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魂喰いのアーシェ  作者: しんとうさとる
File8 人が消えた山奥で彼/彼女は願う
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7-3. 無駄にしてたまるかっ!






 声は雄叫びと言うには感情的すぎた。だが慟哭と言うには野性味に溢れていた。声を響かせた影が女の脚にしがみついて、そいつは鋭い歯をむき出しにして怒りを顕わにした。


「逃さない、よ……!」

「バーナードっ!?」

「ここに来て僕を……裏切るなんて許さないっ……!」

「離せ」


 女が脚を壁に叩きつけるとバーナードの体が激しく弾んで、絡んでいた腕が脚から離れる。激しく咳き込み、だがバーナードは唸りながら女を睨みつけた。


「それは僕のものだ……誰にも渡さない……! 絶対に、だ……!」

「……」

「だから僕の研究の成果を――そいつを、返せぇぇっっっ!!」


 バーナードが絶叫して女に躍りかかった。牙を伸ばし、怒りに狂った姿が私の目に映る。首に鋭い牙を突き立てるために、アイツの腕が女の肩をつかもうとしてて。

 けれども、それは適わなかった。


「か、ぁっ……!?」

「バーナードォォっっ!!」


 女の指先から伸びた術式の白閃がバーナードの胸を貫いていった。場所はちょうど――心臓の位置。

 仰向けのままバーナードの体が宙を舞い、床を転がって動かなくなる。血溜まりが静かに広がっていって、けれども女は一瞥だにせず背を向けた。


「クソがぁっ!!」


 口から子供じみた呪詛があふれてくるが、この場では犬のクソほどにも役に立たない。当然女が足を止めるはずもなく小部屋の奥に広がる穴に手を掛けた。まだ、私からは遠い。

 女は穴の奥へ踏み出そうとしたが、不意に脚を止めてまた振り返った。直後に防御術式を展開するとそこに術式が着弾して爆音が響いた。

 走りながら術式の始点を見る。カミルが、銃を構えていた。私と目が合い、ニヤリと笑ってみせた。

 女が迷いを見せる。反撃をするべきか、逃走すべきか。そして後者を選択したらしい。カミルにはそれ以上目もくれず、穴の中へと体を躍らせようとして――しかし穴の奥へ消えることはなかった。

 体がガクンと、何かに引っ張られたように揺れる。女が足元を見ると白い塊がまとわりついて、そばに金属片が転がっていた。ああ、コイツも見覚えがあるぞ。


「……!」

「逃しませんよっ!」


 ニーナのトリモチ魔装具を必死に女が取ろうとするが、白い部分が伸びるだけ。そうなんだよ。そいつは優秀な魔装具でな、中々剥がれないんだ。もっとも、優秀なのは魔装具だけじゃなくて作った人間も、だがな。まったく、この状況でよくやってくれる。


「今です、アーシェさんっ!」


 叫んだニーナに親指を立てて応えてやる。可愛い部下たちがここまで頑張って時間を稼いでくれたんだ。なら、何が何でもやらねばなるまい。

 逃げられないと分かったか、女が私へと向きを変えた。おびただしい術式がまた展開されて私へと押し寄せてくる。

 足元に着弾した術式が砂煙を立てる。私と奴の間にカーテンを作り、それを切り裂いて次々と私自身へと届いていく。

 腕を貫き、脚を叩き。頬を焼き、脇の肉をえぐる。それでも、それでも脚だけは前へと動かしていく。ニーナたちが作ってくれたチャンス。決して――


(無駄にしてたまるかっ……!)


 力が抜けそうになる脚を叱りつけて、立ち込める煙の中へと飛び込んだ。

 痛みのせいで永遠とも思えるほどに長く感じる時間。けれども確かに私の体は煙の幕を抜け、やがて使徒の女の頭上へと到達した。

 口を半開きにして見上げる女の間抜け面を見下ろす。なんだ、コイツもこんな顔するんだな。そんなことが頭に浮かんで緩んだ口を大きく開けて。

 そして。


「っ……!」


 女の喉に喰らいついた。

 力任せに肉を噛みちぎる。私と女が折り重なるようにして倒れ、飛び散った血が私の頬をぐっしょりと濡らした。

 倒れた弾みで女の懐から緑色のものがこぼれ落ちたのが見えた。ミーミルの泉だ。女の体が弾むのに合わせてそいつが宙を舞い、逃すまいと私は手を伸ばして。


「なっ!?」


 けれども私よりも早く、女の腕が宝石を叩いた。喉にぽっかりと空洞を作ってやったというのに素早く腕を振り、私が掴む前に遠くへと弾き飛ばしてしまった。

 その瞬間、女の顔が目に入った。一瞬、本当に一瞬だけ、女の顔がひどく醜悪な笑みを浮かべていた。悪意と嘲笑だけを乗せた、到底人にはできそうもない顔。それが誰の感情を代弁したものか、考えるまでもなく私は直感で理解した。

