6-5. 迷惑料を取り立てにきた
彼は自室で一人、気分良くグラスを傾けていた。
普段の彼は忙しない。帰宅してからも夜遅くまで仕事を続け、国のため、そして何よりも自身の権力強化のために様々な折衝とその方案を練ることに時間を費やす。
時に清廉に、時に汚濁をも飲み干す。正攻法を基本とするが、最も合理的な手段だと判断すれば表に出せない連中の力を駆使することも、命さえも軽く扱うことも厭わない。
そうやって彼はこれまで出世してきたし、地位以上の実権を手に入れてきた。そして今日、最も厄介な相手の殺害に成功した。
彼にとって厄介な政敵。それはマティアス・カール・ツェーリンゲン王子に他ならない。その王子の殺害に成功したとビアンキから極秘の通信を受ければ祝わずにはおられず、だからこそ今日だけは仕事も切り上げ、存分に酒を堪能していたのだった。。
一度目に失敗をした時はマティアスの悪運の強さに悪態をつき、失敗した部下を殴り飛ばしてやりたい気分だったが、今となってはもうそんなことはどうだって良かった。
「後は――」
ビアンキに罪をかぶせて殺してしまえば、今回の件はすべてが終わる。無能だが使い勝手の良さと、スラムの人間とのコネがあったためにそこそこ重用してやったが、これ以上の使い道は無いだろう。口も軽いし、新しい火種となる前に始末してしまうのがベストである。
そう頭の中で算段を立てると最新式の蓄音機にセットされていたレコードを取り替え、針を落とす。重厚な、新しい運命の扉が開いていくような調べに自身の未来を重ねながら彼は椅子に体を深く沈め、芳醇な酒の味と香りを楽しんでいた。
そこに、扉のノック音が混じった。
「……なんだ?」
いい気分のところを邪魔されてやや不機嫌になったが、この程度で家令を怒鳴りつけるのも大人げない。紳士を取り繕い、いつもどおり扉の向こうへ返事をした。
「来客でございます」
「こんな時間にか?」
懐中時計を取り出して確認すれば、時間は夜の九時を回っていた。社交界でもあるまいし、非常識な時間だ。
「構わん、捨て置け」
「し、しかし……」
「私は疲れているんだ。丁重にお帰り願え。しつこい様なら叩き出しても構わん」
今はゆったりとした贅沢な時間を楽しみたい。彼は若干震えている家令の声を無視してそう命じた。
だがそこに、幼い女性の声が混じった。
「家主の部屋はここか?」
「お、お客様! 困ります!」
「困って頂いて結構。なにせ――我々は迷惑料を取り立てにきたんだからな」
扉越しにそんなセリフが聞こえてきたと思った瞬間。
扉が爆ぜた。
爆音と爆煙が一気に立ち込め、彼は咳き込みながら飛び上がって砕け散った扉を見た。
砂煙の奥にシルエットが浮かび上がる。やがて視界が晴れ、口を真一文字に結んだアーシェが姿を現した。
「どうもお騒がせして申し訳ありませんね、閣下」
「君は……確か……?」
「第十三警備隊隊長のアーシェ・シェヴェロウスキー大尉です」
「そう、そうか、君がシェヴェロウスキー大尉か……噂はかねがね。それでいったい何の騒ぎかな?」
「決まっています――貴方を、マティアス王子殺害未遂の容疑で逮捕に参りました」
未遂。その言葉に彼は非常に動揺した。おかしい、そんなはずはない。つい先日、自分は王子殺害に成功したと報告を受けた。まさか情報が間違っていた? いや、目の前の少女大尉のところまでまだ情報が届いていないだけの可能性もある。
素早く思考を巡らせ動揺を押し隠すと、彼は怪訝そうに首を捻ってみせた。
「よく分からないな。恐れ多くも私が王子を殺害しようとした。そう聞こえるんだが?」
「ええ、一言一句そのように申し上げています」
