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魂喰いのアーシェ  作者: しんとうさとる
File5 戦禍の残滓

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6-2 何故それを大佐殿が……!

初稿:20/08/23





「その宝石、何処かで……まさかっ!」


 リンベルグが握る宝石にアーシェは引っかかりを覚えたが、不意にその正体に思い至った。

 それは、人の魂と脳を術的に濃縮するというおぞましい所業の果てに出来上がる悪夢の結晶。

 名は――ミーミルの泉。


「何故それを大佐殿が……!」

「神の使徒からの贈り物だ。神の力になど頼りたくは無かった。だが……!」

「なっ……!?」


 鮮やかに輝く宝石を彼は握りしめ――ためらいなく口の中に放り込んだ。

 飲み込んで喉が震えたその瞬間、リンベルグのまとう雰囲気が急変していった。

 体内から莫大な熱量が生まれ、打ち付ける雨が体に触れる端から蒸発していく。立ち上る蒸気に全身が覆い隠され、シルエットが肥大化していった。


「う、ぐぅぅぅ……!」


 苦しげなうめく声が漏れ、眼鏡の縁から覗く瞳が赤く輝いた。それはまるで堕ちたミスティックたちのようで、あちこちから浮き出た血管が生き物のように有機的にうねっている。

 その様子を目撃していたアーシェの顔が歪んだ。頭に浮かんだのはその材料となってしまったマンシュタイン家の面々。胸の奥で引き裂かれるような痛みを覚え、彼女は吠えながらリンベルグへと突撃した。


「吐き出してくださいっ、大佐殿!」


 リンベルグを襲っている異変は明らかに尋常ならざるものだ。このままではいけない、とアーシェは彼の腹目掛けて拳を突き立てようとした。

 だがその拳は直前で阻まれた。

 彼女の拳を包み込む不自然に肥大したリンベルグの手のひら。顔を上げると、真っ赤な瞳と目が合った。

 ニヤリとリンベルグが醜悪に笑う。そして義手の拳がアーシェを襲った。

 アーシェはすぐさま両腕を強化してガードする。しかし硬い拳が強かに殴りつけ、腕が軋んで痛みに顔が歪んだ。


「くっ、急に……!?」


 打撃の威力を逃しきれず、アーシェの軽い体が大きく弾き飛ばされていく。ダメージこそさほどではないが、術式で強化されたにしろ先程までと威力が明らかに違った。


「だが何故……!?」


 ミーミルの泉は叡智を人に授ける代物のはずだ。決してこんなドーピングじみた身体能力を嵩上げするようなものではない。それにまだミーミルの泉は未完成だったはず。だからこそトライセンが秘密裏に研究していたのではないか。

 他に研究していた人間がいた? あれからこの短時間で完成させたというのか? だとしてもリンベルグがこんな戦いの場で消費していいようなものではないはずだ。

 疑問が次々と浮かんできながらもアーシェは勢いを殺して踏みとどまる。だが顔を上げた彼女の目に入ったのは、目の前に浮かぶ無数の魔法陣だった。


「術式の同時多発展開だと……!」


 驚愕に、言葉を失った。

 術式を同時に展開するのは、いわば並行して魔素方程式を演算するのと同義だ。必ずしも普通の人間にできない技術でもないが、ここまで大量に展開するにはただの人間では能力が足りない。その身に大量の魂を内包するアーシェだからこそ可能な技術のはずだ。


「死ねぇシェヴェロウスキーィィッッッ!!」


 リンベルグが叫び、無数の術式がアーシェ目掛けて襲いかかってくる。すぐさまアーシェは加速し、視界を覆い尽くす術式の僅かな隙間を縫って避けていく。しかしかわしたはずの術式もまた急旋回し、アーシェの後を追いかけてきた。


「ちっ、追尾術式まで……!」


 いったいなぜミーミルの泉でここまでリンベルグの能力が上がったか。疑問ではあったがよくよく考えてみれば当たり前の話である。

 トライセンが研究していたミーミルの泉は、大量の人間を材料にしてその魂と脳を濃縮してできる物だ。だとすれば、今のリンベルグはそれだけの魂を身に宿しているのと同じ――つまりは、アーシェと同等と言えた。


「厄介な――」

「――戦いの最中に考え事とは余裕だな、シェヴェロウスキー」


 間近から聞こえた声にハッと顔を上げれば、リンベルグが目の前で術式を展開し仁王立ちしていた。

 再び膨大な術式が放たれ、彼女の体が術式の嵐に飲まれていく。炎と爆煙が辺り一帯に立ち込めて完全にアーシェの姿を覆い隠すも、リンベルグは剣を構えたままじっと彼女のいた場所をにらみ続けていた。

