18・満濃池
満濃池と言えば弘法大師が有名だが、弘法大師が満濃池を作ったわけではない。
満濃池は弘法大師が改修する100年前に造られており、1300年の歴史を持つ。
弘法大師が改修した後にも幾度か壊れ、12世紀末頃に壊れた後は450年も修復されず、その間に流域に村が出来、池内村と呼ばれていた。
その後、江戸時代になってようやく修復されることになる。しかし、これも江戸末期の南海地震で決壊し、今見る満濃池の姿は明治に築造され、昭和に至るまで三度の嵩上げが行われたものであり、弘法大師の時代より10メートルも堤が高くなっている。
この満濃池、窪地に水を引き込んだため池ではなく、金倉川を塞き止めて造られた、ダムである。日本のダムの定義は、堰堤高15メートル以上とされ、現在、32メートルの堤を持つ満濃池は、今風に言えば満濃ダムであり、その水域は満濃湖、或いは金倉湖と呼んだ方が良いかもしれない。
さて、何でいきなり満濃池の話を語っているのかと言うと、石油発動機が量産型の完成待ちとなり、綾川改修の話を進めていたのだが、その話が土器川に及び、開墾可能な土地をあれこれ話していた時に、「昔あった巨大な池」の話が出てきたのだ。
その池を再び造り出せば、象頭に新たな開墾地が増えるとのことだった。そう、聴いたことがある話だから、満濃池を思い出した。
「豊音、象頭に大きな池があった話は知ってるか?」
その日の夕食時に豊音に聞いてみたのだが、
「知っておるぞ、野田川を塞き止めて造られた池の話じゃろ?」
野田川?
「象頭の社の近くを流れる川があろう」
「あれじゃ。その川が少し南で谷になっておるが、そこに初代さまが堤を造ったんだが、何度か壊れては修理しながら使っておったそうだが、海面上昇の混乱で放置されたままになっておるそうだな」
なるほど、まるで12世紀の満濃池と似たような話だな。
「何故、直さないんだ?」
「健太がやっておる綾川の改修と同じじゃ、池を造る技術不足と、必要性の問題じゃな」
豊音ちゃん曰、綾川改修にしても、海面上昇で減った今の人口を養うだけなら必然性はない。屋島の資源と初代の伝承から工業は発展したが、彼は農業はあまり知らなかった様で、河川改修や用水整備を一応は行ったが、工業のような伝承は残しておらず、結果、時代相応の技術しか維持されていないとの話だった。
そりゃ、千歯こきや唐箕すらない訳だよ。もちろん、技術の継承も疎かだった灌漑整備にしても、時が経つ毎に技術が廃れ、失伝した結果、荒れるに任せる惨状だった訳だ。
「なら、鉄道の橋脚の技術を流用したら、新く丈夫な堰を造れるかもしれんな」
「橋脚の技術で堰なんぞ造れるのか?」
豊音ちゃんの疑問は尤もだ。いきなりは無理だから、綾川の用水堰で試してからにした方が良いだろうね。
さて、そんなわけで、鉄道建設を行う土木技術者に話を持っていった。まず、造るのは高さ数メートル程度のコンクリートと石材による堰。
実は、この世界には俺の知る生コンやセメントはまだ無い。コンクリートと言っても石を補強したり、骨材としてしか利用できない。そのため、まずは程よいスケールでどんな工法が適しているか探りながらになる。
試行錯誤の末、香川県西部にある豊稔池のような多連アーチを持つ石積の外観を持つ形を採用することになった。
井関湖の補完として、まず、豊稔池が実在した場所に同名のダムを建造して確かめるという事になったのは何の因果だろうか・・・