第十七話 司書はオチた
ミーアがマーリオの教えを忠実に守りながら図書館へ通い続け、司書へのある意味熱い視線を送り続ける事一ヶ月。初めはただただ困惑し続けていた司書の様子に変化が見られました。
この頃には馴染みの店に通うかのごとく図書室に訪れる事に慣れきったミーアも、司書に話しかける余裕が出てきた為、本を借りがてらカウンター越しに声をかけるのですが、司書の反応もこころなしかミーアに対して柔らかな雰囲気を滲ませているようでした。
「貴女も物好きですね。毎日私に話しかけるだなんて。そんな事をする人間は貴女ぐらいなものですよ」
「えっと……そうですかね? 私、司書さんとお話しするの楽しいですよっ! だって、私の知らないようなお話を沢山して下さいますから。聞いていて楽しいですもの」
「そ、うですか……? 貴女はやっぱり変です。面白いだなんて、誰にも言われた事がないのに……」
「レジーさん……」
と、司書の名前を教えて貰えるぐらいまでの仲に発展していました。
ノーブル学園で長年司書をしている彼の名は、レジー・ハワード。
学園卒業後、元来本好きである彼はその道へ進めればと、偶々退職者の出た司書として働く道を選んだのですが、元より余り人が訪れる事のない図書室という場所のせいと、若干神経質気味な性格が災いし、あまり良い人付き合いを送ってはこれなかったのです。ここへはほとんど生徒や教師も訪れない為、彼は一日の長い時間の大半を、本に囲まれながら一人で過ごしていたのです。
他の教員とは、図書室への移動中、すれ違い様に挨拶をする程度。長らく家族以外の人間との接触がなかった彼は、自分でも気づかない内に、他人との接し方がわからなくなっていました。
子爵家の次男である自分は、家を継ぐ事も、有り余る程のお金がある訳でもありません。唯一持っているものは、今まで読破してきた豊富な本の知識だけ。
———本は良い。先人の素晴らしい知識を提供してくれるから。
———本は救いだ。現実でどんな生き方をしていようが、物語に触れている間は、自分がお話の主人公になれるのだから。
そう思っていた矢先、レジーの前に変な女の子が現れます。
くすんだ金髪をおさげに編んだ、どこか垢抜けない芋っぽいお嬢さん。放課後にこっそりと図書室に訪れては、オドオドとしながら片隅で本を読んでいるこの子への第一印象は『関わりたくない』でした。
初めに感じた印象は、後々においても当たるものです。それから彼女が虚空に向かって「オバケー!」等という非科学的存在を叫んだ事により、直感は確信に変わりました。 ———間違いない。やはり、あの子は変な子だ。
もちろん私語厳禁の図書室内で騒いだのも見過ごせません。その日は彼女を強めに叱っておきました。
ですが何を思ったのか、彼女は数日の間を置いて、毎日のように図書室へやってきては、本棚の隅からこちらを覗いてくるようになったのです。
次にレジーが感じた感情が———恐怖。
彼女の行動に得体の知れなさを感じるのです。ですが、こちらを覗いてくる以外は特に悪さをする訳ではない為、注意する事も出来ません。背筋にゾワゾワとしたものを感じながも、業務を続けるより他に術は無かったのです。
ですが、感情は表裏一体。オモテがあれば必ず裏もあるのです。きっかけさえあれば、それは簡単にひっくりかえるように出来ています。
愛情の反対は憎悪。
ならば、恐怖の反対は……?
ただ、彼はいつの日か、こちらを黙って観察し続けるミーアに興味を抱きました。彼女はなぜ自分を見つめてくるのだろうか。彼女は一体何がしたいのだろう。妙な所に知的好奇心を擽られたレジーは、ある日、ミーアに話しかけてみる事にしました。
「貴女は、どうしていつもここに来るのですか?」
「! ええっとぉ……! あ、貴方とお話ししたいと思いまして……!」
「はあ……? 私とですか……?」
話しながらチラチラと上空に視線を向ける挙動不審なミーアに、得体の知れなさを感じたレジーでしたが、話してみると案外、彼女は面白い子だと言う事がわかりました。
どうやら彼女は人間の友人がいないようで、年頃の娘であるはずなのに、実家のオケラやミミズと仲良しだという話をされた時は、底知れない恐怖を感じたものでした。彼の方でも自分の生い立ちや今の環境を話していくうちに、いつのまにかすっかり打ち解けていたのです。
一般的な貴族のお嬢さんのように気取ったところがなく、どちらかと言うと庶民寄りな思考と外見のミーアは話しやすく、どうして彼女が婚約破棄をされた上に孤立しているのかをレジーは不思議に思います。実際は、その庶民らしさと実家の貧しさのせいで、家の利にならないと判断された為ではあるのですが。
現在、和やかな雰囲気のまま、ミーアとレジーは明日の事について話しています。
「どうでしょう。バンプキンさんさえ良ければ、翌日のランチをご一緒しませんか? もちろん学生の貴女に払わせる訳には行きませんから、私の奢りで」
「わぁ! 良いんですかっ! すっごく嬉しいです。 ……実は、恥ずかしながら家はあんまりお金がなくって。食堂って使った事がないんです。誰かとお話ししながら食べるのは余計に美味しく感じますものねっ! 楽しみですっ」
「———っそ、そんなに喜んで頂けるなら私も嬉しいです。あ、そうだ、これを……」
「? なんですこれ……? あっ! もしかして……?」
「貴女が気にしていた40年前の貸し出しリストです。あれから倉庫で探してみて発見したのです。 ……どなたか探しているのでしょう? 見つかるといいですね?」
「……覚えていて下さったんですね。ありがとうございます、レジーさん」
リストをぎゅっと胸に抱えながら、ミーアははにかむように笑います。するとレジーもつられたように淡く微笑みました。
彼のこんなに柔らかな表情は初めてみたなと思いながら、ミーアはその日あった出来事や授業で分からなかった事を話すと「それでしたら」と、レジーがなにかを思いついたらしく、彼女に提案をしてくれました。
「では私が教えて差し上げましょうか。実は私、当時は首席で卒業していたのですよ? 学業を離れたとは言え、まだまだ貴女のレベルの教科なら簡単にできますから」
「本当ですかっ!? わあ! レジーさんに教えて貰えるならすっごく心強いです! ……では早速ここなんですけど……」
「どれどれ……?」
ごそごそと教科書を取り出してテーブルに広げだしたミーアと頭を向き合わせて、眼鏡のつるをクイッとあげながら、レジーは細やかに教えてくれます。
梢枝の葉を揺らすサラサラとした音と、緩やかな西日の光が室内を照らし、ゆっくりと時間は流れていきます。
そのほわほわとした穏やかな空気を見守っている人物が、ひとり。うつ伏せで寝っ転がるように浮かびながら見下ろしているマーリオは、足をブラブラとさせながら呟きました。
『…………ミーアってば、もしかしたら天然ジゴロかもしれないわね。いやだアタシ、起こしちゃいけない化け物を目覚めさせてしまったかもしれないわ……! ああ! 見る目のある自分が怖い……!』
とかなんとか言っているのを、案の定、全く聞いていなかったミーアは、このオネェ、またなにかよからぬ事でも考えているに違いない、と見当違いの反応をしながら、レジーに気づかれないようにこっそりと溜息をつくのでした。