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幼き龍


 龍は、いつから龍なのだろう。

 気が付いた時には、雷雨の中だった。励ますように鳴り響く雷の音を聞きながらただ一人で真っ暗な空を眺めていた。

 自分が龍だということは知っていたが、龍とはどうしたらいいのか、どこに行けばいいのか、何もわからない。そんな中、雷にじゃれつき、空を舞う龍の姿を見た。緑の龍が、誘うようにこちらを向きながら雷とじゃれている。楽しそうだ。行きたいと思い何度かその場を跳ねてみるが、身体はすぐに地に落ちてしまう。どうしたら、あんなふうに空を舞えるのだろう。

 

「空を、飛べぬのか? 」

 諦めて地に寝そべっていた私に声をかけてきたのは、先ほど誘う様に空を舞っていた緑の龍。側で見ると、私の3倍はあろうかという大きさだ。

「飛び方が、わからぬ」

 正直に答えると、緑龍は『そうか』と笑い、なんの前触れもなく私の身体を掴んだ。

「何を、する? 」

「飛べぬのだろう? 連れて行ってやる」

 言われたときにはすでに身体は雲ほどの位置まで上がっていた。やめろ、離せ、と叫び続けたが楽しそうに空を舞う緑龍には伝わらない。雲の中を楽しそうに飛び回り、他の龍を追いまわしたり、追われたり。すっかり目が回った時には、雷は止み、雲の上は緑の龍のみになっていた。

「他の龍は? 」

「それぞれ、好きな場所へ向かった」

 何を当たり前のことをと言いたげな瞳に、不安がこみあげた。これからどうしたらいいのかもわからずに、捨て置かれるのは不安だったが、だからと言って自分から『一人にしないで欲しい』などとは口が裂けても言えない。何もわからずとも、龍の誇りだけは高く高く持っている。

「これまでは、どこにいた? 」

「知らぬ。気が付いたらそこにいた」

「そうか。では、今日龍になったのだな」

「龍に、なった? 」

「そう。我らがどうやって龍になるのかは知らぬ。だが、龍となったなら自由に空を舞い、水を泳ぎ、地で休む。それぞれ、永い時を思うままに過ごすものだ」

「思うままに……」

「そう。まだ空を飛べぬ龍を連れ歩くことも思うままだ」

「は? 」

「もうずいぶん永い時を一人で過ごしている。其方が飛べるようになるまで、私の暇つぶしの相手をしてはくれぬか? 」

 慈しむように向けられた緑色の瞳が、美しいと思った。

「少しの間だけだけなら」

「ありがとう、黒き龍よ」

 礼を言うのがどちらかなど、わかり切っている。それでも、龍の誇りばかりが前に出て、わかり切っていることができなかった。

 緑の龍は、紅く染まった空をゆっくりと飛んだ。紅い空を飛ぶのが何よりも好きだと言って、眼下に広がる山、川、人の住む村を眺めながらゆったりと。


「ここが、今の私の住まいだ」

 連れてこられたのは山の中にある小さな社。薄闇の中のそれは、龍が住まいとするには随分と小さく、中へ入るなどと考えられなかった。

「姿は、変えられる」

 言葉の通り、緑龍は人の姿を取った。角があり、緑の髪と瞳をした、人。

「龍が、他の姿を取るのか」

 まだ龍としての能力を何一つ持っていない私にあるのは、龍であるという誇りのみ。それすらも奪うのかと憤る私に、緑の龍は楽し気に笑った。

「お前なら、その姿のままでも問題はない。好きにすればいい」

 人の姿を取った緑龍に抱えられ社へと入ると、夜だと言うのに社の中はほのかに明るく、暖かい。まだ幼い龍であった私は、社の暖かさに身体がほぐれるのを感じた。

「お前は、人に近いのだな」

「どういう、事だ」

 まだ龍ではないと言われたような気がして思わず牙をむいたが、緑龍は可笑しそうに笑う。

「気を悪くしたのなら謝ろう。懐かしくてつい、な」

「懐かしい? 」

「そう、ここで寒さに弱い人と暮らした。やっと人の望む暖かさが分かったころには、居なくなってしまったがな」

「……」

 人は、人の住む里に帰ったのだろう。そもそも、人と暮らそうなど愚かな事。能力も、求めるものも、流れる時さえも異なるのに側にいられるはずなどない。幼き龍であってもわかることがなぜわからないのかと思うのに、切なげに揺れる緑の瞳が言葉にすることを躊躇わせた。




 夏が終わろうとしてもまだ私の身体は地を離れる事が出来ない。日々空を仰ぎ見る私を緑龍は穏やかな瞳で慰め、それがまた私を苛立たせる。

「我は龍だ。龍であるならば、空を舞えるが道理! 何故、我は舞えぬ? お前は、何故舞えるのだ? 」

「……舞えぬ頃の事など、すでに忘れてしまった。焦らずともよい。龍である時間は永いのだ」

 憤る私に、緑龍はいつも困ったように、寂しそうに笑う。そうして、少しも空を舞うことなく、秋が過ぎ、冬が過ぎていく。



 春の訪れと共に新緑が広がり、色鮮やかな花がいくつも咲き、春が終わりを告げる前に山は深い緑に染まっていく。何も知らない私には、実り豊かで平和な緑龍の守る地が世界の全て。だから、緑龍が時折山裾へ出向き、激しい雷雨を呼ぶのを見てもただの気まぐれだと信じ、疑ったことなどなかったのだ。


 初夏を迎え、気まぐれな雷雨が社の屋根を襲うようになってきた。龍は雷雨を従える能力を持っているのに、社を襲う雷雨には寛容で、いつも楽しそうに屋根に降り注ぐ雨粒の音を聞いていた。

