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魂喰いのアーシェ  作者: しんとうさとる
File5 戦禍の残滓

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44/160

1-1 ああ、本当に――良かったよ

初稿:20/07/10



――ByStander





 その部屋の壁は本で埋め尽くされていた。

 決して広くはない。だがその壁の三方は大きな本棚で覆い尽くされていた。

 縦にも横にも大きいそれにぎっしりと本が敷き詰められていて、持ち主が大変な読書家であることが窺えた。だが眺めてみれば気づくだろう。その本の種類が非常に偏っていることに。

 兵法、戦略、戦術、兵站といった軍事に関するものに武器、兵器、術式といった戦闘関連のものばかりが並んでいた。小説などもありはするが、それも戦争や武器を題材としたものがほとんどだった。

 その部屋の中央に置かれた椅子に、主であるヒッツカラルド・リンベルグ大佐が静かに座っていた。

 卓上に置かれたランプが白に近い灰色の髪をほのかに赤く照らしている。顔には深い皺が刻まれて、うつむいたその表情はどこか疲れた老人の様であった。

 老眼鏡の奥にある穏やかな瞳が彼の膝の上に注がれる。膝上には、彼が長年愛用している武装義手があった。それを綺麗な布で丁寧に磨き続けている。まるで自分の子どもを慈しむように撫で、やがて磨き終えると顔の高さまで持ち上げた。

 ピカピカの表面に映る、疲れた顔。しわだらけのまぶたが少し持ち上がると、奥から射抜く様な瞳が覗いた。しばらくじっと自らの顔を見つめていたが、コンコンと扉がノックされると再び疲れた壮年の男の顔に戻っていった。


「あなた、夕飯の準備ができましたよ」

「ああ、分かった。すぐに行くよ」


 長年連れ添った妻に呼ばれて立ち上がると、書斎の机に磨き上げた義手をそっと置いて部屋を出る。ダイニングに行けば、テーブルには妻が腕によりをかけて作った温かい料理が所狭しと並び、愛する妻、そして十七になる娘が彼の到着を待っていた。


「遅いよ、お父さん! せっかくの料理が冷めちゃうじゃない」

「はは、すまない。待たせたね。さ、頂くとしようか」


 わざとらしくふてくされた仕草を見せる娘を苦笑いしながら宥めると、祈りを捧げて夕飯を開始する。

 食事をしながら楽しげに会話を弾ませる妻と娘。そこにリンベルグも時々穏やかな口調で加わる。暖かな団らんの時が続き、幸せな家族の肖像がそこにはあった。

 食事が終わってもなおも会話を続ける二人の姿をリンベルグは頬杖をつきながら見つめる。穏やかなその瞳に家族の姿が映り――だがその実、何も映してはいなかった。


「――でも、本当に良かったわね」


 ぼうっと眺めていたリンベルグだったが、妻の瞳が自分に向いたのに気づいて体を起こした。


「何の話――ああ、転属の件か」

「そう。無事に転属願いが受理されて良かったわ。これからは戦場に赴くことはなくなるのよね?」

「可能性はゼロではないがね」妻の言い方にリンベルグは苦笑した。「プロヴァンスは国境からも離れてるし、しかも補給部隊だからね。ランカスターとは近年は比較的良好な状態を維持できているし、もし戦端が開かれるようなことがあったとしても本部や国境の部隊とは違って直接前線に赴くような事はないはずだよ。せいぜいが送られてきた物資を前線へ流すだけの簡単な仕事さ」

「なら安心ね。そうだ、転属の後は時間もできるんでしょう?」

「そうだね。少なくとも今よりはずっと暇なはずだよ」

「なら今度、三人でゆっくり旅行でも行きましょうよ!」

「賛成っ! そうしようよ。ね、パパ?」

「今まで頑張ってきたんだもの。しばらくのんびりしたってバチは当たらないわ」

「……そうだね。君にはずっと支えてもらってたしね。よし、なら旅行でもなんでもしようじゃないか」


 リンベルグが笑って同意を告げると、彼の妻と娘は「良かった!」「やった!」と口々に喜んで抱き合った。そして気づいた時には、すでにリンベルグそっちのけで行き先の話し合いが進められていた。

 その様子に苦笑いを浮かべていたが、次第に視線が下へと降りていく。

 手に持ったグラスの水面にさみしげな顔が浮かぶ。それを彼はじっと見つめながら、小さく感情のこもらない言葉をこぼした。


「ああ、本当に――良かったよ」


 握られたグラスが、静かにひび割れた。





Moving away――



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