謁見と紋章の力
ハルトは、自称勇者の男達と一緒にしばらく城門の前で待ち続けた。列は少しずつ前に進んだが、なにせ人数が人数なのでなかなか順番は回って来ない。
そうしてもうすぐ陽が沈んでいく頃、ようやく城の中に呼ばれたハルトはそっとあたりを見回した。白雪のように磨かれた壁がどこまでも続いていて、ろうそくが今が真昼であるかのように照らしている。思っていた以上に王城は美しくて立派な場所だった。
そしてとうとう、廊下で待っているのはハルトだけになった。輝く城の中で一人ぽつんと佇む自分を考えて、いたたまれない気持ちになる。
「では、次の方」
と正面の扉から声がした。
ハルトは思わず息が詰まって飛び上がりそうになった。どきどきしながら進んでいくと、その目の前で重そうな扉が両側に開いた。
とたんにハルトは目を見開いた。絨毯を敷き詰めた立派な部屋の奥には、声をかけた役人が一人ではなく、大勢の男がずらりと並んで立っていたからだった。勇者志願の男たちと違って、皆一様に立派な服を着、腰には剣を下げている。高貴そうな顔つきからして国王に仕えている貴族たちに違いなかった。
その貴族たちが並ぶ向こうの、一段と高くなった場所には大きな椅子があり、銀髪とひげの立派な老人が座っていた。頭上には宝石をちりばめられた金の王冠を戴いている。彼こそがベールカン国王に違いなかった。
まさかいきなり国王に会えるとは思わなかったハルトはびっくりして立ちつくしてしまい、声も出ない。
すると一つ溜息をついて、国王が声をかけた。
「そなたが紋章の勇者だというのか? 若者よ」
ハルトは、はっとして慌ててうなずいた。返事をしようと思っても、国王や居並ぶ貴族達に圧倒されて言葉が出てこない。
そんなハルトを見て国王は隣に立つ家臣と何やら言葉交わす。失望の表情が王の顔で深まった。貴族たちの間にも呆れの表情が広がっていく。
国王が再び口を開いた。
「この国を謎の黒い霧が覆っているのは知っているな。どうにも邪悪な気配を含んだ霧だ。今は大事がなくとも、じわじわと国と人の心をむしばみ、やがては大きな災害につながっていくと占いに出た。この霧を打ち払えるのは、魔法の紋章を持つ勇者しかいない、とも。そこで、わしは勇者を呼んだのだが……」
国王はそこまで話して、再び大きな溜息をついた。
「どうやら今日も勇者は現れなかったようだ。とうとう本物が現れたという知らせを聞いたので直々に出向いてみたのだが…」
「ま、待ってくれ…もとい、下さい!」
ハルトは必死で声を上げると、急いでいつも通り自分の服の袖から紋章を出し、今回ばかりは周りに見せつけた。
「こ、これが魔法の紋章です……! 森の泉の精からもらいました!」
とたんに貴族たちの間から失笑が上がった。勇者を名乗る大人たちは、みんなそれぞれに紋章を持っていた。今更手に紋章があると言っても、もう誰も本物とは信用しないのだ。
そうこうする内に国王が席を立ち、部屋を出て行こうとした。数人の家来が従う。ハルトは、どうしていいのか分からなくなり、立ちつくした。
その時、その場に残っていた貴族の間から突然声が上がった。
「どうかお待ちください、陛下。今しばらく」
そう言って貴族たちの後方から前に進み出てきたのは、白髪交じりの中年の男だった。立派な刺繍が為されているが既視感のある黒い服を着た、腰に大剣を下げた男、いや――――
「……ギーゼル」
やっとハルトの口から声が出た。
どうしてこんな所に? と尋ねようとして、不意に気がついた。ギーゼルは、もともと高貴な人物に仕える騎士と言っていた。ハルトはてっきりどこかの貴族の家来なのだろうと勝手に考えていたが、実際にはギーゼル自身が貴族で、その主君とは国王のことだったのだ。
すると、ギーゼルが、にやっと笑った。