 が。


「っ!?」


 背後に現れるアーシェ。頭部や手足のあちこちに裂傷がありダラダラと出血しているがそれだけ。彼女の瞳は一切の痛痒など感じさせず、リンベルグだけを捉えていた。

 リンベルグもまた驚異的な速度で反応し、剣を横薙ぐ。それもアーシェは強化した腕で受け流すと、拳を彼の腹部へとぶち込んだ。


「っ……!」

「お返しだっ!」


 殴り飛ばして距離が生まれるやいなや、アーシェは自身の内包する魂へとアクセスを開始した。

 普段アクセスするよりも更に深くへ。普段は眠ったままの魂を引っ張りだし、それに伴い演算量が莫大に増えていく。

 頭痛が増す。眼の血管が千切れていき血の涙があふれる。しかしその端から即座に回復し、クリアになった視界にリンベルグの倍以上の魔法陣が映った。

 淡い赤だった魔法陣の色が紅に、そしてさらに禍々しく染まっていく。

 やがて紅から黒へと完全に染まりきる。解き放たれた術式があらゆる角度からリンベルグを襲っていき、彼も回避を試みるが、自らの動きよりも遥かに速く正確なアーシェの攻撃をかわすことができなかった。

 一撃が脚をかすめると、そこから怒涛の勢いで術式が彼を貫いていく。

 右手、左足。左腕に右肩、左脇。命中する度にリンベルグの体がまるで操り人形(マリオネット)のように踊り、血を撒き散らしていく。表情が苦悶に歪み、それでもなお追撃に迫っていたアーシェの拳を間一髪のところでかわしていった。


「年寄りはとっとと寝てしまえっ!」

「舐めるな若造がぁッッッ!」


 ボロボロの飛行補助魔装具を駆使して体勢を立て直し、リンベルグは再びアーシェへと迫ろうとした。

 しかし。


「が、げほォっ……!」


 突然リンベルグの動きが止まり、激しく咳き込み始める。体がくの字に折れ曲がり、やがて一際激しく咳き込むと、一気に血を吐き出した。

 それを皮切りにしてリンベルグの異変が進んでいく。浮き出た血管が耐えきれなかったように血を噴き出し、盛り上がっていた筋肉がさらに歪んでいく。加えて背中からは――まるで悪魔を思わせる異形の翼が生えていった。


「やはり……」


 その様を見てアーシェは表情を厳しくさせ、唇を噛んだ。

 リンベルグに現れた異変。それはアーシェが推測するに、魂に肉体が耐えきれなかった結果だ。ただの人間が複数の魂を身に招き入れればどうなるか。耐えられるはずがない。

 アーシェが魂喰いとして膨大な魂を宿してなおも彼女としての存在を保っていられるのは、彼女自身がかの不世出の天才魔術師にして魔女でもある「ドクター」がそのように設計して、なおかつ具現化した最高傑作であるからに他ならない。その域に達してやっと膨大な魂を身に宿せるのだ。そうでない不相応な力は身を滅ぼすしかない。


「大佐殿……もう終わりにしましょう。飲み込んだ宝石を吐き出してください。今ならまだ間に合います」


 アーシェが呼びかけるとリンベルグは顔をゆらりと上げた。異変はどうやら一時的に収まったらしいがその顔はなお苦痛と疲弊に歪んでおり、口からは血を流し続けていた。

 それでもリンベルグは剣をアーシェへと向けた。


「大佐殿ッ!」

「……見くびるなよ、シェヴェロウスキー」


 荒い呼吸を整えるのもままならないが、それでもリンベルグは彼女を突き放した。魔装具の制御もおぼつかないのかふらふらと上下に揺れている。だが赤くなった瞳はなおも鋭くアーシェを捉えていた。


「……ここは戦場だ。そして私は……俺はまだ立っている。お前に剣を向けている。そんな敵をお前は侮辱するのか?」

「結果はもう見えています。分かりきった戦いを続けることほど愚かなことはないと教えてくれたのは大佐殿でしょうがっ!」

「ああ、そうだろう。一将校、一兵士であるならそれは正しい」

「ならっ!!」

「だがこれは俺が仕掛けた戦争だ」


 ジロリと鬼気迫る瞳がアーシェを射抜く。


「ならば引けぬ戦いもある。もとより退路は断っている。妻と娘を殺すと決意したあの瞬間から。ならばどうして誇りを捨ててまで、自らの生き方に泥を塗ってまで生き残ることを望もうか」


 その姿は満身創痍。すでにまっすぐ立つことさえ難しいほどに体力も魔素も消耗しているはずである。それでもリンベルグは剣を構え、術式を展開し始めた。


「この……分からず屋めっ!!」


 ギリッ、とアーシェは歯噛みした。苛立たしげにリンベルグを睨みつけ、彼女の方から攻撃を仕掛けていく。

 術式を展開し、暗い空を斬り裂いていく。リンベルグもかろうじてアーシェの攻撃を防いでいくが、命中する度に右へ左へと弾き飛ばされていき、姿勢を制御するだけでやっとの状態だった。

 それでも研ぎ澄まされた感覚は間隙を見つけ出した。アーシェへの道筋を見つけると彼は少々の被弾は無視して接近し、近接戦を挑んでいった。

 アーシェの放つ術式が次々と手足を貫いていく。血を噴き出しながら、だがリンベルグは止まらずアーシェへと斬りかかった。


「ぬぅんっ!!」


 血を撒き散らしながら、なおも太刀筋は鋭い。しかしアーシェはそれらを見切り、かわしていく。

 そこで再び限界が訪れたか、リンベルグが激しく咳き込んで動きを止めた。瞬間、アーシェは防戦から一転して一気に懐へと潜り込んでいった。

 そして――リンベルグが笑った。




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