27・塩江温泉鉄道
塩江温泉鉄道、地元でもそんな堅苦しい呼び名はあまり聞かない。「ガソリンカー」と言えば通じてしまうそうだ。
ガソリンカーの由来はそのまま、そこを走っていたのが親会社の琴電が電車であったのに対し、塩江へ至る路線はガソリンエンジンの汽車であったことに由来する。
軌間は琴電と同じ1435mm、仏生山から塩江まで16.2㎞の区間を結んでいた。開業は琴電高松、琴平間が開通した二年後の1929年。しかし、琴電ほどの利用客数はなく、わずか10年余りで廃止されてしまう。
現在、仏生山から浅野までの区間はガソリン道という名称で生活道路に改修され使用されており、約2キロの空白を挟んで岩崎橋から先は自転車道として整備されている。
こちらの世界でも塩江には温泉が湧いており、湯治場として人気がある。塩江の源泉は初代が発見したとされており、その功績を祭る施設が存在している。
最近では街道が整備され昔のように巫女が年中行事で度々向かうには不都合になったため祭事は宮でのみ行われていたが、蒸気機関の発達で東西の鉄道だけでなく塩江へも伸長することとなり、とうとう開通という運びとなった。
まだ西小島から帰って日が浅いが、塩江での祭事に豊音ちゃんが向かうことになり、俺も同行しろという。
「温泉か。そういえばこっちに来て温泉に入ったことなかったな」
俺が南の山を眺めながらそう言うと
「そうだったのか?塩江なら日帰りでも行けるぞ」
と、豊音ちゃんに言われてしまった。
「一人で行っても面白くないだろう」
わざわざ何が悲しくて一人で行かにゃならんのだ。
「そうか。そうじゃな。今回、塩江にわしがつかれる温泉も作ったそうだから、一緒に入ろう」
そんなことを言われた。
どうやら、そういうのはOKらしい。
塩江までの街道が出来る以前は日本の江戸時代のような街道しかなく、巫女はそこを御輿に乗って向かったそうだ。
しかし、今や馬車が走る街道になり、巫女が多くの人の目に触れる危険が出てきたため、祭事が中止になったという。
じゃあ、今回は何故?
どうやら鉄道に専用駅を設けたそうだ。当然列車も専用列車が用意されている。
そもそもの話、東は香川県でいえば仏生山あたりが港になっているので鉄道はさらに南下した位置に存在している。
港を起点に船岡まで南下し、船岡から東西線に分岐する。塩江線はここをそのまま伸長して塩江へと線路を伸ばしており、宮の直近をトンネルで潜ることになる。
なんと、ここに巫女専用駅が用意されたという。そして、トンネルを抜けて平原を走り山へと入っていく。宮の南の平野は香東川の扇状地で、ここも農業が盛んである。
山に入ると蛇行した川を幾度かわたることになる。その景色は土讃線の大歩危小歩危から見る吉野川といった趣きだった。
かなり切り立った断崖があった、かと思うとそこそこの堆積地が広がっている。
特別運航の巫女列車は途中駅に止まることなく進んでいくので速い。
そして、御殿場を過ぎたあたりで本線は川を渡り、香川県でいえば国道193号が通るルートへと突き進み、街道と並走して塩江へと至るのだが、巫女列車は岩部招殿線という、ガソリンカーの本来のルートを岩部の宮直下へと進んでいく。本来の温泉鉄道では、ここに岩部トンネルがあるのだが、東では、西地が広い地域なため、街道と並走して山裾を抜けるルートを採用している。
そのことが今回、塩江での祭事が復活した理由でもあった。
巫女列車は専用線を走り、宮の麓にある専用駅へと入っていく。
駅のホーム自体もうまく作られており、列車の乗務員から巫女の乗降が見えないようにされている。
ここから専用通路を通り社殿へと昇る。
ある程度のところからは外を見ることが出来る様になっており、御殿場や西地を見下ろすことが出来た。
「列車からはほとんど何も見えんかったが、ここからの眺めは宮とはまた違った趣きがある」
豊音ちゃんは感慨深そうにその眺めを楽しんでいた。
祭事は明日という事で俺たちは宿泊施設へと向かう。
しかし、なんつう無茶なことを・・・
それは蒸気機関にものを言わせて温泉を山の上まで上げて作られた施設だった。普通ならば温泉場に専用施設を作ればいいのだが、巫女の場合はそうはいかないという。そこでこのような無茶なことが行われたというのだから、この国の考え方というのは・・・
「おお、ここからは温泉街も見渡せるな」
豊音ちゃんが露天風呂から外を覗いている。
ここは岩部の社の奥に位置しており、周囲は聖域として禁足とされているためこのような施設が可能となった。
そこそこ見晴らしがよいが、下からはここに施設がある事さえ分からない。そもそも公表すらされていないのだからほとんど見つけるのも無理だと思う。
そんな施設だから豊音ちゃんも年甲斐もなくはしゃいでいた。
仕方ないだろう。いつも宮に閉じ込められているのだから・・・




