第二十四話 図書室にて
ヒューバートに指示された通り、ミーアは放課後、彼に会いにいく日々が始まりました。
チャラくていい加減なイメージのあったこの教師は、案外自分で言った事は守るようで、授業を終え、ミーアが図書室を訪れる頃には、大抵貸し出しカウンターで肘をつきながら寛いでいるのです。
今はレジーと世間話をしているようでした。
「ノーツ先生! もう来ていらしたんですね!? す、すみません、遅くなりまして……!」
「んー? 大丈夫だよ? 仔猫チャンの教室からはここまで距離があるだろうし、どんなに頑張っても来れるのはこの時間になるでしょ?」
「は、はい……! それにしてもノーツ先生もまだお仕事中ですよね……? あのう、今更なのですが、本当に私と会っていて大丈夫なのですか」
「うん。 ……まあ大丈夫でしょう。俺の仕事の穴埋めは、不思議と他の先生方がやってくれるからねぇ」
「ええ……」
果たしてそれは良いのか悪いのか? ミーアはなんとも言えない表情になります。カウンターの向かい側を見るとレジーも同じ表情をしているので、彼も同意見のようです。
「まあ、そんな事気にしなくていいから座りなよ?」
「あ、はい。じゃあ、お隣失礼しますね?」
「じゃなくって。ここ。ほら、おいで?」
隣に座ろうとしたミーアでしたがヒューバートはそれを制止し、自身の膝をポンポンと叩いています。これはまさか。
「ノーツ先生。もしかして、膝の上に座れって言ってます?」
「そ。これってデートみたいなものでしょ? 女の子が座る場所はいつも決まってるんだ。 ……俺の膝の上ってね?」
瞬間、レジーが素早く立ち上がり、分厚い本でヒューバートの頭をひっぱたきました。
「あ痛たっ。もう、レジーセンセってば酷いなぁ。叩くだなんて。大体の女の子は喜んで乗っかってくれるのに」
「駄目に決まっているでしょう! なにをしれっと白状してるんです。まったく、本当に女生徒にも手を出そうとするなんて……! 見損ないましたよヒューバート君」
『そうよそうよぉ! このケダモノっ! 司書君、もっと言ってやって頂戴!!』
このチャラい教師が本当に軽くてタラシだった事にミーアは衝撃を覚えました。自己評価の低い彼女からしたら、自分にコナをかけてくる異性の存在などほぼ皆無に等しいので、本当に相手が女性なら見境ないんだな、と却って感心してしまいます。
「あ、そうだノーツ先生! 先生は数学が担当なんですよね? 実はわからないところが……」
「やだよ?」
「え」
「仔猫チャン。今はデート中だよ? それに俺、数学って嫌いなんだよね?」
じゃあなぜ教師になったのかと思うべきところですが、このチャラい彼の事です。大方実家から言われていやいや教師の職についた、みたいなところでしょうか。
「それと……」と色気をたっぷり滲ませて微笑んだヒューバートは、ミーアに手招きをします。
「? なんでしょうか、おわっ!?」
少し屈みながらミーアが近寄ると、ぐっと腰を捕まえられ、膝の上に座らされます。
「今は俺だけを見て? 仔猫チャン?」
耳元に口を近づけられ囁かれ、ミーアは背筋にぞわぞわとするものを感じます。見るとヒューバートの腕は彼女の腰をがっしりと固定しており、スルリと這わされた手のひらがお腹の辺りに添えられていました。
流石にミーアにも分かりました。
これは警備隊を呼ぶべきだと。
「こ、こら! ヒューバート君! 性懲りもなくなにしてるんですかっ! いい加減にしないと通報しますよ!」
『ついに本性表したわね! このケダモノっ!! 通報じゃぁ甘いわ! 禁固刑にすべきよぉ!』
外野の声などものともせずに、ヒューバートはミーアを膝の上からゆっくりと降ろし、頭のてっぺんから爪先まで確認するように眺めていきます。
「ねぇ。仔猫チャン、痩せすぎじゃない? もう少し食べた方がいいよ? ……それとも、俺に食べられたいの……?」
