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魂喰いのアーシェ  作者: しんとうさとる
File8 人が消えた山奥で彼/彼女は願う
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5-1. 彼女たちに合わせる顔が無い








――Bystander




「う……」


 意識を取り戻したバーナードを出迎えたのはとてつもなくひどい頭痛だった。

 いや、頭痛だけではない。頭の中は何かで引っ掻き回されたようにグルグルと回って気持ちが悪く、おまけにめまいが酷くてすぐに目を閉じざるを得ない。口の中はぬめぬめとしてて、今すぐにでもすすいでしまいたい衝動に駆られる。例えるならば重度の二日酔いに近いだろうか。考えられる限り最悪に近い目覚めだった。

 自分は酒を嗜まないから二日酔いになるようなことはないはず。ならばいったいどうしてこうなっているのか。記憶を辿っていこうとするが、バーナードの記憶はある時を境にプッツリと途絶えてしまっていて思い出せない。

 しかたなくうずくまってジッとしていると、徐々に感覚が平常に戻っていくのを感じた。頭痛は治まっていき、代わりに臭いは敏感に。そこで彼は、自分の口内がひどく血の匂いに満ちていることに気づいた。加えて手のひらの上で感じる、何かの重さ。

 彼は直感した。目を開けたくない。見たくない。でも、でも――

 一縷の望みを託してそっとまぶたを開き、けれども瞳に映ったのは残酷な現実だった。


「ひ……ああああぁぁぁっっっ!!」


 彼が握っていたのは血塗れの実験動物だった。

 肉がえぐれて肋骨がむき出しになって、そして彼の口の周りには、血がべっとりとこびりついていた。


「う……おぇ……!」


 実験動物を投げ捨て、その場で嘔吐。さらに傍にあった水差しの蓋を取ると何度も何度も口をすすいでいく。やがてその水差しが空っぽになるともう一度術式で満水にして胃の中に注ぎ込み、すぐにまた嘔吐を繰り返して胃の中身を可能な限りすべて吐き出していった。


「っ……はぁっ、はぁっ、はぁっ!」


 胃が引き絞られるような痛み。どれだけ吐こうとしてももう何も出てこない。口の中の血の匂いはまだむせ返るような気がするがだいぶマシになった。ようやくひと心地ついたバーナードは岩壁に倒れ込むようにして背中を預けると、ずるずるとその場に座り込んで目を閉じた。

 最低の気分だった。けれども最悪だけは逃れられたようだった。壁に叩きつけられて動かなくなった実験動物を見て安堵のため息を漏らした。

 どうやら自分は吸血衝動に飲み込まれてしまったらしかった。それも突然意識が途絶えるくらいに相当にひどいレベルのもの。手当たり次第に血を求めたみたいだが、これが人間じゃなくって良かったと彼は心底安心した。

 人間の血を吸ったのは約百年前が最後。無意識とはいえ、ここで人間の血を吸ってしまえば……


「彼女たちに合わせる顔が無い……」


 今でも思い出す妻と娘の死に顔。血を吸い付くし、干からびたミイラになった姿でもなお愛おしく、けれど悪夢の中で自らの罪と共にしか会うことができない二人。まぶたを閉じればその裏に今でも元気だった頃の様子がハッキリと映り、バーナードは「早く会いたいよ……」と涙をこぼしてからハッとした。


「そうだっ! 奴らは――」


 意識を失う直前のことを思い出し、バーナードは慌てて立ち上がった。立ちくらみが襲ってくるが頭を振って強引にねじ伏せると、外にいる屍鬼を通じて様子を窺う。そうして入ってきた光景と共有した記憶を見て、彼はため息とともに頭を抱えずにはいられなかった。

 集っていたミスティックたちは全滅。連中がいたはずの場所は、まるで戦車砲の集中砲火でも受けたように木っ端微塵に破壊され、崩落した地面がこの洞窟の通路まで塞いでしまっていた。深いため息がもう一度こぼれそうになるが、頭を振って気を落ち着かせる。


「……まあ、いいさ。最悪は逃れられたようだし」


 本来なら蓄えた魂と魔素を餌に、大量のミスティックをおびき寄せて計画の「材料」にする予定だった。同時に地上の魔法陣をアーシェたちから守る役目もあったのだが、そのどちらも失敗に終わったのは明白だ。

 それでも魔法陣は破壊されずに済んだ。なら計画に支障はない。術式に多少の不備があった時の予備としてミスティックの魂は欲しかったのが本音だが、こうなっては仕方ない。


「……チェックを急ごう」


 構築した大規模魔法陣とそれに繋がる各種装置。バックアップはなくなったからには、なんとしても本命で成功させるしかない。そのためにはわずかな不備も許されない。


「やっぱり……彼女の言う通りだ。あの女軍人は危険だ」


 使徒の彼女から警告された時は歯牙にもかけていなかったが、こうして戦闘の結果を目の当たりにすると少なくとも正面切って戦うべきではないとハッキリ理解した。同時に結構な切れ者のようで、この場所が露見するのも時間の問題かもしれない。

