1-2 魂は、腐っているほど美味い
初稿:20/03/29
「あ……?」
キョトンとした男の間抜け面を眺めながら、腕を引き抜いた。砕けた胸元の金属プレートに混じって、肉や骨がベチャベチャと泥の上に落ちていく。それを見て私は、ああ、もったいない、と思った。
絶命した男の肉体が私にもたれかかってきたのでその頬を殴り飛ばす。と、ぬかるみの中に頭から突っ込んでいって、その様を見ていたお仲間連中が笑い声を上げた。
「ぎゃははははっ! おいおい、何やってんだぁ、おい?」
「あ、あ、あ……!」
「あ? ンだよ、情けねぇ声だして――」
倒れた男を見て連中は笑っていたが、私の手の中にある、未だに弱々しく鼓動を打っている肉塊を見てようやく状況が分かったらしい。
表情と雰囲気が一変した。奴らに浮かぶのは戸惑いと畏れ。良い。腐った連中のその表情はいつだって私の心をくすぐる。心地よい視線を浴びながら小さな手のひらに乗った男の心臓を見下ろす。そして私はそれに――かじりついた。
「――……っ!?」
口の中に広がる血と生肉の味。噛みしめる度に歯を力強く押し返し、だが少し力を込めればぷつりと筋が切れて野趣溢れる味が広がっていく。うむ、実に美味だ。やはり喰らうのは心臓に限る。が、一人から取れる量が少ないのが非常に残念だな。
「さて、と」
ぺろりと数秒で心臓を平らげると、死んだ男を左手で持ち上げて気づく。しまった、泥で汚れてるじゃないか。心臓を食うことばかり考えて疎かにしてしまったな。
反省をそこそこにしつつ、男についた泥を適当に払いのけて首筋に喰らいつく。歯が筋を、肉を切り裂き、血とともに肉を嚥下。細い喉を押しのけて肉が臓腑に落ちていく。その度に男そのものが私の血となり肉となっていくのがよく分かる。
「ふん……随分と人間を売っぱらって贅沢をしてきたみたいだな」
肉を食し、血で喉を潤す度に男の知識、経験、記憶が私に刻まれていく。どうやらたいそうな数の女を売っぱらって大金を手にしてきたようだった。おまけに強盗も殺人も数え切れん。全く、とんでもない悪党だな。ま、私が言えた話ではないが。
そんな事を考えながらもしゃもしゃと男の体をかじっていく。肉は当然、内臓も、骨すらも。
そしてまたたく間に、一人目の男は私の文字通り血肉となった。いや、実に人間というのは儚いものだな。
「ふぅ……さて、お次は――」
「――う、わぁぁぁぁぁっっっっ!!」
どいつにしようかな、と残った連中に目を向けると、連中が我先にと私の前から逃げ出した。気持ちは理解するが、残念ながらそうはいかないんだよ、これが。
「逃げ出すなんて、悪い子たちだ」
男たちの脚めがけて指を向け、頭の中で魔法陣を描いていく。指先から出た貫通術式が脚を貫くと、揃って泥の中に頭から突っ込んでうめき声を上げ始めた。
「しまった、またメシを汚してしまった」
そううそぶきながら近づいていけば、痛みにうめいていた連中はそろって腰を抜かして、まるで人を化け物を見るような目を向けてきやがる。失礼な連中だ。光栄だろ? こんな美少女がお前らみたいな連中に迫ってきてやってるんだからな。
「お、お前は……な、ななな、何なんだよぉ……?」
「私か? 決まってるじゃないか、お前らがどこぞの変態に売っぱらおうとした、教会のシスターだよ」
そうは言ってもこいつらが聞きたいのはそんな事じゃあないことは分かってる。何も知らないまま、というのも可哀想だから教えてやるか。私は慈悲深いんだ。
と思ったんだが、男の一人が腕を震わせながら私を指差した。
「そ、そういえば……聞いたことがある……古びた田舎の教会に脚を踏み入れるなって……
入ったが最後……帰って、きた人間はいないって……」
「なんだ、知ってるのか。なら話は早い」
男の首をひっつかんで持ち上げる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた男の顔を覗き込む。瞳の中で血塗れの少女が笑っているのが私にも分かった。
「それが私だ――ソウルイーターだよ」
じゃあな。そう告げると悲鳴がつんざき、それをBGMにしながら男の頭を噛み砕いたのだった。
「これで最後、か」
