28・塩江温泉
塩江温泉の歴史は古く、天平年間までさかのぼるという。
天平年間は729年から49年だから、約1300年前という事になる。塩江温泉を開いたのは行基と言われ、後には弘法大師も当時に訪れたとされる歴史と伝説を持つ。
塩江という地名は潮の泉、潮の江と言われたことに由来するらしい。が、泉質は硫黄泉であり、塩泉という訳ではない。
塩江温泉街は国道193号善沿いに多く点在し、昭和初期には歌劇団を有する香川有数の湯治場であったという。しかし、それを当て込んで敷設された鉄道は開業当初より赤字が続き、電車の均す金にちなんで「儲からん、儲からん」と沿線住民が皮肉交じりに言うほどだったという。
そして、当時のガソリンエンジンは非力でと反応力が無く、岩部駅から岩部トンネルまでの上り坂を乗客が押していたという逸話も残されているそうだ。
そのような鉄道であった上、塩江の温泉街から当時の相栗峠へ抜ける街道沿いの内場川にダムが建設される以前は暴れ川であった香東川にいくつもの架橋を行っていたこともあって、度々洪水による被害を受けることになった。
そして、災害復旧工事は赤字経営に大きな打撃を与え、1941年5月には不要不急線として廃止され、僅か12年の幕を知事ることとなった。
その後を引き継いだバス運行は、一説に言われる脇町までの鉄道敷設構想を実現するように、現在では高松築港から徳島県穴吹までのルートにおける越境運行が行われている。
香川県と徳島県西部は経済的な結びつきがあり、雇用に乏しい徳島西部から香川県へと働きに出るというのは珍しい事ではない。特に、国道32号による猪鼻峠越えや193号線の清水峠越えは主要なルートとなっており、21世紀には438号線の三頭トンネルが開通した事で更に近くなったと言われている。
もし、塩江温泉鉄道に資金があって、徳島県側まで線路を伸ばせていたならば、21世紀にも存続していたのかもしれないが、そのためにはまずは電化が必要になっていたことだろう。ガソリンエンジンではやはり戦後に生き残れたとは思えない。
東においては港である仏生山を起点に塩江へと伸びる路線であり、やはり、山越えルートの計画があるという。
しかし、東の場合は山を越えてもそこはリアス式海岸であり、有力な都市が存在する訳ではない。徳島県の徳島池田線の様な路線を引こうにも、引田より東は急峻な地域であり、豊浜では比較的緩やかだが、南岸を東西に鉄道を伸ばすのは費用の割に採算が見込めないことは一目瞭然だと言われている様だ。
結局、JRの四国一周鉄道が実現していないように、東においてもそれは同様らしい。
現在、塩江温泉鉄道の終着駅は東においても塩江であり、そこから先は計画状態で進んではいない。
面積において、東は香川県とは比較にならないほど広いのだが、塩江は山間部であり、ここより先では採算性が見込めないのは変わりない。
翌日、豊音ちゃんは祭事のため社へと向かったが、俺はどうこうすることは出来ない。そのため、街へと繰り出すことにしたのだが、外へ出るのがこれまた大変だった。
ここも宮と同じく、本殿は男子禁制であり、外出するには一般拝殿がある麓へ一度降りる必要があった。
巫女専用の通路とは別に、東地の拝殿へと降りる通路を下り、そこから街へと出ることになった。
温泉までは幾分距離があり、岩部橋のたもとにある拝殿前駅から汽車に乗り、終点塩江を目指す。
本来の塩江温泉鉄道は岩部トンネルを抜け、橋を渡って対岸へ出るのだが、余地が広い事もあって東では川を渡らず、街道沿いを走ることになる。
そして、しばらく走ると温泉街へと至り、その中心に主着駅がある。街道はここから山へとさらに伸びており、まだ先へと車両が通れる広い道が続いている。と言っても、対面二車線歩道無し程度の道ではあるが。
駅を降りると川の対岸が巨大な旅館だった。そして、広場も見えている。すこし戻ったところに山へと入る街道が一本あるが、アレが旧来の相栗街道と呼ばれる内場へと続く道らしい。内場からさらに奥へ行くと、やはり奥の湯があるらしい。東では閉館されることなく賑わっているようだが、香川の奥の湯はとうとう閉館してしまった。ちなみに、これから向かうには馬車に乗って夕方に到着となるらしい。流石にそれは無理なので、諦めるしかない。
温泉街は主に川の西岸、街道の対岸にあり、街道沿いには主点の一つ前、樺川駅で降りたところにある。いわば門前街といった趣きで、そこから歩いて中心地へ向かう歓楽街が広がっている。が、残念な事に俺が立ち寄れる店は少ない。
塩江駅から南へ向くと、奥座敷といった風情の老舗旅館が並ぶ地域で、こちらならば健全なので立ち寄れるが、宿泊ではないので、結局は駅前をうろつく以外に以外に術がないのが悲しい所だ。
駅前商店街では内場にある牧場から取り寄せた牛乳で作られた氷菓が売られていた。たしか、塩江道の駅でも内場の牧場が経営する販売ブースがあったはず。ここでも同じように内場に牧場があり、ここでも乳製品が売られている様だ。
結局、豊音ちゃんの祭事が終わる頃合いまで飽きずに散策できたが、アイスを持ち帰る訳のも行かず、ちょっとすねられてしまった。
「なぜわしの氷菓が無い!わしもほしかった!」
結局、翌日、宮へ帰る前に岩部の社へと氷菓が届けられて機嫌を直してもらえたが、今が晩秋で本当に良かった。夏場だと流石にこうはいかなかっただろう。
これ以後の更新は今のところ未定です。




