第十九話 学園長室を目指して
約束のランチをレジーと取りながら、ミーアは早朝まで読み耽っていた貸出リストの事をぼんやりと思い返していました。
該当者のアランは二名。学園長の方は会えなくはないでしょう。しかし、ミーアは彼との個人的な面識はありません。学園でのイベント毎に挨拶をしているのを眺めているだけで、相手の方も恐らくミーアの事は知らない筈です。
「どうしたのですか? 難しい顔をして。もしかして、食事が口に合わなかったのでしょうか……?」
眉を顰め、サワラのポワレにフォークを刺したままぼんやりとしていると、心配そうに覗き込むレジーの姿が目に入りました。
「え……? ああ! そんなことないです! このお魚、すっごく美味しいですよね。私、初めて食べました!」
「そうですか。それなら良かった」
ほっとしたように一息つきながら、レジーはナイフを器用に動かしポワレを口に運んでいきます。彼は彼で、家族以外の異性と食事をした事がなかったので、緊張からか動きが硬くなっていました。
周りのテーブルが談笑しながらの食事の中、2人が座るテーブルだけが、お互いが無言のまま、食器に当たるナイフとフォークの音だけが響きます。
『ちょっと、アンタ。折角のお誘いなのに静かに食べてたら気まずいでしょう? 食事は楽しく食べるものよ? なんでもいいから早くお喋んなさい!』
「う……」
『ホラホラっ!』と耳元で両手をパンパンと叩き出すマーリオの声に促されるように、おずおずと口を開きます。
「あのう……レジーさんは学園長とお会いした事がありますか? 私、直接はお会いした事がなくって。どんな方なのでしょうか?」
「学園長、ですか? ……そうですね。良い方ですよ? 穏やかな人柄、とでもいうのでしょうか。よく学園内を見て回られているそうで、偶に図書室にも顔を出されますね。 ……もしかして、お貸ししたリストに関係があるのですか?」
「は、はい……そうなんです。あのう……実は、ある方の代わりに探している人がいまして……」
ミーアは食事の手を止めます。俯きながら、頭の中で言葉を探っては、核心を避けるように言葉を紡いでいきます。
「ええっと……その方、もうあまり余命が残されていないんです。自分の代わりに探して欲しいって頼まれていて。 ……私自身も、その方の為に、何かをしたいって思うんです。 だって。 ……私の、大事なお友達ですから」
『ミーア……』
マーリオは、優しさの滲むミーアの言葉に胸があったかくなるのを感じます。
彼はミーアから少し距離をとり、両腕を組みながら、静かに2人を見守りました。
「そうだったんですね……それならなんとしても探しださなくてはいけませんね。私も協力しましょう。 探し人は学園長のみで間違いないのですか?」
「レジーさん……ありがとうございます! ええっと、実は他にも探している方がおりまして……!」
静寂に包まれていた食卓が嘘のように明るい雰囲気になり、ミーアは親身に聞いてくれるレジーに、探している人物———アランについて、軽快に話していきました。
学園長と、もう一人。侯爵家の前当主について。
「学園長のところへは今日訪ねてみようと思うんです。けど、前侯爵家様の方には伝手が無くって。どうしようか凄く考えていたんです」
「前侯爵、ですか……でしたらヒューバート先生に聞いてみれば良いかも知れませんね。確か、その方のお孫さんですから。彼が新任の頃にそう挨拶をしに来てくれていましたから、一度お話してみてはいかがでしょうか?」
「えっ……! ヒューバート先生って、タラシで有名なあの……?」
ミーアは驚いたように瞳を見開き、おもわず聞き返してしまいます。
『ちょっと、その先生って何者なの?』
聞き覚えの無いこの名前に、マーリオは怪訝な顔をしてミーアに聞きます。先程話題に出てきた人物は、ミーアの学年を受けもつ担当ではない為、本来ならばこのような悪評が聞こえる事はありません。ですが……
「ええ。バンプキンさんの言う通り、女生徒だろうが女教師だろうが見境なく誑し込む、男性陣からはすこぶる評判の悪い彼の事です。私はあまり関わり合いが無いのですが、それでも時折、こうして彼の噂ばかり聞こえるのですから困ったものですね。 ……もし、彼にお爺さんの事で話に行くのでしたら、私も付き添いましょうか? 貴女という友人が毒牙に掛かってしまうかもしれないのに、のんびりなんてしてられませんから」
「レジーさん……ありがとうございます。では、明日訪ねてみようと思います。お願いしても良いですか?」
「ええ。貴女の為でしたら喜んで」
ほわほわとした空気を全身から滲ませながら、ミーアとレジーは微笑みを交わし、止まっていたランチの手を再び進めながら予定を細かく詰めていきました。そんな光景を隣で眺めながら、『もしかしたらこの学園、クズが多いのかしらね……?』だなんて独りごちているオネエの姿がありました。
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ーーー
放課後、学園長室へとミーアは向かいます。アラン・ワーグナー学園長はよく学内にふらりと出向いては生徒達の様子を確認して回っています。彼が考える学園についての信条は他者への献身であり、それは彼自身の性格にもでています。
優しく、穏やかな大樹のように生徒達を見守るような彼は、教師陣からも信頼の厚い人物です。そんな彼が先程のタラシのような教師に注意を促さないのには、なにか理由があるのかもしれません。
放課後の生徒達が帰宅する賑やかな声を窓越しに聞きながら、学園長室の前で足を止めたミーアは、隣に浮かぶオネェに神妙な顔で語りかけます。
「それでは、行きますよ? マリー様。心の準備はいいですか?」
『ええ。緊張してないって言ったら嘘になるけれど、大丈夫。あの人に会えるかもしれないんですもの。さあ、行って頂戴』
「わかりました。……では!」
頷きながらミーアは扉を力強くノックし、入室の許可を待ちます。
その間、室内からの返事は無く、ミーアは緊張から、ごくりと喉を上下させました。
「……どうぞ」
ややあって、内側からくぐもった返事が聞こえたのを確認し、ミーアは扉をゆっくりと開いて行きます。
「失礼します。……あのう、学園長にお聞きしたい事があるのです」
「おや、これは可愛らしいお客さんだ。僕に聞きたい事とはなにかな?」
声の人物は、重厚なデスクの椅子に腰掛けており、穏やかな声音で問いかけます。
「はい。あのう……私は、ある方の思い出の人を探しているのです。貴方はマーリオ・ビスコンティーヌ様を良くご存知ですか?」
「マーリオ……ああ、懐かしいですねぇ。この年になって、生徒の口から英雄の名を聞くことになるだなんて」
深い深い森のようなグリーンの瞳が細まります。御歳61を迎えるその人は、瞳の色と同じように深い笑みを浮かべながら、ミーアの事を歓迎しているようでした。