「どうした、坊主。昔の元気がないじゃないか。伝説の勇者様がそんなにびびっていたんじゃ、誰も信用してくれんぞ」
身なりは立派でも、口調は昔と変わらない。
「出過ぎた真似をするな、ギーゼントン卿」
と貴族たちからたしなめる声が上がるたが、ギーゼルは涼しい顔でハルトに歩み寄った。
「よくここまで来たな、ハルト。待っていたぞ」
足を止めていた国王は、ギーゼルに向き直ると言った。
「その子どもが、そなたの見つけたという勇者だというのか、ギーゼントン卿?何かの間違いではないのか?」
どうやらギーゼントン、というの、ギーゼルの本当の名前のようだった。
話しかけられたギーゼルは国王に向かって片膝をつき、うやうやしく頭を下げた。それを見て、ハルトも慌てて国王にひざまずいた。
「確かに、ここにいるハルトは、まだ十七歳の若者です。ですが、泉の精から魔法の紋章を授かり、勇者となる使命を担っております。どうか若さに惑わされませぬよう、お願い申し上げます」
それを聞き、たちまち貴族の間から疑いの声が上がる。無理もなかった。こんな子どもが国の一大事を救う勇者だとは――
国王が言った。
「その若者が本物である証明はできるのか?」
証明、と言われてハルトは困ってしまった。自分の紋章を見せても信じてもらえないのなら、どうやってそれを証明すれば?
ところが、慌てることなくギーゼルは答えた。
「簡単なことです。陛下、お目汚しのほど失礼つかまつります」
そう言うやいなや、ギーゼルは黒い上着を脱ぎ、腰から例の大剣を引き抜いた。幅広い刃がぎらりと光り、人々が思わず身構えた瞬間、ギーゼルはそれを自分の腹に突き立てた。ぱっと、血しぶきが飛び散る。
「ギーゼル!!」
ハルトは悲鳴を上げ、部屋の中も騒然となった中で、ひときわ大きな国王の声が響き渡った。
「なんということを! 誰か、魔法医を呼べ!」
ところが、ギーゼルは苦痛に顔をしかめながらも言った。
「お待ちを、陛下……大丈夫です……」
それから、ギーゼルは側で真っ青になって慌てるハルトに言った。
「おい、何をぼんやりしている……。このままだと、俺は死んでしまうぞ……」
ハルトは、はっとすると、大急ぎで右手をギーゼルの傷口に押し当てた。
『世界樹の根よ、彼の者に癒やしを』
すると。
したたり落ちる血が、ぴたりと止まった。
ギーゼルの腹に突き刺さったままの大剣が、じりじりと押し戻され始める。
遂には剣は刃に血を付けたままぽろりと床に落ちた。
おおっ、と人々の口から驚きの声がもれた。
ギーゼルの顔からも苦痛の表情が消え、頬に血の気が戻ってきた。
「ほう」
ギーゼルは人事のように感心した声を上げると、自分の腹をなでながら立ち上がった。
「話には聞いていたが、本当にものすごい威力だな。もう治ったぞ」
「なんてことをするんだ、ギーゼル!」
とハルトは叫んだ。
「本当に死んだらどうするつもりだった。 いくら魔法の紋章だって、死んだ人は生き返らせられないんだぞ…。 力を証明するなら、自分で手でも足でも切って、治して見せたのに……!」
ギーゼルもばつが悪そうな顔をして、
「悪かったな。ああするのが一番手っ取り早いと思ったんでなあ。そんなに怒るな」
「真か? 本当にもう、何でもないというのか?」
国王が驚いて壇上から駆け下りてきた。
「この通りでございます」
ギーゼルは血で染まったシャツの前を開けて見せた。鍛え上げられた体には、どこにも、傷は残っていなかった。
部屋の中がどよめきで満ちた。人々のハルトを見る目が変わり、国王も真剣なまなざしを向ける。
「そなた、ハルト、と言ったか」
そして、国王は部屋の出口へと再び歩き出しながら言った。
「ついてきなさい、ハルト殿、そしてギーゼントン卿。話したいことがある」
国王と共に部屋を出て行く2人を、他の貴族たちは見送った。疑いの声をあげる人間は、もう誰もいなかった。