2-2 平和な時間はお終いらしい
初稿:20/07/12
「今のは悲鳴っ……!?」
「ちっ……どうやら平和な時間はお終いらしいぞッ!」
ついでに我々の昼休みも終わりになりそうだ。なんてこったい。
思わず頭を抱えそうになるが、職務は果たさねばならん。さっきまで露店冷やかしに忙しかったノアが真っ先に悲鳴の方へ走っていき、私とニーナもすぐに追いかける。
現場は走り出した場所からはそう離れていなかった。角を曲がればあっという間に人集りが見えてきて、あちこちから「うわぁっ!」だの「あぶねぇッ!!」だの悲鳴が聞こえてきた。そう思うんなら野次馬なんてやってないでさっさと逃げろと言いたい。
「どけっ! 邪魔だっ!!」
術式で一網打尽にしてしまいたい衝動を堪えつつ邪魔くさい野次馬共をなんとか押しのけて前に。こういう時にアレクセイたちがいてくれたらさっと道ができて楽なんだがな。
やっとのことで人集りを抜け出て新鮮な空気を吸い込むことに成功する。個人的にはここらで一息をつきたいところだ。が、残念ながら状況はそれを許してはくれないらしい。
「どこだ……何処にいるぅぅっ……!」
人集りの中心には、目を血走らせた男が一人立っていた。腕の義手から刃物が飛び出していて、足元にはどうやら切りつけられたらしい若い男が血を流して倒れていた。そしてそいつと同年齢くらいの着飾った女が男にすがりついている。コイツがさっきの悲鳴の主か。
「どこ、どこどこどこにいるランカスターの連中は……? ら、ら、ら、ラインラントのクソどもも……全員皆殺しだ……! 王国は、お、お、俺が守ってみせるんだ……!」
刃物男は血の気の無いいかにも不健康な顔色でフラフラしながら酒をラッパ飲みしてた。周りの連中も何とか男女を助けようとしてるが、近寄ろうとすると男が刃物を振り回してるせいで手が出せないらしい。
「殺す殺す殺す……殺してやるぞ、戦場はどこだ……他の敵はどこだ……連中はひとり残らずぅぅっっ……!」
「あの人、何を言ってるんでしょう……?」
これはアレだ。たぶん戦争で頭のネジがぶっ飛んだ連中の成れの果てってやつだ。
その証拠に奴の腕にある戦闘用の義手。私の記憶が確かなら、あれは三年くらい前まで軍の制式品として兵士たちに支給されてた物のはずだ。おまけに脚も義足だし、左目も戦闘用スコープ機能がついた義眼が埋め込まれてて、露出してる体の半分近くが機械という、もはや人間と言うよりは戦闘用サイボーグに近いな。
察するに戦争に明け暮れて頭おかしくなって、戦争なしじゃ生きられない体になっちまったというところか。そこに精神安定剤代わりの酒が悪い方向にキマって大暴れ。まあ、よくある話だ。はた迷惑ではあるがね。
「殺す、みんなみんなみんな俺が殺してやるぅぅッッ!!」
酒なのか唾液なのかよく分からんものを撒き散らしながら男が義手の刃物を振り上げ、女が怯えた眼を向けると男の顔がニヤリと愉悦に歪んだ。奴さんの頭の中じゃ敵を殺せてさぞハッピーな展開が妄想されてるんだろうよ。
だがな。
「そうはさせんよ」
二人の間に割って入り、ソードが女を斬り裂く前に受け止める。男は目を剥いて振り払おうともがいてくるが、当然ながら離してやるわけがない。
「は、離せぇぇッ! お前、お前も敵、敵敵敵……! 殺すぅぅぅ……!」
「残念ながらそうはいかない」
貴様の目にどう見えてるかは知らんが、ここにいるのは職務上全員守るべき人間だからな。
男の腕をひねり上げ、蹴り飛ばす。男が転がっていき、それに合わせて人集りも慌てて離れていく。さて、とりあえず男女の安全は確保っと。
「ノア。その二人の治療に当たれ」
「は、はいっ!」
駆けつけたノアにケガ人たちは任せ、私は起き上がった男と対峙する。
まずは捕縛術式を展開。腕を振るうと、術式で作られた白い線状の紐が男めがけて飛んでいく。これで大人しく捕まって欲しいところなんだが――
「殺すぅっ!! 殺して殺して……ハラワタ引きずり出してやるぅぅっっっ!!」
物騒なことを叫びながら、術式が組み込まれた義手の刃で捕縛術式を弾き返した。やはりさすがは元軍人というところか。頭はイカれてても術式はまともに使えるらしい。
まあだからと言って慌てる必要など微塵も無いのだが。
「どうした? こないのか? 憎い敵はほれ、貴様のすぐ目の前にいるぞ?」
挑発してやると男は目をいっそう血走らせて、もはや意味不明で何言ってんのかさっぱりなことを叫びながら突進してきた。
それを見ながら私も術式を展開。威力をかなり押さえて攻撃してみるが、男はそれを薙ぎ払いながら近づいてくる。
