第二十九話 アレンドラ
「さあて。話を元に戻そうか。お嬢さんはどうしてマーリオの事を調べているのかな? 今時の若い娘には縁遠い人間だろう? それなのに今になって調べてまわるだなんて非常に不自然だねえ。お嬢さんの古い友人とは、一体誰の事かな?」
「ああ……そう、ですよね……? ええと……」
ミーアはモゴモゴと口籠もりながら、なんとか上手い理由がないかと頭の中をフル回転させて考えていきます。
頼みのマーリオは心ここにあらずといった状態で、先程から助けを求める視線を送ってみても一向に反応してはくれません。
学園長であるアランの時と同じような説明をするべきかと一瞬考えましたが、こちらのアランはマーリオと仲が良かった人物です。同じ言い訳が通用するとは思えません。
———それに。ミーアはなんとなく、わかってしまいました。
マーリオが探していたアランは、図書室内で二人、穏やかな時間を共に過ごしただけ。そこには会話などのない、ただ静かに隣に居るだけの存在。彼等の関係は顔見知りだけれど、あくまで他人同士という間柄です。
ですが、目の前の老紳士はマーリオとは友人関係の親しい間柄。ならば彼は、マーリオの特別なアランではない、という事になるのですから。
友人ならば、或いは。
彼ならば、マーリオの事を助けてくれるのではないでしょうか。そこまで考えてからミーアは思いました。いっそ正直に言ってみた方が良いのかもしれない。付き合いの浅い自分よりも、当時を知る老紳士の方が、きっと何倍も力になってくれるでしょうから。
「あのう……私。きっとまた、変な事を言うと思うんですけど……ムッシュ。お話ししても?」
「そうなのかい? だがこの年になると大抵の事には驚かないものだ。お嬢さんが何を言ってくれるのか少し楽しみだね。 ……さあ、どうぞ? 話してみてご覧?」
「はい……えっと、実は私……」
本当に言ってもいいものか。少しのあいだ逡巡したミーアでしたが、小さく息をついてから、口を開きます。
「マーリオ・ビスコンティーヌ様に取り憑かれているんです」
「………………ああ。やっぱりそうか」
何を、と言われるかと思っていました。ですが、案外老紳士は驚かず、目を瞑りながら深く頷いていました。彼の孫の方は、半信半疑といった様子で、怪訝そうに片眉をあげていましたが。
「いやあ実に彼らしい。マーリオは若い時分から、気に入った物や人間に対して人一倍執着する性分だったからねぇ。どうせアイツの事だ。自分の姿を見る事のできるお嬢さんを手放すまいと、付き纏っているのではないかな? ……そうだねぇ。生き霊として、とでもいうのかな? 彼の身体はまだ生きているからねぇ」
「……御存命な事もご存知なんですね。それに……私の話を信じて下さるのですか……?」
「勿論。信じない理由はないからね。 ……では、ここからは私とお嬢さんの二人だけで話そうとしようか。ヒューバート。悪いけれど、少し席を外して貰えるかな?」
壁に背を預けながら成り行きを見守っていたヒューバートでしたが、突然退出を促され、心外そうに眉を上げます。
「酷いなあ。二人して俺を仲間外れにするの? 今の話、すっごく気になるんだけど」
「すまないね、ここから先は、私とお嬢さんだけの秘密の話だ。色男が野暮な真似をするものではないよ?」
「はいはいわかったよ。 ……ミーアチャン。爺さんに変な事をされたら大声で叫ぶんだよ?」
「ええっ! ヒューバート先生ってば、何言ってんですかっ! そんな事ある訳無いですって!」
「冗談だよ。……じゃあ、部屋の外で待ってるから。終わったらおいでね?」
そう言いながら、ヒューバートは部屋を出て行きます。
「さて、と。話を元に戻そうか。 ……実はね、お嬢さん。私の目には、先ほどから君の隣にマーリオの姿がちらついているのが見えるんだよ」
「えっ……!」
老紳士———アレンドラは、こほん、と一つ咳払いをしてから、ミーアの隣に広がる何もない空間に視線を向けます。
「やれやれ。死期が近いとこの世ならざぬものが見えると言うのは本当のようだ。 ……おい、マーリオ。聞こえているんだろう? 随分と経つなあ。もう40年か? どれ、久しぶりに話をしようじゃないか。 ……昔のようにな」
『アレンドラ……』
