1-1 手のひらには心臓が乗っていた(挿絵あり)
けたたましい雨音に私は顔を上げた。さっきまで小雨だったが、いつの間にかうるさいくらいに雨粒が教会の屋根に叩きつけられていて、ステンドグラス越しには時々稲光が差し込んでくる。
「あー……本降りになってきたか……」
参ったな、屋根の修理が完全に終わってないんだが。
頼むから雨漏りだけはしないでくれよ、とボロ教会の天井を睨みながら、私は神を模した偶像への祈りを再開した。
意識を集中させ、手短に神への祈りを終わらせる。最後に腹の奥に溜まった腐った空気を偶像に向かって吐きつけると、まるで私を非難するかのようにタイミングよく閃光と激しい地響きのような雷音が鳴り響いた。
だが残念だったな。抗議窓口は現在閉鎖中で受け付けておりません。外に向かってそううそぶき、鼻で笑って最後に中指をおっ立ててやると腹が鳴った。
昼にも腹いっぱいメシは喰ったはずなんだがな。やはり最近はアレを喰ってないからか、普通のメシだとすぐ腹が減る。ため息をついて立ち上がると、側のガラス窓に私の姿が映った。
そこにあったのはいつみてもガキにしか思えない小さな体だ。もう成長も衰えもしないまま十年以上付き合ってきて、これからも付き合い続けなければならない幼い肉体。そのくせ食事の量は人並み以上に必要になるのだからまったく以て不便なものだ。
振り返って壁に掛けられた時計を見てみれば、時刻はまだ四時だった。世間様よりもいささか早い時間に食べるのが習慣だがさすがにメシには早すぎる。
「ふふ、なら仕方ないな」
私は空腹だ。そしてメシはまだ早い。ならば酒で潤すしかあるまいし、それ以外の方策などあろうはずもない。
満場一致の脳内会議の結果、シスター・サマンサに見つからないように講壇の床下に隠したちょっとお高めの酒をいそいそと取りに向かう。結構真面目に偽装を施した床板を外し、鎮座しておられる酒瓶を握ったのだが、ちょうどその時、教会の入口ドアがダンダンと激しく打ち鳴らされた。
「はあ……賑やかなことだな」
なんとも切迫感を感じさせる勢いだが、外は大雨でここは山の中の教会。となれば客の相場は決まっている。なによりドアの向こうから何となく漂ってくる臭いで分かるもんだ。すまない、お酒様よ少々待っておくれ。
「はいはい、どちら様でしょうか?」
「……旅の者です。急な嵐で立ち往生してしまいして。雨が上がるまでどうか神に祈りを捧げさせて頂けませんでしょうか?」
「それはそれは。大変でしたでしょう。今すぐ開けますのでしばしお待ちくださいませ」
いつもどおり余所行きの声色を作って対応し、閂を外して開け放てば、痩せぎすの濡れ鼠が立っていた。ひょろっとした男の蛇みたいな視線が正面から徐々に下がっていき、私の姿を捉えたところで怪訝なものへと変わった。
それを無視し、可愛いと自負のある笑みを向けて恭しく一礼した。
「どうぞ、奥へ。今、体を拭くものをお持ちしますので」
「……あ、ああ、ありがとう」
男が明らかに戸惑ってるのがよく伝わってくる。
うん、気持ちはよく分かる。まさか私みたいな少女のなりをしたシスターが出てくるとは思わないだろうからな。
「お一人ですか?」
タオルを渡しながら尋ねた。
「いや、そこに止めた荷馬車にも三人くらい仲間がいる。すまないがお嬢ちゃん、この教会の神父様かシスターを呼んできてくれるかい? 雨を凌がせてもらう御礼を言いたいんだ」
「ああ、でしたら不要ですよ。ここのシスター、もとい責任者は私ですから」
「……はは、面白い冗談だね。だけどおじさんは真面目な話をしたいんだ」
「いえ、冗談ではなく。専属の神父様はいませんし、一応私の他にももうすっかりおばあさんなシスターがいますけれど、本当に私がここの責任者を拝命しております」
ていうか、私が所有してるから拝命もクソもないんだがな。
「信じられないお気持ちは、ええ、もうそれは十分に理解できますが、こんなでも私、二七歳になりましたので」
「……嘘だろ?」
「そうでしたらどんなに良かったか」
身長一三八センチ、体重三〇キロ。腕も脚も細くてどっからどう見ても性徴前の赤毛の少女のそれである。せめてもの救いなのは世間一般の基準に照らし合わせると美少女の部類に入ることか。だとして、寄ってくるのはろくな人間じゃないだろうが。
「さあ、どうぞ。いつまでも濡れたままでは風邪を引いてしまいます。荷馬車にいらっしゃる『らしい』お仲間の方々もお呼びになってください。温かいスープも用意致しましょう」
そう言って私は男に背を向けたのだが、
「――いや、それは結構だ」
返ってきたのはそんな言葉と、首を締めるように巻きつけられた金属製の腕だった。
「……一応お尋ねしますが、どういったおつもりでしょうか?」
「決まってるだろ」義手の一部が開いて、鋭いナイフがむき出しになる。「俺らと一緒に来てもらう。ったく、こんな山奥に若いシスターがいるって聞いたからわざわざやってきたってのに、まさかこんなお子ちゃまだったとはよ」
「なぁに、そう捨てたもんじゃあねぇさ。好きモンってぇのはどこにだっている。これはこれで高く売れるかもしれねぇぞ?」