まあやはりこれもそうなるか。とはいえ、私も真面目に倒すつもりで術式を撃ったわけじゃない。
男が迫ってくる中、私の横を三つほど金属の塊が通り過ぎていった。足元に転がったそれを男が反射的に蹴飛ばそうとして――唐突に転んだ。
「なん、だっっ……!?」
男が蹴飛ばそうとしていたのはニーナ謹製のトリモチ式捕縛魔装具 (仮称)だ。ベッタリと男の脚に張り付いて地面となんとも仲睦まじい関係に仕立て上げたうえに、義手のソードもトリモチで使い物にならない状態だ。あれは取るの大変だぞ。しかしよくもまああんな物を考えついたものだ。とはいえ、非殺傷兵器としては非常に優秀だと言わざるを得ないがね。
「くそぉ、くそがぁぁ……!!」
狂ったように呪詛を撒き散らしながら、なおも這って進もうとしている。しかし残念ながらそれは無駄な努力というやつだな。
ゆっくりと近寄っていくと男が怨嗟のこもった目をこちらに向けてくるが、そんな瞳、これまで腐るほど見てきているし何の気にもならない。
とはいえ、まあ私にも同情心の欠片くらいはある。
「――悪夢を見続けるのは辛いだろう?」
普段はめったに使わない睡眠魔法を展開する。本来ならせいぜいが入眠の助けになるくらいのものだが、そこは私の魔素量に物を言わせて男を強制的に眠りにつかせていく。と、程なく穏やかな寝息を立て始めた。
「……終わりました?」
「ああ。
ノア、そっちはどうだ?」
「大丈夫です!」男の手当をしていたノアが声を張り上げた。「重傷ではありますけど出血は止まりました。すぐに病院に運べば命に別状はないと思います」
「分かった。なら貴様はその男を病院へ連れて行け。後はこちらでやっておく」
私の指示を受けてノアが斬られた男と、そのツレらしい女を連れて病院へと走っていく。それを見送って足元で眠ってる犯人の方へ向き直れば、ニーナが難しい顔をしていた。
「今度は何に悩んでるんだ、お前は」
「アーシェさん……いえ、この人に何があったのかなって」
頭が逝ったヤツまで気にするなんてまったく、優しいことだ。
「そこまでお前が気にする必要はない。我々は仕事をこなせばいい……と言っても納得しなさそうだな」
ニーナが無言でうなずいた。やれやれ、仕方ない。
「コイツは元軍人だが……戦場で精神をやられたと見てほぼ間違いないだろうな」
「えぇっと、PTSDってやつですか?」
なんだよく知ってるじゃないか。
「そうだ。……おそらくは何年も前線で戦っていたんだろうな。常に敵の攻撃に恐怖し、敵を殺すことに怯え、いつ術式の嵐が降ってくるかもわからん環境で戦い続ける。とても正気じゃいられない場所だ。ただいるだけで、空気を吸うだけで狂気に飲まれる。
コイツはそんな場所にいすぎた。だから戦場から帰ってこれない。たとえ、戦争が終わっていたとしてもな」
ったく、とんだ悪夢だよ。しかもその悪夢はいつまで経っても覚めやしない。唯一、悪夢を見ないで済むのは深く深く寝てる時だけ。眠ってこそ悪夢が覚めるなんて、なんて矛盾だ。
「……可哀想ですね」
「ああ。とはいえ、我々ができるのはせいぜいが同情止まりだ。病気やケガと違って薬で容易に治せるもんじゃないからな」
「戦争なんて……無くなってしまえばいいのに」
ニーナが男の寝顔を見つめながらポツリ、とつぶやいた。
ああ、まったくだ。本当に、本当に――
「戦いは、人を狂わせる」
「そう……ですね」
……はあ、どうも湿っぽくなってしまったな。
とりあえずしょぼくれた面のニーナに手を伸ばして、頬をつまみ上げてやる。
「にゃ、にゃんでしゅかっ?」
「貴様までそんな顔してるんじゃない。共感が過ぎると貴様まで狂気に取り込まれるぞ」
そう言って頬をひとしきりむにゅむにゅして解放してやる。するとようやく気が紛れたか、頬を擦って「ひどいですよぉ……」と言いながら笑顔が見えた。ホントに、世話の焼けるヤツだな。
「ともかく、私はコイツを本部に連行する。貴様はカミルの飯を買って先に戻ってろ」
ニーナに指示を出すと、眠って一向に起きる様子のない男の下に潜り込んだ。そのまま肩に担いで抱え上げ――はしたんだが……なんだか妙に抵抗があるな。
怪訝に思って振り返れば――男の足からびよょぉんとトリモチが伸びていた。地面からそれはもう長ーく長ーく伸びていて、にもかかわらず千切れる気配もない。いや、まあ性能が良いのは良いんだろうが……
「おい、ニーナ。こいつの外し方は――」
ニーナの方を振り返る。がすでにアイツは昼飯を買いに消えていて、あれだけいた人集りもすっかりいなくなっていた。
つまりは、私とトリモチを脚にひっつけた男だけが残されているわけで。
「どうすりゃいいんだよ、これ……?」