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魂喰いのアーシェ  作者: しんとうさとる
File9 彼女は拳を突き上げて高らかに告げた
153/160

7-3. 落ち着いてなんていられませんよ






――Bystander






 静かな執務室で、ペンが紙の上を滑っていく。サラサラと一瞬で署名欄に自分の名を記してその書類を籠の中に放り込むと、息をつくこともなく紙束で作られた山から新しい一枚を手に取った。

 前線では激しい戦闘が行われているのだろうが、この場所はいつもと何ら変わりはない。日々決済を求められる膨大な書類と格闘し、退屈な会議に参加して一日が終わる。誰に見咎められるわけでもないが、マティアスはそっとため息をついた。


「だが、まあ――」


 一見変わらないように思えても、戦争が始まってから確かに変わったことも多い。書類に書かれる内容は軍事の色合いが濃いものが増えてきたし、会議も退屈なものはだいぶ減った。未だに意味の分からない会議が残っているのはそれこそ意味不明だが、それでも相当にマシになったと思う。

 そこまで考え、完全に意識が手元の書類とは関係のない方向へ飛んでいっていたのに気づきマティアスは手を止めた。ペン先の方へ視線を送れば、自分の名前だというのに自分ですら読めないくらい崩れていた。

 どうやら思いのほか集中を欠いていたらしい。彼はペンを置いて目元を揉みほぐすと立ち上がって窓の前に立った。

 外の天気は快晴とまではいかずとも程々に晴天だった。朝もさほど寒くなかったので今頃はなんとも気持ちいい気候になっているに違いない。アーシェがいたら間違いなく「酒飲んで芝生に寝っ転がりたい」などとほざいているだろう。寝る間も惜しんで仕事をしている自分の横で。


「……大丈夫だろうな、アイツ?」


 さらわれたニーナを助けに向かったアーシェのことを想う。人工の魂喰いというまれに見る存在である上に、DXMのために相当に消費したとはいえ彼女にはまだたくさんの魂が宿っている。なのでそう簡単にやられるとは思わないが、何事にも不測の事態というのは存在する。


「万が一の時はためらうな、とは言ってくれたが……」


 少なくともアーシェが正真正銘死んだという確証がない限りマティアスにはDXMを起動させるつもりはなかった。可能な限り、彼女とは共に。まるでプロポーズみたいなセリフだが、色恋とは関係なく彼の本心であった。なので、彼女が帰ってきたらすぐに本格起動できるよう、今はニーナの中にいる何者かが指示したとおりアイドル状態を維持していた。

 早く帰ってこい、アーシェ。マティアスが外の景色を眺めながらそう独りごちた時、机の上とは別の電話が鳴った。

 それはDXMを発掘している現場と繋がるホットラインだった。設置はされているが情報の漏洩を恐れてこれまで一度たりとも使用されたことはない。やり取りはすべて独自の蝋封がされ、特殊な術式が施された封書で行われていて、それを示すように受話器にかけられたカバーには埃が積もっていた。

 それが今、鳴っている。つまりは即座に連絡が必要なほどの緊急事態が生じたということだ。机に体がぶつかって書類の山が崩れていくがそれに目もくれず、マティアスは慌てて受話器を掴み上げた。


「――もしもし、どうしたんだ? 何かあった――」

『准将! 大変ですッ!!』


 受話器を耳に当てるや否や鼓膜に突き刺さったのは、現場での実質的な責任者であるエルディス主任の切羽詰まった声だった。ホットラインの音声はノイズ混じりでひどく聞き取りづらい。それでも彼の背後で怒号が飛び交っているのはマティアスにも分かった。おまけに機械らしきものが駆動しているのか、甲高い空気を切り裂くような音も入り混じっている。

 紛れもなく一大事が生じている。それを感じ取ったマティアスは、生唾を飲み込みながらも努めて平静を装い返事を口にした。


「落ち着きたまえ。まず状況を端的に頼む」

『落ち着いてなんていられませんよっ! DXMデウス・エクス・マキナが、DXMが……突然勝手に動き始めたんですっ!』


 マティアスは目を見開いて受話器を取り落しそうになった。


「なんだって!? いったいどうしてそんな……!」

『分かりませんっ! 指示通りこちらはアイドル状態を維持していただけですっ! 誰も何も操作してないのにっ、本当に突然――うわっ!?』

「どうしたッ!? おいっ、もしもしっ!?」


 受話器越しにエルディスの悲鳴が上がり、応答が完全に途絶える。マティアスも必死に怒鳴り続けるが、返ってくるのはザーッという砂嵐音のみ。

 マティアスは受話器を握りしめたまま立ち尽くした。事態の詳細は分からないが、少なくともDXMはこちらの意図に反して起動し、そしてエルディスたちとは連絡が途絶えた。それが事実だ。

 彼の顔はひどいくらいに青ざめていた。それでも何か行動を起こさなければ。持っていた受話器を放り捨てると彼は執務机に向かい、彼の秘書であるレベッカを電話で呼び出した。大至急DXMがある鉱山へと向かうためだ。

 レベッカからすぐに部屋に行く旨の返事を受けると電話を切り、机に手をついたままマティアスは考えを巡らせていく。考えられる要因、それとエルディスたちの安否。平静を装おうとしても心臓は緊張で激しく鼓動して落ち着く素振りさえ見せようとしない。

 それでもなんとか気持ちを鎮めようと深呼吸を繰り返していた時だった。


「っ……! な、なんだっ!?」


 突然指先が淡く光り始めた。いや、指先だけではない。足先、そして頭からも光が発せられていき、やがてそれが全身を包み込む。

 これはいったい、なんだ。自分は術式も何も使っていない。マティアスは戦慄を覚え、体を震わせた。

 エルディスとの交信不通になったこのタイミング。無関係というわけではないはず。まさか敵の攻撃? しかし痛みも何もないし、そもそも執務室にこもっている自分に術式で攻撃など――

 そこまで考えたところで、部屋からマティアスの姿が消えた。跡形もなく、本当に突然に。

 そこにコンコン、とノックの音が響く。だが当然部屋には誰もいないため応答はない。やむなくレベッカは「失礼します」と言いながら扉を開けた。

 中を覗いてレベッカはため息をついた。慌てた様子だったからこちらも急いで来たというのに誰もいないという、この扱い。


「今度はコーヒーに泥水でも混ぜてやろうかしら」


 文句を言いながらレベッカは中へと入っていき、散らばった書類を拾い集めていく。どうやら物陰でぶっ倒れているなんてこともなさそうで、少し彼女は安心した。

 と、何気なく窓の方を眺め、彼女はそこから差し込んできた光景に目を奪われた。

 窓辺に近づき空を見上げ、思わずつぶやく。


「……きれい」


 遥か、遠く。彼女が見上げたその先には白い巨大な光の柱が空を貫いていた。それが原因かはわからないが、街には白い物が絶え間なく降り注いでいる。雪のようにきらめくそれは実に美しくて、しばらくの間レベッカは時間を忘れて見とれた。

 なんとも不思議な光景だ。けれども不気味だとかそういった感情は見ていて湧いてこない。逆になんだか良いことが起こりそうな気分だ。

 しかたない、コーヒーに泥水を混ぜるのは許してあげよう。拾い集めた書類をマティアスの机に置くと、レベッカはどこか軽い足取りで部屋を出ていったのだった。






Moving away――






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