 だがそんなことよりも。


「ニーナっ!」

「はいっ!」


 弧を描いて飛んでいくミーミルの泉。その先にはちょうどニーナたちがいる。

 私の声に反応したニーナが宝石に向かってジャンプ。思いっきり腕を伸ばし、見事に手のひらに宝石が収まろうとした――んだが、そこを一匹の大ネズミがかっさらっていった。


「ああっ!?」


 大ネズミは自分の顔よりも大きい宝石を抱えると、持ち前のすばしっこさであっという間に私たちの前から遠ざかっていった。そして壁にいつの間にかできていた、ちょうどネズミ一匹が通れるくらいの小さな穴に体を押し込んでいき、追いかける暇もなく大ネズミと宝石は消えていった。


「あちゃぁ……やっちまったか」

「……」

「……」


 ネズミたちが消えていった穴を見つめる、間抜け面をさらす奴がここに三名。カミルは頭を押さえて天を仰ぎ、ニーナは膝から崩れ落ちてガックシ。そして私は大の字になってぶっ倒れた。

 よりにもよってこんな結末か。はぁ、もはや怒りを通り越して笑えてくるな。


「あの……すみません」

「いや、謝る必要はない。結局相手が一枚上手だったということだ」


 間違いなくあの大ネズミも神どもの仕業だろう。連中も直接介入できないくせに、ああやってクソッタレなまでに絶妙なタイミングでやってくれやがるから余計に腹が立つ。ぜひ連中の口の中にクソを詰め込んでやりたい。

 それよりも。


「ニーナ、カミル……二人ともよくやった。助かった」

「借りの一つでも返せたか?」

「お釣りが来るくらいだ」


 そんなやり取りしながらカミルの肩を叩き、次いでニーナには頭を撫でて労ってやる。いつも二人にはよく助けられているが、今回ばかりは本当の本当に助かった。ミーミルの泉こそ持ってかれたが、おかげで使徒の女の方は仕留められたしな。


「特にニーナ。貴様がいなければ私も無事じゃ済まなかった。貴様の機転と度胸に敬意を表する」


 あの時、コイツが壁を作ってくれなきゃ心臓は一回持っていかれてただろうからな。そうなれば計画自体にも遅れが出てたかもしれん。

 心から感謝の意味を込めてニーナをギュッと抱きしめて頭をポンポンと軽く叩く。が、何の反応もないんで離れてみたら、ニーナは心ここにあらずといった感じでポカンとしてた。


「あ、いえ、そそそそそその、あああああありがとうございます……?」

「それは私のセリフなんだが?」


 かと思えば一気に顔を真っ赤にして何故か私に感謝を口にしだす始末。コイツ、普段問答無用で変態っぷりを発揮するくせに、いざ私からやってやると弱いんだな。まあ私としてもとんだ変態チックな要求されなくて良かったが、そうだな、今度せっかくだし手料理の一つでもプレゼントしてやるか。死に際にそんなこと漏らしてたし。

 それはそれとして。

 いよいよ頭から湯気出してフラフラし始めたニーナの頭をもう一回撫でて離れると、使徒の女の枕元に立って見下ろす。

 私が食いちぎった喉元はポッカリと穴が空いて、もうピクリとも動いてない。フードをめくってみれば女の整った、むしろ整いすぎて人形じみた容姿が明らかになるが、まあ感想と言えばそのくらいだ。

 改めて喰ってみて分かったが、やはりコイツからは魂の味がまともにしなかった。仮初の魂もどきを植え付けられた操り人形だったのだろうと思う。なんとなく今すぐにでも動き出しそうな気がしなくもないので、安全のためとりあえず先に全部を喰らっておくとしよう。


「……そういえば、もう一人礼を言っておかねばな」


 頭の先から爪先まで丁寧に噛み砕きつつ使徒の女を喰らいつくしてから立ち上がる。口元の血を拭ってから血溜まりの中で倒れていた男の顔を覗き込めば、思った以上に穏やかな表情で死んでいた。


「貴様にも感謝する、バーナード……心残りは腐るほどあっただろうが、それでもちゃんと逝けたか?」


 膝をついて頬に触れながら話しかける。使徒の女に襲いかかった時の怨嗟を聞く限り、別に私を助けようとしたわけじゃなさそうだが、結果的にコイツが足止めしてくれたから逃げられずに済んだんだからな。礼くらいは言っておくべきだろう。

 バーナードの体に開いた二箇所の穴を順になぞる。コイツも喰ってしまうべきだろうとは思う。だが……核を喰らってコイツの人生をと計画の経緯を知ってしまったからには、どうにも喰う気にはなれなかった。

 バーナードの隣で私も横になる。疲れたというのもあるが、なんとなくコイツが見ている景色を私も見たくなったのだ。

 けど、まあ。


「……崩れ落ちそうな天井しか見えん、か」


 バーナードは死んで私は生きている。どんなに近づいたところでもう同じ景色は見えない。ただでさえ容易に死ぬことができない私である。終わらせることができないのであれば、もう進んでいくしかない。もっとも、進む先が決して前ではないのが情けない話だが。


「けど、今だけは――」


 少し、少しだけこの情けない感傷に浸らせてほしい。

 負った傷が人間ではあり得ない速度で回復していく。そのむず痒い感触を覚えながら、私はしばしの間、目を閉じていたのだった。







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