしても、ヘリオは一切取り合わず、冷ややかな目つきで睨みつけては鋭利な言葉で突き放す為、今ではミーアとヘリオの周りには誰も近寄らなくなっていました。
ミーアとしては、遠巻きにされるのは、まあいつもの光景なので大して気にはならないのですが、ヘリオはヘリオでわざと周囲に敵を作っているような気がして仕方がありません。それこそ留学に来たのなら、より多くの事を学ぶ為にもなるべく愛想を振りまいた方が良いのですが。
最近は昼食をレジーと一緒に食べようとすると、いつのまにかヘリオが側にやってきて、彼はミーアの耳元で、こう囁くのです。
「僕は貴女以外に親しい人間がいないのです。それなのに、貴女は僕を一人にするのですか?」
「年上の男性とばかり行動を共にするのは賛同出来かねます。繰り返していけば、いずれ貴女の品位が疑われてしまう日が来るでしょう」
「貴女はずっと僕の側にいなければなりません。それが貴女の学園生活に安寧をもたらすのです」
ヘリオは事ある毎にミーアへ注意を促します。実際に彼が側にいると、なぜかルイズ達が近寄ってこないのです。いえ、正確には、ミーアの存在に気付いた素振りをして、文句を言いに来ようとするものの、隣にいるヘリオの存在に気づくとビクっと身体を震わせて避けていくのです。もしかしたら、ミーアのいないところでヘリオがなにかをしたのかも知れません。
「ところでミーアさん。来月行われる緑陽祭のパートナーはお決まりですか? 貴女さえ宜しければ、僕のパートナーになって頂きたいのですが」
「ああ……そういえば、もうそんな季節でしたね」
緑陽祭———ヘリオが話しているのは、長期休暇前に行われる、学園主催のダンスパーティーの事です。自由参加型の気軽なもので、大抵の生徒は毎年参加しています。ミーアとしては元婚約者があの調子でしたので今まで参加した事はありませんでしたが。
ちょうど、来月で、マーリオが期限として定めていた三ヶ月目になります。実際は、それを超える事なく、彼は消滅してしまいましたが。その事を思い出したミーアは、再び塞ぎ込んでしまいます。
「でも……私なんかが行ったって……」
「そんな事はありませんよ? 女性は皆、美しく輝く為の原石を持っているのです。貴女は優しい心根を持っている。そして、外見もこっそり磨かれていますよね? 僕と出会ってからまだ一月程ですが、憂いを帯びながらも貴女は間違いなく変化しています。蛹が蝶へと羽化するように。 ……実は、本音を言うとこの催しに興味があるのです。流石に男一人では参加出来ませんから。ですから……ね? 僕を救って下さると思って」
スラスラとミーアを褒めたかと思うと、後半は本音を漏らして困ったように眉尻を下げるヘリオに、ミーアはなんだかおかしくなって、小さく笑ってしまいます。
「それなら……行ってもいいです。困っている友人を救えるのなら……あ、でも……」
「どうされました?」
「…………やっぱり行けないです。そういえば、私、ドレスがないんでした」
以前ヒューバートから贈られたドレスがあるにはあるのですが、流石に他の男性から貰ったモノを着用してヘリオとパーティーに参加するのはどうなんだろうと思ったミーアは断りをいれました。
ただ、自分で仕立てる事も出来はします。お金についてこちらも以前、マーリオの屋敷に侵入した際に、当の本人から『自分の為に使うように!』と譲り受けた金貨がありますが、今はミーアの寝台の下に大事に仕舞い込んでおり、こちらもまた、無理をしてまで使う気にはなれません。
「実は、貴女がそう言うのではないかと思って、こちらで既にドレスを押さえているのです。後はサイズを整えるだけですから、早速放課後にでも合わせにいきましょうか」
「え? え? ヘリオ君買っちゃったんですか……? い、いや、でも流石に申し訳ないですし、今からでも返品を……」
「失礼。ミーアさん、貴女は男性に恥をかかすのがお好きな方でしたか。そのような特殊な性癖の女性とは知らなかった。僕とした事が見誤っていたようですね?」
「あ、う……え、えっとぉ? もしかして私、変態だと罵られています……?」
紫色の瞳を面白そうに細めながら、ヘリオはミーアの顔を覗き込み、茶化しにかかります。
「では、貴女はそうではない、と仰るのですね? ……でしたらドレス、着てくれますよね?」
「あ……はい、じゃあ……遠慮なく……」
「いいお返事ですね。僕、素直な女性は好きですよ?」
なんだか無理矢理押し切られてしまった形でしたが、ミーアは放課後、ヘリオと一緒にドレスを試着しに行く事が決まったのでした。