「やだなぁ、ノーツ先生ってば、おかしな冗談を言うんですね? 流石に人肉を食べるのはやめた方がいいですよっ! 美味しくないらしいって聞きますし。あ、倫理的にも良くないですもんね? 痩せてるのはしょうがないのです。実はウチ、貧乏なんですよねっ、へへっ!」
「そ、そう……」
色気の滲んだ艶めかしい誘いに全く気づかずに、ミーアは能天気に実家のお貧乏っぷりを話していきます。今は収穫シーズンを終え、市街地に卸した分の金貨が入るまでは三食芋のみで凌いでる事や、朝早くから畑仕事を手伝っている事。
それに、最近はベリーを摘みに行っているお蔭で家族の栄養面は整えられているのです! と元気よく伝えると、なぜかヒューバートは引きつった表情で固まり、マーリオは手で顔を覆いながらあーあと小さく溢し、レジーは両手で口元を押さえながら不憫そうに見つめてきます。
なにやら男性陣の様子がおかしいようです。なにか変な事言っちゃったっけ? そんな風に思いながら、ミーアは心底不思議そうに三人を眺めていました。そして、中でもいち早く反応したのがヒューバートでした。
「そう、わかった。 ……じゃあ、今夜は一緒に美味しいものでも食べ行こうか? 仔猫チャンの頬が落ちちゃうぐらいのとびっきりのメニューを俺がご馳走してあげる」
「えっ! そんなわるいですよ! 私の方がノーツ先生に会うのにお願いしている立場ですもの」
「それならこの誘いも条件に入れるって事で。ね? いいでしょう? 仔猫チャンはもう少しお肉をつけた方が良いよ?」
「う……そうですかね……でしたらぜひ! お言葉に甘えて」
散々ヒューバート素行の良くなさを体感したはずのミーアでしたが、食欲に目が眩みあっさりと彼の提案に了承しました。が、その様子にまたしても、レジーとマーリオはぎょっとしてしまいます。
「だ、駄目ですよバンプキンさん! 先程のヒューバート君を見たでしょう? またいかがわしい事をされるかも知れませんよ!」
『そーよそーよっ! コイツ思ったより手が早いわ! いくらアンタに肉が足りないからってね、この先どうなるかわからないんだからっ! 人目がないとこに行ったら最後、きっと野獣のように襲ってくるわよぉー!!』
「うーん……そうですかねぇ? でも、ノーツ先生が思ってたよりはクズで救いようがない人間じゃないってわかりましたし、さっきもお腹触られたぐらいですもん。大丈夫ですよー!」
「ですからそれが危ないのです! バンプキンさんは余りにもお気楽が過ぎます! ……ああ、心配で胃が痛くなってきました……」
『司書くん! おお、可哀想に……』
鳩尾の辺りを押さえながら苦悶の表情を浮かべるレジーに近寄り、気遣うように背中を撫でる仕草をしながら、マーリオはキッ! とミーアを睨みつけます。
『アンタ! こんな良い子を苦しめて可哀想だと思わないのっ!? 今からでも遅くないわ? あのエセ教師と同伴は辞めなさい! いい? これ以上アイツと一緒にいたら貞操の危機よぉー? おお怖っ! 考えただけで恐ろしいわぁー!』
「ええ……」
姿が見えていないはずなのに、妙にウマの合う連携をする二人にミーアはタジタジです。ヒューバートはというと、目の前でボロクソに悪く言われている自身の事をあまり気に留めず、頭の中でどこのレストランへ行くかに考えを張り巡らせました。今夜ミーアと出かける事は、既に彼の中で決定事項なのです。
でも、まあとりあえず。
「……仔猫チャン。本人を前にしてよく悪口を言えるよね。もしかして、案外肝が座ってるのかな」
クズで救いようがない。陰で言われる事は多々ありましたが、目の前で悪びれもなく言われるという経験を、流石の彼でもした事はありませんでした。
「これはちょっと、面白くなってきたかもね」と口元に小さく笑みを浮かべる彼に気づいた人間は、今のところ誰もいないようです。