「うるさくは、ないのか」

「雨音は好きだ。気にはならぬ」

 昼夜を問わずに降り続いた雨。激しく憤るような雨音が耳障りだと思っていたが、緑龍の楽しそうな声を聴くと、途端に心地よい音に変わるのだから不思議なものだ。

 穏やかな龍と過ごす時間は、嫌いではなかった。



 雨が少なくなり、暑さがやってくる。木々は色濃く茂り、川は誇らしげに咲く花で彩られ、風は葉をゆすり龍の身体を冷まし、鳥は伴侶を求めて歌う。空を舞えずとも、ここには心地よい物がそろっていると、ことあるごとに緑龍が諭す。この地より見る空は何よりも美しいと胸を張る緑龍の言葉が、私の中で少しずつ大きくなっていった。


 その日は、鳥のさえずりが聞こえなかった。風も、花の香ではなく不思議な嫌な臭いを運び、空には怒りをこらえる様な低く黒い雲が広がっている。龍の守る地に暮らす獣も鳥も、庇護を求めるように社の周りに集まってきているが、緑龍の気配は社の側には無い。 

 不穏な空気を裂くように、雷雨が激しく憤っている音が届いた。嫌な臭いをさせていた方角に雷を従えた龍がいる。

 風が緑龍の怒りと悲しみを運んでくる。何故、怒っているのか。何故、悲しんでいるのか? 何もわからずとも、今は緑龍の側にいるべきだと誰かがささやく。私は龍の誇りも忘れて地を走るために人の姿を取り、緑龍の気配を求めてただひたすらに足を進めた。



 息を切らした私の前に現れたのは、穏やかな笑みを浮かべた緑の龍だった。

「どうした、黒き龍よ」

 何事もないような穏やかな声を出しながら、緑龍は紅い口を大きく開けて笑い、恐怖に震える人達を今にも飲み込もうとしていた。地には、突然の雷雨に足を取られ山肌を滑り落ちたのだろう動かぬ者が数人。残ったものは、龍の姿を前に恐怖で逃げる事も声を出す事も出来ずにいる。

 

「何を、しているのだ? 」

 自分の声が、震えるのがわかる。恐怖ではない。いつも穏やかな緑龍が、人を傷つけていることが悔しかった。緑龍の悲しみも怒りも何も知らない自分が悔しかったのだ。

「この者達は、我が守る地を侵しに来た。龍の怒りを買ったのだ」

 何を当然の事を、と3本の指で震える人の首を掴む。若草色の美しい爪に、紅い筋が流れて地に落ちる。

「殺すことは、ない」

「我も、そう思うさ。だがな、人とは逃げられぬ。殺さねば、この地を離れる事が出来ぬ」

 悲し気な声が、胸に刺さる。人を殺める事など望んでいないことが伝わる。それなのに、何故。

 龍の爪は柔らかい人の首に深く刺さり、掴まれた者はすでに意識を手放している。

「待て、止めろ! これ以上殺すな! 我が、この者達を引き受けよう。これ以上の手出しは無用だ」

 私の言葉に、緑龍は大きく目を見開いて、柔らかい首を手放した。

「黒き龍が、人を助けるとは思わなかったな。好きにするがいい」

 違う。人などどうでもいい。助けたかったのは……。

 無言で雷の踊る空へと舞い上がる龍に、恐怖で縛られていた者達から安堵の息が漏れる。助かった、と声を漏らす者もいた。

「この地は龍の治める地だ。むやみに踏み込めば、龍の怒りを買うことになる。出ていけ、そして二度とこの地を踏むな」

 緑龍よりも高い声で人に告げる。身体の動く者は動けぬ者を捨て、龍の守る地から逃げ出していく。殺さずとも、こんなにも簡単にこの地を離れるではないか。



「預けた者達は、どうした? 」

 社の中では、緑龍が待ち構えていた。緑の瞳が、怒りをこらえるように揺れている。

「この地より去った。二度と、来ることはないだろう」

「そうか」

 静かな声からは、緑龍の想いを読み取ることは出来なかった。




 それからどれだけの陽が昇り、沈んだのか。暑さが和らぎ、山は色艶やかに変わり始めていた。

「もうじき、祭りがある。民が我に一年の収穫を知らせ、我の前で舞う。今年は、其方も一緒に社から見よう」

 嬉しそうに、悲しそうに笑う龍に、黙って頷いた。昨年の祭りのときは、緑龍と共に誰も居なくなった里を空から眺めていた。この社に来て一年以上がたつのに、祭り以外には誰一人訪れた事がない。この山で人の姿を見たのは、龍の地に無断で踏み込んだ愚か者のみ。地を守る穏やかな龍にしては、軽い扱いではないのかと不思議に思っていた。

「祭りの時しか、民はお前の元に現れぬのか? 」

「……そう、だな」

「そうか」

「我が、そう望んだのだ」

 困ったように笑う緑の瞳は、柔らかかった。



 収穫が終わった新月の夜、村の民が明かりを携え社へとやってくるが、龍は民に姿を見せることは無い。民は、居るのか居ないのかわからぬ龍に実りを備え、若い娘が舞いを捧げる。世を嘆くような、悲しい舞。


「龍神様、今年も龍庭ロンティンをお守りくださり、ありがとうございます」

 村の長らしき者が感謝の意を唱え、緑龍は暗闇から黙ってその者を見つめる。その瞳は、慈愛に満ちているとは言い難いものだった。

 穏やかな龍の中で、どんな感情が渦巻いているのだろう。何故、この地を守っているのだろう。聞きたいことは胸に留まり、言葉にはならなかった。



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