王都ゴセリア
ハルトは馬に乗り、街道を進み続けた。
いつもならば旅人でにぎわっている街道も、黒い霧のせいでほとんど人通りが見られない。時々小規模な町や村を通り抜けはしたが、どこも人は灯りの点る家の中でじっと息を潜めているようだった。
夜が来れば、自分の手さえ見えない暗闇に包まれる。月や星が出ればいくらか景色が見えるのが、霧が空も地上もまるごと覆ってしまっているので、やはり見通しは効かない。しかたないので、そのたびにハルトは街道脇で野宿をした。火をおこしてたき火をしたかったが、何も見えないので薪を集めることもできないので、手探りで荷物の中からパンと水筒を取り出してはそれで簡単な夕食をすませ、マントにくるまって地面に寝転がった。
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二人組の人物が歩いていた。長い衣のような服を着た男女で、長い木の杖を握っている。街道の両端を歩きながら、時々杖で道の端をとんと突く。すると、突かれた場所が一瞬ぽうっと光って二人の姿を照らし、また暗くなった。
「さて、これで街道には邪悪なものが入り込めん。獣も怪物も街道は避けるだろう」
男が言うと、女が答えた。
「魔法で護れるのは街道とそのすぐ近くの場所だけ。でも、それでも助かる人は多いはずだ」
彼らは作業に集中していて、眠っている人間には気がつかない。街道の両脇を杖を突きながら西へ進み、やがて杖の光も見えなくなった。
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朝になると、相変わらず空に黒い太陽が上って、霧の中でも景色が見えるようになってきた。目を覚ましたハルトはパンと水と干し肉で簡単に朝食を済ませると、また馬に乗って進み始めるのだった。
一日一日、ハルトは食事や休憩のために時々立ち止まるだけで、後はひたすら進み、夜が来たら道ばたで野宿をした。
そんなふうにして旅を続け、ゆうに10日以上たった朝、とうとうハルトはゴセリアに到着した。丘の上に、周囲をぐるりと石壁で囲まれた街があり、街の中央には高い塔のある立派な城が見える。それが、国王の居城であるベールカン城だった。
ハルトは街の門をくぐり、大通りを通って城を目ざした。
城下町は霧の中でもさすがに賑やかで、ハミニジの町よりたくさんのかがり火がたかれ、人々は薄暗い中でも生活をしていた。広場では品物を売り買いする人たちの声が賑やかに行き交い、裏通りからは子どもたちの遊ぶ声が響き、教会からは神を賛美する歌声が流れている。しかしよく聞くと、その歌声は実のところこの黒い霧が早く空から消えて、また日の光が地上に降り注ぐように、と世界樹に祈っているのだった。
ようやく城門の前にたどり着くと、ハルトは驚いて目を丸くした。
城の前には百人以上も男達が集まっていて、ずらりと列を作って並んでいたからだった。がっしりした体格の、見るからに強そうな男ばかりで、鎧兜を身につけた人も大勢混じっている。暗い霧の中でも、その場所だけは霧をはねのけるかのようなむっとするような熱気に包まれていた。
ハルトは馬から下りると、一番後ろにいた人に話しかけた。
「なあ……これは一体全体何の行列なんだ?」
振り返ったのは、全身はち切れそうな筋肉をした背の高い男だったが、ハルトを見ると、声を立てて笑い出した。
「おぉやおや! 君が紋章の勇者なのかい? これはまた、かわいらしい勇者もいたもんだ!」
ハルトはいきなり紋章の勇者と言われてどきりとしたが、すぐに自分がからかわれていることに気がつき、言い返した。
「おっさんも紋章の勇者なのか?」
すると、男の人は目を丸くして、
「おっと。おっさん『も』と来たか! では、やっぱりおまえも勇者志願なんだな。こいつはたまげた!」
そう言って、ますます大きな声で笑ったので、前に並んでいた人たちが振り返って、面白そうにハルトを眺めた。
「おいおい、チビ。ここは国王様に呼ばれた勇者が順番待ちをしているところだぞ」
「おまえなんぞは十年早い。出直してこい」
「あいにくと小姓の受付窓口はあっちだぞ。さあ行った行った」
ハルトは眉をひそめた。
「おっさんたちはみんな紋章の勇者なのか? 魔法の紋章って、そんなにたくさんあるもんか?」
とたんに、男たちはまたどっと、大きく笑った。
「もちろん持ってるとも。ほら、こいつが俺の紋章だ」
「俺様のはこれだぞ。一流の職人に彫ってもらったもんだ。すごいだろう」
「なんだ、そんなのは大したことがない。私のは金だ。魔除けの金色のものだぞ」
男たちは口々に言いながら、自分の服の袖や裾の中から紋章を出して見せ合い始めた。中には、肌に自分で塗って描いただけの男もおり、ハルトはすっかりあきれてしまった。
「そんなの、魔法の紋章じゃないだろう」
言うと、男たちはまたいっせいに笑った。
「魔法の紋章なんて、ただのおとぎ話だ。本当にあるわけがないだろうが」
と最初にハルトが話した男が言った。
「国王は強い勇者が欲しいのさ」
と別の男も言う。
「ああ、なんでも強力な軍隊を作るという噂だな。隣のユング帝国と戦争が始まるという話じゃないか」
「この黒い霧も、ユング帝国の魔導師の仕業しわざらしいぞ」
「では、いよいよ本格的に開戦か──」
男たちの話は、いつの間にやら隣国の陰謀と戦争の話題に移っていた。
ハルトは黙って話に耳を傾けながら、頭の中で状況を整理した。
(どうやら、王都では、この霧は隣国からの魔法攻撃だと考えられているようだ。国王が勇者を呼んだのは、隣の国と戦うための軍隊を作る口実なのだろう、と考えて、こうして力自慢が城に集まってきているということか。だが…)
心の中でつぶやくと、そっと袖の上から例の紋章を押さえた。
魔法の紋章は、おとぎ話でも何でもなく、ここに実在している。そして、自分は正真正銘、本物の勇者なのだ……。
ハルトは、大人たちにさんざんからかわれながらも、黙って列の最後に並び続けた。
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そして、そんなハルトを、城の見張り門の上からじっと見つめる黒い影があった。
「やっと来たな、勇者よ」
影はつぶやくと、滑るように門の上の窓から姿を消した。