荷馬車の荷台に座り、名残惜しく骨をしゃぶっていたのだが、いい加減教会に戻らねばなるまい。シスター・サマンサが心配しているだろうし、完全に陽が暮れる前に窓とかの応急処置を済ませてしまわなければな。
最後の肋骨を噛み砕くと荷馬車の外に出て、血塗れの体を雨で洗い流す。雨が体を打つその微かな刺激が気持ちよくて思わずため息が漏れる。ここまで腹が満たされたのは久しぶりだ。人を喰らう、などという、この身に宿る業の余りの深さに嘆き苦しんだ日々もあったが、それも昔の話。割り切ってしまえば何のことはない。
体を洗い終えると、汚れないように脱いでいたシスター服を着直してロザリオを首にかける。
「迷惑料代わりに、コイツらはもらってくぞ」
荷馬車に残されてた連中の、おそらくは強奪品だろう金品をポケットに詰め込んでいく。こいつを売っぱらえば教会の修繕をしてもしばらくは高い酒が楽しめそうだ。サマンサにばれないよう気をつけなければな。
雨が降りしきる中、術式を展開して宙に浮かぶ。そうして十分も飛行すれば眼下に見えてくるは我が住処。降り立って眺めれば、あのクソったれどものせいで東側のガラスがほとんど木っ端微塵でボロい教会が完全に廃墟にしか見えなくなっていた。なんとも物悲しい外観だが、ろうそくの火で焼け落ちてなかっただけマシだと思うべきかね。
「ただいま戻りました」
同じくぶっ飛ばされた、かつて入り口だったところから中に入れば誰もいなかった。それでも砕け散ったガラス類は綺麗サッパリ掃除されていた。どうやらサマンサが片付けてくれたらしい。
着替えるために二階に上がりかけると、奥のドアが開いてそこからサマンサが顔を覗かせた。
「アーシェ……!」
「シスター・サマンサ」
私に駆け寄ってくると、彼女は抱きしめてきた。ちょっと、シスター・サマンサ。痛いのですが、とも言えず黙ってなされるがままにしておく。
「良かったわ、無事で……」
「だから言ったでしょう? 心配ないって」
「ええ、分かってたわ。でも心配なものは心配なの。せめてそれくらいさせてちょうだい。
それで、あの方たちはどうしたのかしら?」
「ご心配なく、シスター・サマンサ」すっかり得意になった、聖女面で微笑んでみせた。「心を尽くして神の教えを説きましたら皆さん、無事に改心してくださいました。そして、オーテンの街へ向かってこれまでの罪を贖うとおっしゃってましたよ。それと――」ポケットに手を突っ込み、巻き上げた宝石類を少し手渡す。「こんなにお布施を頂きました。これで壊してしまった教会の修繕と、貧しい方々へ施してほしいと言付かってます」
「まあまあ、こんなに……」
サマンサは驚いて、皺だらけのまぶたを見開いた。生真面目で清貧な彼女だから受け取るか戸惑ってるみたいだが、ここで拒絶されても困る。面倒な修繕の手配なぞ、私はしたくない。ということで、強引に握らせて彼女の腕からするりと抜け出した。
「とりあえずはガラス窓に応急処置をせねばなりませんね。着替えて板材を打ち付けますので、シスターは明日にでも――」
「ええ、分かりました。またいつもの職人さんに手配をしておきますよ」
「ありがとうございます。では着替えてきますね」
「温かいスープを準備しておくわ。着替えたらそれを飲んで作業なさいな――あら?」
「どうしました、シスター?」
「大変……口元に血が付いてるわ。やっぱりあの人たちに何か……」
口元を拭うと、そでが赤く濡れた。おっと、いかんいかん。
「ああ、大丈夫ですって、シスター。最初に連れて行かれる時に腕があたってしまっただけでしょう」
サマンサにこれ以上勘ぐられないように慌てて身を翻し、もう一度「大丈夫ですからね?」と念を押して階段を昇っていく。サマンサもそれ以上追求することはないようで、心配そうな視線こそ感じはするが何も言ってこない。
ふぅ、と胸を撫で下ろし、ふと何となく口元に指をやり、指先をそっと舐めると先程喰らった肉や骨、なにより魂の味が頭の中に思い起こされていく。
歯を押し返してくる弾力。引き締まった肉の力強い味に、血と共に体に染み渡ってくる魔素の感覚。それら全てが申し分ない。近年まれに見る当たりだ。思い返すだけで唾液が溢れ出てくる。
何より。
「――やはり魂は、腐っているほど美味い」
File1. 「山の教会の少女(27歳)」 完