初めての実戦
翌朝、目覚めたハルトは宿を後にして旅を続けた。昨晩は水盤のことで頭がいっぱいだったために結局部屋の変更を忘れ、かなりの宿代を払う羽目になったが、そんなことは気にもとめず街道を進みながらハルトは考え続けた。
(霧の中心にあったあの丸い影はいったい…… この霧は国の南から湧き出していると国王は言っていたが、いったいそこで何が起こっているんだ? それに、あの羽音の正体は?)
そんなことを考えていると、ハルトはすぐにでも南方へ駆けつけたい気持ちになったが、まずは南ではなく、仲間を捜すために北へ旅をしなければいけない――
と、そんなことを考えていると、突如たくさんの蹄の音が聞こえてきました。どうも大勢の騎兵がこちらへ来るようだった。しかし、暗い霧の中から聞こえてきたのはこんな声だった。
「……本当に大金を持っているんだな?」
「ああ、宿代をぱっと金貨で支払っていた……間違いなく金持ちの貴族のガキだ」
ハルトは、舌打ちをした。「金持ちの貴族のガキ」というのが自分のことなのは明らかだった。そして宿の客引きがやたらと「安心です」と繰り返していたのも思い出した。
(なるほど、町中で獲物になりそうな金持ちに目をつけては町から出たところで襲いかかる、というわけか。話からすれば例の客引きもグルだったというわけか?)
ハルトは急いで道端の木陰に隠れると、鞍から下りて、馬の口を押さえた。
やがて、霧の中から馬に乗った五人の男達が現れた。見るからに乱暴そうな顔つきと腰に下げた剣からこの街道を縄張りにしている盗賊団に違いなかった。
ハルトは息を殺して、じっと隠れ続けた。このまま盗賊団は気づかずに目の前を通り過ぎていく――
と、その時押さえつけられているのがうっとうしくなったのか、馬が頭を振って鼻を鳴らし、盗賊たちが振り返った。
「誰だ、てめえは!?」
ハルトはまた舌打ちをすると、馬を残して街道に出た。
とたんに盗賊たちの顔から警戒は消え、どっと笑い声が上がる。
「誰かと思えば探してた獲物か! おかげで手間がはぶけたわ!」
「なるほど、こんな若造なのか。こりゃ確かに朝飯前だ」
ハルトはギーゼルのロングソードを抜くと、低く身構えた。
「おうおう。一人前にやる気か、小僧?五人も相手に、何をしようってんだ?」
と盗賊がまた笑う。
ハルトは構わず五人の中で一番偉そうにしていた男に見当を付けると、いきなり飛び出し、その馬に切りつけた。
ヒヒヒヒーーン!!
馬は悲鳴を上げて後足立ちになり、その男を振り落とした。
「お頭!」
他の四人が一斉に声を上げる。予想通り一団の首領だった。
(やはりこいつか)
ハルトは素早く駆け寄ると、首領の首に剣を突きつけてどなった。
「さっさと離れろ! さもないとこいつの命はないぞ!」
完全に油断していた盗賊たちは顔色を変えた。首領は冷や汗を流しながら、子分たちに離れるように合図をする。子分たちは数歩下がって馬から下りた。
「馬を追い払え」
その指示には子分たちはすぐには従わなかったが、ハルトが剣先を首領の喉元に近づけると、渋々自分の馬の尻を叩いた。馬たちはいななき、街道をどこかへ走っていった。
(これで、こいつらは馬で追って来れない。後は自分の馬で全力で逃げれば、振り切えるはず……)
そう考えつつハルトは自分の馬を隠した木陰に、ちらりと目をやった。しかし曲がりなりにも盗賊たちをまとめ上げる首領。その隙を見逃さず喉元の剣をかわすやいなや、ハルトの体を石畳に思い切り叩きつけた。
「ぐぅっ!」
「こんな小僧に不覚をとるなんぞ、北の盗賊団の名折れだ。やっちまえ!」
いっせいに子分たちがハルトに駆け寄り、剣を振り下ろす。
しかし。
ガシャ、ガシャ、ガキーン!
堅い音が響き、どよめきが上がった。
「馬鹿な! 剣が折れたぞ!?」
彼らはもちろんハルトの鎧の隙間を狙って剣を繰り出したのだが、そこすら強固な鎧で覆われているかのように、刃がはじかれて折れてしまった。 ハルトが身につけているのは魔法の鎧。並の剣では傷一つ付けられはしない。
傷を負っていないことを確認すると、ハルトは跳ね起きて盗賊をにらみつけ、道に落とした自分の剣を拾った。
「な、なんだ、こいつ……!?」
盗賊たちは思わず後ずさりした。まるで応えた様子がないハルトを、気味悪そうに見つめる。
(一対五、敵の剣は折れていても、手を抜けばこちらがやられるだろう。なら―――思いきりやるしかない)
『世界樹の根よ、我が脚に力を』
かつての訓練通り、ハルトは紋章の力を発動させ、相手に突進する。風のような勢いで駆け抜けながら切りつけ、飛びかかってくる敵をかわし、また剣で切りつける。かつての剣の特訓は伊達ではなかった。
ハルトの背中に振り下ろされた首領の大剣を振り向きざま剣で受け止める。
「よくも、小僧!貴様をその鎧の中から引きずり出して、刻んで犬のエサにしてやる!」
首領の剣はじりじりとハルトを押していた。剣技では優っていても、力では熟練の戦士には未だ及んでいなかった。そしてダメ押しとばかりにハルトの背後にはまだ傷の浅い子分が忍び寄り、ハルトを羽交い締めにする。動けなくなったハルトの前に、首領が立ち、
「手こずらせやがって!死ね、小僧!」
大剣をハルトの首を狙って突き出した。
だが、直後ハルトは急に力を抜いた。手下がバランスを崩した隙に、ハルトは大きく飛び退いて――
「しまった!」
首領は腕を止めようとしたが、とても止め切れない。
全力の一撃は手下の革鎧を貫通し、次の瞬間血が噴き出す。
「とどめだ!」
その隙を突き、ハルトの剣が首領の胸をえぐった、
「ひ、退け! 退くんだ!」
危うく致命傷を避けた首領が叫ぶ。
残っていた子分がピーッと口笛を吹くと、盗賊たちの馬が街道を駆け戻ってきた。そして馬に飛び乗ると、風のように逃げ去ってしまった。
「ふう……」
ハルトは石畳の上に座りこんだ。なんとか、助かったようだった。
生まれて初めて経験した本物の戦闘は、剣を寸止めする稽古とはわけが違った。今さらになって、全身が震えるような恐怖が襲ってくる。
けれども、ハルトは目を上げると、南の方角を見た。そこでは今も黒い霧が湧き出し、得体の知れない影が深まっている。
ハルトは手の中の剣を見つめ、頭を振った。
ただの盗賊相手にこんなに苦戦しているようでは、霧の中の邪悪な敵と戦うことなどできるはずがない。ハルトにはどうしても強い仲間が必要だった。
「よし」
ハルトは心を決めると、返り血を拭って立ち上がった。木陰から馬を引き出してまたがると、再び北の峰目ざして進み始める。
そしてそれから、ハルトは鎧の上からマントを着るようにした。銀の鎧はどうしても目立つので、それを隠すためだった。そして宿も安宿に泊まるように心がけた。
しかし旅を続けるうちに嫌でも鎧は埃にまみれ、貴族に間違われることはなくなったのだった。