最初っから建物の影に隠れてたお仲間が現れ、足元に伸びる影が二つ、三つ、四つと次々に増えていく。それぞれが私の体を見て好き放題言ってくるのだが、まったく、その耳障りで粘っこい喋り方はどうにかならないのだろうか。
「なるほどなるほど。風の噂で耳にしてはおりました。最近、若い女性ばかりをターゲットとした人身売買グループというのが付近で出没していると。貴方達のことだったのですね」
「へへ、俺らも有名になったもんだな」
一人が舌なめずりしながら私の全身を舐めるように観察していく。いやはや、美少女は辛いねぇ。
「あ、アーシェっ!?」
と、ガシャンとけたたましい音と悲鳴が響いた。振り向けば老シスター――サマンサが燭台を落として震えていた。部屋に入ったらキモい男が刃物を少女に突きつけてたらそうなるわな。それはいいんだが。
「ど、どうしましょう……」
「シスター・サマンサ。落ち着いて。まずは落とした燭台を。そのままだとこの教会一帯が焼け野原になってしまいます」
「そんなこと今はどうだっていいんです!」
いや、良くないんだが。せっかく安くはない金をはたいて買い取ったなんちゃって教会なのだ。叶うならばせめてもう三年くらいは残ってほしい。
「おい、婆さん。そこを動くなよ? 下手な真似すればこのガキがどうなるか、分かるだろ? なぁに、アンタは今日、何も見なかったってことにすりゃいい。そうすりゃこの瞬間からアンタがこの教会の主になるだけさ。悪くない話だと思わねぇか?」
「そんな……そんなこと……!」
「あー、シスター? 心配せずとも大丈夫ですよ?」
サマンサを安心させるべくいつもどおり話しかけると、彼女の顔が私へと向いた。
「この方たちに教えを説いて、すぐに戻ってきますから。だからそうですね……私、お腹が空きました。だから美味しいご飯を作って待っててください」
「アーシェ……」
「へへ、そんなことができりゃあいいな。おら、行くぞ!」
細い腕が引っ張られると悲しいかな、この小さい体は呆気なく宙に浮いて強引に雨の中へと連れ去られていく。おいこら、せめて何か被せるくらいはしやがれ。私まで濡れ鼠じゃないか。
抗議しようと顔を上げると、サマンサが外まで追いかけてこようとしているのが見えた。が、あろうことか連中、荷馬車を走らせ始めると教会に向かって義手を伸ばした。
金属部に刻まれた魔法陣が魔素を供給されて光り始め、そして込められていた炸裂術式が地を這うようにして飛んでいく。
「あばよっ!!」
着弾とともに閃光が辺り一帯を明るく照らし、直後に爆風。窓枠のガラスというガラスが砕け散り、天窓のステンドグラスも四散してしまった。幸いにしてサマンサに怪我は無いようだが……
「ああ、私の教会が……」
「んなことより自分の身の心配をするんだな! ま、心配したところでどうなるもんでもねぇけどな! ガハハハハっ!」
クソッタレ、最悪だ。
気落ちした私を載せた荷馬車は山道を疾走していく。三〇分も走っただろうか、元々人気のない山奥でもさらに人がいないだろう奥にまで到達して、ようやく荷馬車は速度を落とし始め、やがて停車した。
すると連中、いやらしい視線をいよいよ隠すのも止めた。
「ここまで来りゃもう大丈夫だろ。
さて、と……へへ、売り飛ばす前にちょーっと商品を確認しとかなきゃな」
「普通、品定めは仕入れ前にするものではありませんか?」
「仕入れた後に俺らで品質を確かめた上で値段を決めるのが俺らの流儀なんでな」
下卑た笑いを浮かべながら男の一人が私のシスター服へと手を伸ばす。だが私はくるりと身を翻して男の手から離れた。
「はっ、逃げようったって逃げられねぇぜ?」
「逃げる? まさか? ただ私は、自分から脱ぐ方が好きなので」
そう言って濃紺のシスター服を脱いでいく。コイフ(フード)を外し、ロザリオをくるむ。それを荷馬車の床に置いて背中のボタンを外すと、トゥニカ(ワンピース)がするりと私の肌を滑り落ちていく。自ら一糸まとわぬ姿になった私の姿に驚いたのか、男たちは目を見開いてこちらを見つめていた。
「お伝えしたように、こう見えても私、相応の女性なのですよ。当然、経験もそれなりにしております」
荷馬車から飛び出すとふわりと着地。ぬかるんだ地面に裸足で降り立つと空を見上げた。
そこにあるのは何処までも分厚い雲。雨は土砂降りで全てを洗い流してくれる。ああ、まったく――絶好の日和じゃあないか。
「――さて、どなたからいらっしゃいます?」
艶っぽく、老練の娼婦のように手招き。流し目を送ってやれば、男たち全員から喉を鳴らす音が聞こえた。
「お、俺からだっ! テメェらはちょ、ちょっと待ってろ!」
「ああ!? 抜け駆けすんじゃねぇ!」
我慢できなくなった一人目が我を失ったように荷馬車から飛び出し、転がるようにやってくる。他の連中も欲を隠そうともせず荷馬車から降りて今にも襲いかかってきそうだが、お前らは盛りのついた犬か。
「そんなに慌てずとも、順にお相手しますよ」
「へ、へへへ……なら早速楽しませてもらおうか――」
男の腕が伸びてくる。私に比べ遥かに大きな手のひらが、食い込まんばかりの勢いで肩を掴んだのと同時。
手のひらには彼の心臓が乗っていた。