第二十二話 数学教師(チャラ男)
「レジーさん! お待たせしました! すみません、授業が少し長引いてしまいまして……!」
「いえ、お気になさらず。学生の本分は勉学ですからね。では、早速ヒューバート君のところへいきましょうか?」
「はい、お願いします……!」
パタパタと駆けていきながら、ミーアは図書室で待つレジーの元へと急ぎました。走ったせいか息を切らしれおり、頬が赤く上気しています。約束の時間を少しオーバーしてしまっていますが、レジーは本を読みながら待っていてくれたようです。
元より来客数の少ない……と、いうよりほぼほぼ誰も来ないような所です。レジーは入り口に“司書不在の為、本日の貸出業務は不可”と書かれた小さなプレートを引っ掛けて、ミーアと共に、二人目のアランの孫であるヒューバートに会うべく、職員室へと歩いていきます。
「その、今からお会いするヒューバート先生って、レジーさんから見てどんな方ですか? やっぱりチャラチャラしてます……?」
「そうですねぇ……」
隣を歩くレジーの顔を見上げながらミーアは興味半分、怖いもの見たさ半分な気持ちで聞いてみます。いくら本人に会ったことが無いとはいえ、実際の人物像は良い人間かもしれません。いやそうであってくれ、というのが彼女の本心ではありますが、一縷の望みに掛けてみたい。そんな気持ちになっていました。
「……初対面の印象としては間違いなくチャラかったですね。一部の女性からは、彼と話しただけで子供が出来るから近寄るな等と言われているようです」
「ええ……」
『いやだ、クズじゃないのぉ』
噂は時に真実を語る事もありうる。今回は、残念ながらそちらの方だったようです。それにしても悪意のある言われ方をしている所を見るに、ヒューバートと言う人物は、相当癖のある人間のようでした。
「学園内に在籍してる女性方の評価ですよね……? え? その方、本当に教師なんですよね……?」
「ええ。その筈なんですけどね」
よく辞めさせられなかったなあ、という気持ちを隠さずに疑問をぶつけるミーアに対して、レジーは困ったように苦笑しています。
彼もミーアと同意見のようでした。
「あのう、学園長はどうして彼を咎めないのでしょう。なにか弱みでも握られているのでしょうか?」
「さあ、そこまでは……あまり人の事情に突っ込んでもいけませんし、私自身、普段は図書室と自宅の往復ばかりでしたから。貴女と親しくなってから、こうして出かける様になりましたので」
「レジーさん……」
淡く微笑みながら首を傾けるレジーに、ミーアは照れたように笑います。その隣では、マーリオが『あら〜』だなんて言いながら頬に手を当てて二人を見守る態勢に入りました。
特にミーアの顔を念入りに覗き込み、表情に恋の気配が見え隠れしていないかをチェックしていきます。が、超至近距離で行われるそれにミーアはちょっと迷惑そうな顔をしてしまいました。もちろん、レジーに気づかれないようにですが。
チラチラと視界に入る、やたらに整った顔のオネェの存在。気が散ってなりません。
虫を払うような動作でマーリオを手で追いやっているうちに目的の場所へと辿り着いたようで、レジーの歩みがピタリと止めました。
「着きましたね。では、彼を呼んできますから、バンプキンさんは少し待っていて下さいね?」
「はい! わかりました」
職員室の扉を開けて、室内へと消えていくレジーを見送りながら、ミーアは周りに人がいないのを確認すると、小声で手早くマーリオに文句を言います。
「ちょっとマリー様! なんですかさっきのは! すごく気が散ったんですけど」
『あら? アンタこそ酷いんじゃなぁい? 人を虫みたいに払うんだもの。いい? アタシはね、アンタ達が良い雰囲気だったから応援してあげようと思ったの。あの司書君、アンタの事を憎からず思ってるわよぉ? アタシが言うんですもの。間違いないわ? それなのにアンタってば、ぜんっぜんそんな気配すら無いんだから』