 自身と外部の両方からリミットが迫っていることを察したバーナードの胸が悲鳴を上げる。蝕んでくる不安を一刻も早くなんとかしてしまいたいと、ふらつく体を押して彼は奥の部屋へと向かっていったのだった。






Moving Away――






「はぁ? 三日後だと?」


 受話器を耳に押し当てながら、私の口からは苛立ち成分百パーセントの声が思わず漏れた。

 あの大量に現れたミスティックどもを吹き飛ばした夜、すぐに私はマティアスに電話して応援を依頼した。

 当初はこんな田舎に電話があるとは思ってなくてふもとの軍まで数時間飛んで往復することも覚悟していたが、幸いにしてアイゼンフート軍曹が駐在していた家には緊急連絡用の電話回線が引かれていた。おかげで寒中水泳ならぬ寒中飛行しなくて済んだことに感謝していたのだ。

 しかし翌日の昼にマティアスから折り返しの電話が来た今となっては、逆に受話器越しに声しか聞こえないことに苛立ちしか覚えない。誰か電話の相手を直接締め上げられるような術式を開発してくれないだろうか。


「ふもとの暇そうな連中で構わん。仕事ができるできんにかかわらず人数だけが必要なんだ。それでも早くならないのか?」

『お前の苛立つ気持ちは理解できる。だが無理なものは無理なんだ』

「そこを何とかするのが貴様の仕事だろう?」

『わかってるさ。けどアーシェ、お前だって小隊の隊長なんだ。それなりの数の部隊を編成しようと思ったら時間が掛かることくらい分かるだろう?』


 マティアスに言い返され、つい舌打ちしつつも口をつぐんだ。

 何かの部隊を緊急で編成しようとすれば当然各所の部隊から人員を引き抜かねばならない。そうなるとそいつの仕事を誰かに肩代わりさせなければならないし、既存部隊まるごと新規任務につかせるにしても同じ。どんな暇な部隊だって少なからず仕事はあるものだからな。

 十人そこそこしかいない第十三警備隊でも調整には頭を悩ませるんだ。ならば複数の部隊にまたがって人間を引っ張ろうとすれば調整に時間がかかるのは必然。だがそんなこと私だって理解している。


「……もう一刻の猶予も無いかもしれないんだぞ」


 魔法陣の構築はすでに完了していると見ていいだろう。発動のための魔素を溜め込んでいるのかしらんが幸いにしてまだ発動はしていない。それでも今、この瞬間に発動しないとも限らん。そうなれば――


「何が起きるか分からん。魑魅魍魎が昼間でも溢れかえり、一斉に人を襲ってまわる。そんなことだってあり得るんだぞ?」

『ああ、承知している。だから私としてもそっちの方面軍に最大限急ぐようフォローし続けてる。三日後とは言ったが早ければ明後日には到着するはずだ』


 できれば今日にでも到着するぐらいで欲しかったが、これ以上はいくらマティアスでも良い回答は望めないだろうな。


「分かった。ならせめて一人でも二人でも構わない。先行して送れる人間は送って欲しいと伝えてくれ。とにかく人手が欲しいんだ」

『分かった。急ぎ伝えよう。ではな』

「感謝する」


 受話器を叩きつけたい衝動に駆られたが、最大限マティアスも努力してくれてるのは分かる。なので気持ちを抑えてなるべく静かに受話器を置き、代わりに頭をかきむしりため息をつくことで苛立ちをなんとか発散した。


「……どうでした?」

「残念ながら数日は少数精鋭の我々で仕事をするしかないようだ」


 部屋を覗き込んできたニーナとカミルに電話の内容を端的に伝えると、両者から苦笑いが返ってきた。


「やっぱそうだよな。ま、無理なもんは仕方ねぇ。気が遠くなりそうだがやれることからやるとすっか」


 カミルがシャベルを肩に担ぎ、大きなリュックを背負う。ニーナは私の肩を叩いて「頑張りましょう!」とわざとらしく力こぶを作ってみせていた。

 部下たちが曲がりなりにも前向きな姿勢を見せているのである。であれば私がこれ以上ふてくされているわけにもいくまい。帽子をかぶり直し、顔を上げて口元に余裕ぶった笑みを浮かべてみせた。


「よし、ならば我々だけでやり遂げて、のんびりしてる連中を後悔させてやろうじゃないか」

「隊長にまた新しい勲章がつくな」

「初めての人殺しじゃない、誇れる勲章になるな。悪くない気分だ」

「私たちも何かもらえたりします?」

「マティアスにおねだりすれば金一封くらいはもらえるかもな」


 そんなやり取りをしつつ、私も荷物をありったけ詰め込んだリュックを背負う。わざわざこの村まで毎日戻るのも時間の無駄だし、解決まではもうここに戻ってくることはないだろうな。

 数日を過ごしただけだが少しだけ名残惜しさも感じる。ニーナもそれは同じようで歩きながら振り返り、だがすぐに正面を向いて前だけを見据えた。使命感に燃えているような気合の入ったその眼差しに、私も冷たい空気を大きく吸って気合を入れると、魔法陣のある山の中へと踏み込んでいったのだった。





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