第二十話 茶飲み友達
それまでは入学式の時に一度、遠目から見ただであった彼の姿をまじまじと見つめていたミーアは、優しい瞳に射抜かれて、暫しぼうっとしてしまいます。
アラン・ワーグナーは、仕立の良い服を纏ったいかにも品の良い老紳士です。ミーアは、自分のお爺さんも生きていたらこんな風な人物だったんじゃないだろうか、だなんて考えてから、ハッと! 隣に佇むマーリオの様子を目だけで確認します。
マーリオはただただ黙ったまま、静かにアラン・ワーグナーを見つめ続けているばかりで、一言も話そうとしません。古い記憶を掘り起こしているのか、それともなにか思うところがあるのかは定かではありません。ですが、この老紳士の深いシワが刻まれた顔から、当時の想い人の面影を探っているかのように見えました。
「それで、マーリオ・ビスコンティーヌ氏の事を君は聞きに来たんだったね? 氏について、僕が知っている事を話そうか。 ……実はね、彼とは同級生だったんだよ」
「えっ……! そうだったのですね……?」
思いがけない話を聞いて、ミーアは視線をアラン・ワーグナーに戻します。なにも反応がないマーリオの事も気にはなりますが、今はこの老紳士の話に興味を惹かれました。
「ああ。彼は、周りからの信頼が厚くってねえ。 ……立ち話もなんだから、そこのソファにでも座りなさい? 君は紅茶は好きかい? 良かったら一杯如何かな?」
「わあ! 良いんですか? 紅茶、大好きですっ!」
「元気の良いお嬢さんだね? では、用意しようか。 ……少し待っておいで」
そう言って隣の給湯室へと続く扉に手を掛け、姿を消したアラン・ワーグナーを見送りながら、ミーアは来客用のソファにそっと腰を下ろします。丁寧に滑された革張りのもので、身体を包み込むようにゆっくりと沈みこんでいくのを堪能しながら、様子のおかしいマーリオに小声で話しかけました。
「マリー様! 学園長ってすっごく感じの良い方ですね? お話するのは初めてでしたけど、なんだか穏やかで人好きのする方って感じです……! マリー様? さっきからだんまりでどうしたんですか……?」
考えこんだまま反応しないマーリオに、ミーアは訝しげに首を捻ります。本当にどうしたのだろうか。今日のマーリオはなんだか様子がおかしい。せめてアラン・ワーグナーが該当の人物なのかどうかだけでも教えてくれれば良いのに。そんな風に思いながら、ミーアは更に声をかけようと口を開きかけ———扉が再び開く音を聞き、慌てて口を閉じます。
「やあ、待たせてしまったね? さあ、どうぞ? 冷めないうちに」
「わあ……! ありがとうございます。お言葉に甘えて、頂きますね?」
ミーアはカップに口をつけて、こくり、と一口飲みます。飴色の温かな紅茶を堪能しながらほっとひと息つくと、向かい側に座って同じように紅茶を飲むアラン・ワーグナーをチラリと眺め、続きを切り出してみました。
「あのう、先程の事なのですが……学園長はマーリオ・ビスコンティーヌ様と親しかったのですか?」
「いいや、残念ながら、僕は彼とはそこまで親交は無かったんだ。彼はいつも人に囲まれていてね。正直、側にいられた彼らが羨ましかったよ。当時の僕はそこまで外交的な性格ではなかったから特に、ね」
言葉を一度区切りながら、アラン・ワーグナーは紅茶に口をつけました。ミーアも彼に倣って同じように紅茶を飲みます。
「それから間をおかず、すぐに戦争が始まっただろう? 彼は軍に駆り出されてしまい、その後、ついぞ会う事は叶わなかった。すごく後悔したよ。勇気をだして話しかけていれば、僕も彼と友人になれて、もしかしたら気のおけない仲になれたかもしれないのに、ってね」
あ、っと、ミーアは思いました。
マーリオが以前話していたのと近い言葉を、アラン・ワーグナーも言っているのです。同じ様な後悔の念を抱いた彼らなら、ひょっとすると本当に仲良くなれたのかもしれません。
「そ、うなんですね……でも! きっと、学園長のお気持ちは本人に伝わっていると思います。長らく時間が経った今でも、こうして時折思い出して貰えるなら、マーリオ様は本当の意味では亡くなっていないですもん」