「中々面白い冗談だ。しかし残念ながら君の推測は間違いだし、私は軍人としての王子を尊敬している。単なるお飾りに見せかけてその実、他のどの将校よりも優秀だ。あの方こそこの国の将来に必要な人物であって、そんな方を殺す理由がないね」
「その言葉……ぜひとも本心であって欲しかったよ」
素知らぬ顔で言ってのける彼だったが、その声に今度こそ動揺を隠せなかった。
アーシェの後ろから現れたマティアスが部屋の主を睨みつける。だがその瞳には深い失望と、「どうして」と疑問が強く渦巻いていた。
「マティアス王子……!?」
「残念だ。実に残念だ。貴君は私の事を、そして国の事を真に憂いてくれていると心から信じていた。だからこそ、未だ信じられないよ」嘆息し、マティアスは彼の名前を口にした。「――ブルクハルト准将」
マティアスを前にして、ブルクハルトは未だ放心状態だった。
死んだはずの王子が目の前にいる。それが意味するのは何か。聡い彼の頭脳はすぐさま状況を理解して冷や汗がこめかみを流れ落ちる。それでも何とか取り繕い、胸を撫で下ろす仕草をしてみせた。
「……これはこれはマティアス王子。ご無事だったのですね。再び悪漢に襲われたという情報を耳にして心配していたのですが、いや、それが間違いだったようで安心致しました」
「いい加減茶番は止しましょう」アーシェは首を横に振った。「我々がここにいる。その意味を理解できないほど愚かではないはずだ」
「……買い被りはよしていただこう。私はそこまで賢い人間ではないし、少なくとも身に覚えのない容疑で連行されるのは許容できんよ」
「ならばハッキリ申し上げましょう。准将、貴方が手足として使っていたビアンキ中佐もグートハイルも、もうすでに貴方が動かせるところにはいません。彼らが教えてくれましたよ。今回の事件、すべての黒幕こそ貴方なのだと」
実行を担っていた二人の名前が出てきたところでブルクハルトは歯噛みした。可能ならば煙に巻いて言い逃れしようと思っていたが、もはや言い逃れできる状況ではないと理解した。
「そうか……ならひょっとして、王子殺害に成功したなどと誤った情報をもたらしたのも――」
「ええ、私です。ビアンキ中佐から教えてもらった方法を使って私が送りました」
「やはりそうか。なら参考までに教えてくれないかね? ビアンキが捕まったのはいつだね?」
「二日前になります」
「二日、か」ブルクハルトはため息を漏らした。「それだけあれば手の打ち様もあっただろうな」
「ビアンキなら無理でしょうが、閣下であればそうでしょうね」
「今更打つ手はなし、ですな……」
「准将。手荒な真似はしたくない。観念して――」
「であれば――今の私にはこうするしかないのです、王子」
手元に置いてあったベルをブルクハルトは鳴らした。
その途端、武装した兵士たちが部屋に踏み込んできてたちまちにアーシェたちを取り囲んでいく。
彼らは非常時に備えてブルクハルトが待機させていた私兵だ。円を描いた兵士たちの外側で、ブルクハルトはわざとらしく眉尻を下げ、嘲るように肩を竦めた。
「私はまだこんなところで終わる人間ではないのです。
であるならば王子、そして大尉。二人はこちらには来られなかった。どこかへと出かける途中で何者かに襲撃されて行方不明に。私の方でそのようなシナリオを作ってみたのですが、いかがでしょう?」
「いつから閣下は脚本家に転職されたので?」
「決まっている。君が軍に入るそのずっと前からだよ」
やれ。その言葉と同時に術式が一斉に掃射された。
破裂音とまばゆい光が一気に覆い尽くし、部屋の景色を塗り替えていく。轟音ばかりが響き渡り、それがどれほどの時間続いたか。立ち込めた白煙ですぐ隣の兵士の姿さえ見えなくなった頃にようやく音が収まった。
