13・唐箕を作ろう
さて、とりあえず豊音ちゃんの話は先送りで良い。なんせ、本人がなにも知らなかった。俺にはそんな女の子を誘導するウデは無いんだよ。一部女官からある種の視線も感じるが、そんな期待なんかするな。
農務技術者と話し合ってモノについては説明した。ただ、百聞は一見にしかず、実際に作った方が分かりやすいという事で作ることになった。
唐箕の構造は非常に簡単。なにも特別な事はない。強いて言えば、ちゃんと作るにはファンのカバーをちゃんと円周に作った方が良いと言うだけ。選別部分は投入調節用に仕切り板を本体との間に噛ます。この構造は江戸時代の絵でも同じで、きっと殆ど変わりがないと思う。郷土資料館の古農具から農業体験で自作する段ボール唐箕まで、基本的な構造は同じ。
今回、都近郊の村に実際に試してもらおうと、大工を引き連れて繰り出すことになった。
「都を離れるとこんなにちがうんですね」
それが俺の感想だった。まず、日本では当たり前の水田はそこにはなく、多少谷を埋めて傾斜を緩くしてはいるが、ほぼ自然の地形の畑が広がる。川岸の扇状地などを見ると、そこは水田だったが。
村へは歩いて向かった。というか、目の前だが。
「今日、集まってもらったのは農務省で考案された機具の実演のためだ。これが良いものならば、今後使って貰いたい」
農務技術者の一人が集まった村人の前でそんな説明をする。地域によって作りは多少異なるのだろうが、見るからに日本建築だ。これぞ昔の家々って感じだ。
本来なら俺が来る必要は無いのだが、都の外が知りたかったので無理を言った。牧歌的というか、なんというか、明治や大正の日本もこんなだったのかなと思う。
そうこうしている間に大工が村人に唐箕の作り方を教えながら組み立てて行く。
村では土地は庄屋に当たる管理人が居る。ただ、土地自体は国の物で個人所有ではないらしい。その庄屋が耕作する小作農に土地を手配しているんだそうな。
そう言えば、学校では庄屋や地主は悪者で小作農は奴隷みたいな事を習った気もするが、そんな感じはない。
まあ、考えてみれば確かにそうだ。機械化される以前は全てが人海戦術で、頭数が全て。何をするにも人が居なけりゃはじまらない。今でも野菜はそのままな部分が多いが・・・
それに、集約化だ法人化だ、株式会社への解放云々なんて話を見ると、果してあの「農地解放」とやらは正しかったのかどうかと思うね。農地を小分けにしたが、機械化で小規模、零細農家なんて成り立たなくなった。そもそも近代化で必要なモノを購入しなきゃならなくなった時点で、小作農規模の経済力じゃ自立は無理だったわけだが、戦後すぐはそんなことも分からなかったんだろうか?
村で庄屋と話してみると、何だかまるで会社組織みたいに思えてしまった。俺の習った「農地解放」って何だったの?
俺が仕事を始めた頃の状況から考えて、奴隷解放的に小作農に土地を与えても機械化は難しい。会社組織の様に庄屋に買わせて各小作農に貸し出す方が良いのではなかろうか。そうすれば農機の進化で能率が上がれば少ない人数で作業が出来るようになるし、耕作放棄なんかもない。下手に農地を細分化することなく効率が上がりはしないか。今後数十年掛かるが、日本の失敗とは違うやり方でやってみたいと思った。
庄屋を交えて話ながらそんなことを考えているうちに唐箕が完成したらしい。
持ち込んだのは組み立てキットになっていたからそりゃそうだろう。実演に用意した麦と米を実際に唐箕に掛けてみた。回し手の問題で風量が足りなかったり強すぎたりしたが、これは経験の世界だ。だが、箕でやるよりも短時間で仕上げてしまう事に皆が感心していた。
まずはもうすぐ行われる麦刈りで使って見るということで話は纏まった。
唐箕と共に千石通しも作ってきたのでこちらも使ってみたのだが、網目の大きさと傾斜角に課題が残った。こちらも春にまず試験的に幾つかの網目と傾斜角を試してもらい、未熟実の選別に使える様に試験を依頼した。
千石通しの説明が未だだった。
千石通しとは、振るいの網を傾斜角を付けて流すだけで選別できるよう様にした農具で、唐箕と共に伝来したとも、日本で発明されたとも、言われるが正確なことは知らない。
千石通しを使うことで選別はより能率が上がる。
そして、農村に来た最大の目的は、耕作機具がどの様なものかだった。
予想通り、土を反転させる犂と反転させた土塊を突き崩す馬鍬という二つの農具を牛馬に引かせているそうだ。一般的には犂しか知られていないが、反転させた土塊を何かで崩さなきゃ種まきや畝たては出来ない。現在の耕うん機やトラクターに付くロータリーは反転と土を細かくする二つの作業をひとつでこなす万能品だ。
農具を確認出来たので、まず、石油発動機と耕うん機本体があれば、犂や馬鍬を引かせるだけでも使える。ロータリーの開発に難航してもなんとかなりそうだ。