だってその人、今は私の隣で貴方の言葉を聞いていますから。
最後の言葉は口に出さずにミーアはアラン・ワーグナーに微笑みます。すると彼は一度、呆気に取られた後、柔らかく微笑みました。
「……ありがとう。お嬢さんは素敵な考えの持ち主だね。そういえば、どうして僕にマーリオ氏を知っているか聞いたんだい?」
「あ、えっと……実は、ですね……」
アラン・ワーグナーがそう思うのも最もです。ミーアは少し考えた後、事実とは違う、けれど彼が納得してくれそうな言葉を選び、一生懸命伝えました。
「マーリオ・ビスコンティーヌ様がよく図書室でお会いしていた『アラン様』、という人物を探しているんです。私の……年上の友人なんですけど、その方がアランさんに伝えたい言葉があったのに、結局言えなかった事を今でも随分と後悔してまして。身体を悪くして動けないその友人の代わりに私が探している、という状況でしょうか」
「そうですか……だからアラン、である僕に話を聞いたんだね? ……ですが、残念ながら、僕ではお嬢さんの願いを叶える事は出来なさそうだ。マーリオ氏と親交のある特別なアランではないから……彼に話しかける事すらできなかった、ただのクラスメイトの一人だからね」
申し訳なさそうに眉尻を下げるアラン・ワーグナーに、ミーアはカップを置き、とんでもない! といわんばかりに両手をブンブンと振ります。
「いいえ! そんな、謝らないで下さい! 学園長とお話出来て、とっても楽しかったです。お紅茶も美味しかったですし、それに友人の事がなければ、きっと今みたいにお話する事もなかったかもしれません。ですから私の方こそお礼を言わなくては! ありがとうございます」
「……ありがとう。そういえば、お嬢さんのお名前をまだ伺っていなかったね。どうか、この年老いた哀れな男に、君の名前を知る権利を与えて貰えないかな?」
「あ! そうでした。名乗るのか遅くなってしまって申し訳ありません。私はミーア。ミーア・バンプキンと申します!」
「ミーアさん。よかったら、また遊びに来て下さい。ここには僕のような年寄りしかいないが、君に話し相手になって貰えたらとても嬉しい」
ミーアは思いがけない言葉にきょとんとしましたが、その表情はすぐに満面の笑みに変わります。
「はい、もちろん! 私でよければぜひ!」
「ありがとう。そうだ、とっておきのクッキーがあるんだけれど、こちらも食べていくかい? 貴族向けのお店で売っているものだからこれが結構美味しいんだ」
「うわぁ! 良いんですか? 嬉しいです! 私、クッキーも大好きなんです!」
「君は本当に明るくて正直なお嬢さんだねぇ」
楽しそうにそう話しながら、アラン・ワーグナーは、この随分と歳の離れた少女にクッキーを振る舞うべく立ち上がり、デスクの引き出しにこっそりと隠していたお菓子缶を取りに向かいます。
アラン・ワーグナーは、久しぶりにかつてのクラスメイトの話をしたせいか、随分と楽しそうにしていましたから、ミーアもなんだか釣られて楽しくなり、自身の学園生活を話して聞かせました。随分と話し込んでいたでしょうか。いつの間にかドップリと日が暮れてしまった事に気づいたアラン・ワーグナーに年頃のお嬢さんに夜道を歩かせる訳にはいかないからと、彼の馬車で自宅へ送ってもらう事となりました。
突然豪奢な馬車が玄関に止まったのを見た両親は吃驚していましたが、中から娘が老紳士と話しながら楽しそうに降りて来たのを見て、更に驚いていました。
老紳士は頭に乗せたハットを取り、ミーアの両親へ優雅に挨拶をします。
「娘さんを遅くまで引き留めてしまい申し訳ありません。それでは、ミーアさん。また明日、学園で会いましょう」
「はい! ありがとうございました! アラン学園長!」
ちなみにその言葉を聞いた両親が卒倒しそうになったのは言うまでもない事かもしれません。
馬車は学園への道を戻っていきました。その姿が小さくなるまで、ミーアは手を振りながら見送ります。
かくしてその日、ミーアには新しい茶飲み友達が出来たのでした。