ぼんやりとしていたマーリオでしたが、投げ掛けられたアレンドラの声を聞き、初めてそちらに意識を向けました。ですが、ミーアから見た彼は、先程までの溌剌さが消えており、一瞬、輪郭がボヤけて見えます。
不安を拭い去るように慌てて目元を袖で擦ると、いつもと同じように、マーリオの輪郭がくっきりと浮かびあがり、ミーアはホッと胸を撫で下ろしました。
「なんだ、随分と覇気がないなぁ。却って私の方が元気なぐらいじゃないかね? もしかすると幽体となると心も幽霊のようになるのかな? ……なあ、マーリオ。歳はとりたくないものだよなぁ。今になって、私の身体は一気にガタが来たらしい。心臓の調子が良くないみたいでねぇ。まもなくお迎えが来そうなんだ」
えっ、と小さくミーアは声をだします。クッションを背もたれにしながら語るアレンドラは、およそ病人らしくない程にハキハキとした話し方をしていましたから、彼の寿命が近いだなんて、到底信じられませんでした。
「私とレオンは今でもお前が命を吹き返すのを待っているのに、お前は一向に蘇る気配がないのだからつれないものだねぇ。しまいには、こんなに可愛いらしいお嬢さんに取り憑くだなんて、本当にお前はなにをしているんだか」
アレンドラは少々皮肉げに、そして寂しそうにマーリオに語りかけます。ですが、マーリオは何も言いません。ただ静かに、じっと黙ったまま。それでも話はしっかりと聞いているようで、瞳には強い意志が秘められていました。
「そうだ。お前の身体がどこにあるのか気がかりだろう? 今のお前、隠されているぞ? 私は王城に置いておけと言ったのに、レオンのヤツ、聞く耳を持たなくてなあ。城よりも安全なところがあるからって勝手に隠してしまいおって。大親友だった私にも教えてくれないんだ。幾らなんでも酷すぎるとは思わないかい?」
「あ、それでしたら……」
その場所を知っていたミーアは、ついつい声をあげてしまいます。
今の状態のマーリオでは、詳しい経緯を話さないのではないかと思ったからです。
「ん? どうしたんだいお嬢さん? もしかして、マーリオの身体の場所を知っているのかな?」
「あ、はい……! マリーさ……いえ! マーリオ様に教えて頂いて、一月前に見に行きました。お若い姿を保ったまま、穏やかに眠っておられました」
「そうか! それはどこに……いや、場所は聞かないでおこう。今更知ったところで、この身体では会いにいけないだろうからね。なんだか除け者にされたみたいで少々寂しいねえ。……だが、元気そうなら安心したよ。ありがとう、お嬢さん」
「い、いえ! ムッシュ! こちらこそ口出しをしてしまい申し訳ないです。 ……マーリオ様。今日は様子がおかしいみたいで。いつもはもっと煩いくらい喋り通しなんですけど……どうしたんでしょう」
チラリ、と隣に佇むマーリオを見つめますが、彼はやはり、口を噤んだまま、一向に話そうとはしません。
「そうなのか……それにしても、あのマーリオが煩いで一掃されているだなんてなあ。こちらが妬いてしまうぐらい女性陣から言い寄られていたというのに、それがこのお嬢さんには通用しないだなんて、非常に愉快だね。英雄も形なしだと思わないか? なあ、マーリオ」
『…………煩い。アレンドラ』
「ははは。やっと喋ったか。その他人を突き放すような冷淡ぶり。これこそがマーリオ・ビスコンティーヌというものだ! いやはや久しぶりだねえ」
『……別に突き放してなどいない。相手が勝手に勘違いをするだけだ』
「そうかそうか! いやあ実に懐かしいねえ。まるで学生時代に戻ったかのようだよ。お迎えが来る前にお前と話せて良かった」
『……お前は殺しても死なないだろう? 老いて身体が醜く崩れ落ちようが関係ない。這ってでも生き延びてみせろ』
「変わらないなあ。お前は本当に容赦がない。それに口も悪いときた。だから私の方がモテたんだろうねえ」
『……可哀想に。脳までもボケてしまうだなんてな。当時はお前など、見向きもされていなかっただろう。何を言っているのか』
「いやいや私だってねえ、お前が見ていないところで……」
目の前で言葉の応酬を繰り出していく二人を茫然と見守りながら、ミーアはこれだけは強く思います。
「マリー様、別人すぎません……?」
いつもと話し方が違う……! オネェじゃないマーリオを初めて見たミーアは、驚きから立ち直るのに、しばしの時間を要しました。