「……さすがに部屋を作り直さねばならんか。だがこれでさすがにもう――」
跡形も無いだろう。ブルクハルトはほくそ笑んだ。
しかしすぐにその顔が驚愕と恐怖へと変貌した。
「閣下、いや、ブルクハルト」
煙が晴れていくにつれて影が二つ浮かび上がっていき、やがてまったくの無傷でアーシェ、そしてマティアスの姿が露わになっていった。
「一つ助言してやる。残念ながら貴様には脚本家の才能はない。すぐに廃業することを勧める」
「くっ……! もう一度だっ! 撃てぇッッ!!」
再びの爆音と煙幕がアーシェたちの姿を覆い隠していく。だがそこに突風が吹き荒れたかと思うと煙がまたたく間に晴れていく。そして、青白く光を放ちながらアーシェが口端を吊り上げクツクツと笑い声を上げた。
「っ……!」
「無駄だ。その程度では私に傷一つつけられんよ」
そう言うや否や、アーシェの頭上に複雑で緻密な魔法陣が浮かび上がった。赤黒くそれが瞬いた途端、細い閃光が全方向に向かって放たれて兵士たちの手にある術式銃を寸分違わず撃ち抜いていく。
術式銃が爆発し、兵士が慌てて手を離して顔をガードした。が、気配を感じて腕を下ろせばすぐ目の前にアーシェがいた。
彼女が、ニタリと笑った。
「がっ……!?」
兵士の顎が掌底で跳ね上げられ、体が宙を舞う。一瞬の出来事に他の兵士たちも呆気に取られるが、その隙にも次々とアーシェによって倒されていく。
殴り飛ばされ、床に叩きつけられ。あるいは壁に投げつけられ、あるいは術式で吹き飛ばされ。
一人、また一人とまたたく間に立っている人間が消えていく。そうして気がつけば、アーシェたちを除いて立っているのはただ一人となった。
「う……く……!」
「さて、いい加減諦めたらどうだ?」
「う、おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
追い詰められたと悟ったブルクハルトが、雄叫びを上げながら懐から拳銃を取り出してアーシェ目掛けて連射していく。が、ただの拳銃が通るはずもなく、すべてが防御術式の障壁で受け止められるだけだ。
アーシェは嘲笑を浮かべながらブルクハルトへ近づいていくと彼の腕を掴んで――へし折った。
「があああああぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
ブルクハルトの絶叫が響く。その首元をアーシェは掴み、片手で持ち上げて睨めつけた。
「私にはな、どうしても我慢ならんものがあるんだ。地獄へ送る手間賃代わりに教えてやろう」
「く、苦し……や、め……」
「それはな――自分の都合を一方的に押し付けてくる連中だ」
首を握りしめた腕に力を込めながら、ゆっくりと自身の方へと近づけていく。口が大きく開き、その奥から白い歯が獲物の到来を今か今かと待ち構えていた。
「役者がいつでも脚本家の思い通りに動くと思ったら大間違いだ」
「わ、私を殺せばどうなるか……いずれ王国が滅亡することになるぞ……!」
「貴様ごときいなくなっただけで崩壊するような国なら、さっさと滅んでしまった方がマシだ。それに――」
アーシェは振り返りマティアスを見上げた。二人の視線が交差し、アーシェはうなずいた。
「ブルクハルト准将――死にゆく貴殿がそのような心配をする必要はない」
「マァァァティアァァスゥゥッッッッ!」
「アーシェ――やれ」
「ああ。
ではな、ブルクハルト。私の中でビアンキどもと仲良くさまよっていろ」
そう吐き捨て、アーシェの歯がブルクハルトの首を食いちぎった。
一瞬の悲鳴の後に咀嚼音が静かに響き、やがて音が途絶えると二人は部屋から出ていった。
そうして残ったのは倒れた兵士と血に塗れた絨毯だけとなったのだった。
Moving away――