「な! ……もう! レジーさんとはそんな関係じゃないって言ってるのに。マリー様ってば本当にしつこいんですからっ」
プリプリとミーアは怒りますが、当のマーリオはというと、案の定、話を聞いていないらしく、明後日の方向を見ながら感慨深そうにそっと溜息をつきます。
『ふっ。 ……それにしても、アンタと司書君も随分と変わったわよねぇ。最初はあんなに仲が悪かったのに、今ではお友達なんですもの。この調子で頑張んなさいよ? ……と言いたいとこだけど。そういえば、アンタ、同年代のお友達いないわね……?』
「もう! 直ぐにはぐらかすんだから。 ……でも、まあそうなんですよねぇ……? なんでか私って歳の近い貴族の子と上手くいかなくって。領民の子達は平気なんですけどねぇ。 ……やっぱり、実家が貧乏だからでしょうか?」
『あ〜……ま、まあそうかも、ね?』
マーリオは濁すように相槌を打ちます。自身が人との交流を断たれてから40年。そういえば、ミーアぐらいの年頃のご令嬢達は、大抵が自分の家に利益となるような人間と縁を持ちたがる故に、上流階級になればなるほど、自然と人が集まり交流が深まるのを思い出しました。
と、なると。取り立てて何も持たないバンプキン家は真っ先に切られたのだろうなと、話してる途中でマーリオは察します。おそらく、年齢の割に子供過ぎる性格もいけないでしょう。まあ、中にはそういったことも気にしないお嬢さんもいるかもしれないので、後はミーアの巡り合わせ次第、と言ったところでしょうか。
『んーやめやめ! こんな話してたら暗くなっちゃうわ? さあ、そろそろ司書君が戻ってくるわよ? アンタ、シャキッとしなさいほら!』
「ええ……自分から振っておいてなんです? まあ良いですけど……あ! レジーさん、戻って来ましたね? 後ろにいる方がヒューバート先生なんでしょうか?」
扉の影からそっと室内を覗くと、レジーがこちらに向かいながら小さく手を振ってくれています。ミーアの言うとおり、後ろにはレジーよりも頭一つ分高い身長の、銀髪の青年の姿が見えました。
長い髪を後ろで一つに結んでおり、歩く度にサラサラと揺れています。真っ白なシャツの上から水色のニットベストを着た爽やかな出で立ちである反面、顔つきは垂れ目でどことなく軽薄そうだな、というのがミーアから見た第一印象でした。マーリオも彼の事が気になるようで、『なんだか、どっかで見た事あるようなタラシよねぇ』だなんて言うのです。
「バンプキンさん、お待たせしました。彼がヒューバート・ノーツ先生です」
「やあこんにちは? 仔猫チャン? 君とは初めて会うね。俺に用があるんだって? 君みたいな素朴な子に呼ばれるだなんて嬉しいなぁ?」
スラスラと流れるように言葉を紡ぎながら、ヒューバートはミーアへと距離をつめます。初めて出会う人種に本能的に後ずさっていたミーアでしたが、限界まで下がり切ったせいで壁にぶつかってしまいそれ以上動けずにいると、頬のすぐ側の壁にドン! とヒューバートの手が突かれます。これがいわゆる壁ドン、というやつでしょうか。
「こ、こらヒューバート君! 何してるんですか……! 君は本当に生徒にすら見境ないのですか……?」
突然の事に慌てながら、レジーはミーアへ距離を詰めていたヒューバートを引き剥がしに行きます。
「やれやれ、レジーセンセってば。これぐらい挨拶の範囲内だよ? ……ねえ、仔猫チャン?」
「いやどうなんでしょうね……?」
引きつり気味に笑うミーアに、ヒューバートはおや? というように片眉を上げます。彼は、自身に惹かれていない様子の生徒に興味を抱いたようでした。
『……あら、また濃ゆいのが出てきたわねぇ〜』
その彼等の様子を眺めながら独りごちるオネェに、いや一番濃ゆいアンタが何を言ってんだなんて思いながら、ミーアはもう何が来ても受け入れる心持ちでありました。




