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月夜

 春麗、そんなに暴れたら梅の木が折れてしまう

 一緒に植えたでしょう? 

 いつか皆で花を見ようと、約束したでしょう?

 どうか、この梅は折らないで


 柔らかな言葉と共に、氷のように冷たい風が梅の木を守る。遠い北の地にいるはずの白龍の背に乗り必死に手を伸ばすのは、惚れた男の為に娼館を逃げ出し、守るべき妹までも巻き込み命を落とした愚かな姉。


 イラナイ イラナイ コンナキ イラナイ

 ワタシモアネサマモ シンダモノ

 ダレモ ミナイモノ


 見る

 兄様言ったもの

 たくさん食べられるようになったら、母様と父様と皆で見るって

 兄様に子供が産まれて、孫ができて

 毎年花が咲いたら皆で見るって


 ワタシモ アネサマモ イナイ


 それでも 皆で見るの


 イヤダ イヤダ

 ワタシダケ シンダ ワタシダケ イタイ イヤダ


 春麗

 春麗

 ごめんね

 許してね

 私も一緒に行くから

 闇の中でも 二人だから

 この梅は 皆に残してあげよう


 身勝手なはずの彼女の声は柔らかく、春麗はソロソロと姉に向って手を伸ばし、言葉なくただ涙を流す。


 アネサマ アネサマ イッショ

 ヤミノナカ アネサマ イッショ


 そう 一緒

 春麗

 ごめんね 

 ごめんね


 アネサマ アネサマ

 イッショ ヤミノナカ

 ダメ 姉様

 闇なんて、駄目


 意志を取り戻した鬼は泣きながら嫌々と首を振る。

「龍神様、姉様を助けて。憎しみに捕らわれたのは私だけ。姉様は、どうか光の元へ」 

 絞り出された声はかすれているが、確かに強い意志を感じる。春麗は帰ってきた。愚かで弱いはずの姉が、鬼となった妹を救い出したのだ。


「案ずることは無い。其方の姉は、私が送り届ける。光の元に向かうのをほんの少し引き留めただけだ」

 白龍の澄んだ声にすすり泣く声が重なり、風は止み穏やかな夜明けを迎えようとしている。

 陽が昇るまでのわずかな時、姉妹は別れの言葉を交わしていた。



「私は、どうすればいい? 」

 白龍に連れられて光へと旅立った姉を見送る小さな背中は、震えながらも振り向くことは無い。もう、我を忘れて鬼に堕ちることは無いのだろう。

「人として命を終える事を望むなら、人の側を生きる事だ。何があっても、誰も殺めることなく。一度でも人を殺めれば、其方は鬼に堕ちる。人から離れすぎてもまた、人には戻れぬ」

「人に、戻れない? 」

「そうだ。妖と呼ばれる者へと変わり、人であった記憶はいずれ無くなる」

「妖……」

 ただ一人で鬼として永い時を過ごす。鬼の身なれば、人の側にありながらも決して交わることはできない。辛い事実を緑龍は淡々と伝え、春麗の背は素直に受け止める。


「鬼として、我が村を、父母を守る事は出来るのか? 人ならざる者なれば、暑い夏を、豊かな実りを与える事は出来るのか? 」

 震える声にわずかばかりの願いが込められるが、緑龍は迷いなく一蹴する。

「暑い夏を呼ぶのは、我らにも出来ぬことだ」

「ならば、父母が、兄が飢えていくのを見つめるのみか? 妹が売られ、泣くのを黙って見ていろと? 」

 震える声に、行き先の無い怒りが込められる。

「其方の村に暑い夏を呼んだとしても、村は豊かにはならぬ」

「……」

「北の地に咲く花は、たくましく美しい。民もまた、たくましく美しく生きられる。其方はそれを信じて見守ることだ」

 小さな背中は怒りに振り向き、鬼の瞳で緑龍を睨みつけるがそれ以上言葉を発することは無く、風を操って村へと向かう。

「其方も、見守ってやるといい」

 穏やかな緑龍の声が無性に悔しく、春麗を信じきれない自分が情けない。

「春麗は、何を望むのだろう」

 自分でも驚くほどに弱った声に、緑龍が穏やかに笑う。

「我が伴侶の望みすら最後までわからなかったのに、鬼の望みがわかるはずもない。だが、同じ時を共にすれば、其方にならいつかわかるかもしれぬな」

 村を守れぬ龍が、同じ時を過ごすことができるのだろうか。

 

 穏やかな空に、この北の地の抱える闇を忘れそうになる。このまま、穏やかに時が過ぎればいいのに。この地に生きる全ての民が幾度となく願ったことを願い、力不足の我が身を呪う。それでも、この地を守りたいと思う心に、嘘はない。

 穏やかな気候は呼べないが、大雨を連れてきた雲には早く村を過ぎるように少しだけ急かし、強く吹き付ける北風には少しだけそれるように促した。ただそれだけで、この村でも作物は育ち村は実りの季節を迎えた。短い夏に育つ作物は限られており、豊かな暮らしには程遠い。それでも、今年はどの家の娘も売られる事なく冬を迎えることができ、思い出したように民は社に訪れ神に感謝の意を唱える。

 幼い春麗が一人で磨いていた社は、たくさんの大人達で磨かれた。春麗の兄は、妹たちの植えた梅の木を雪から守るように蓑で覆い、皆から隠れて瞳をこする。

 冬がすぐそこまで来ているのに、暖かい風が社を幾度も通り過ぎていく。


 長く冷たい冬。すっかり雪に埋もれた社に訪れるものはおらず、蓑で覆われた梅の木も静かに眠っている。一度地に落ちた雪も冷たい風に吹かれ、陽の光を集めて舞い踊る。北の地の冬は厳しくも美しい。この地に生きる事を誇る民を、愛おしいと思った。


 冷たい風が和らぎ、冬の終わりが見えてきた。春麗の兄に蓑を外された梅の木は冷たい風に吹かれながらも春の訪れを喜んでいる。

 夏が訪れても、鬼は社に姿を現すことはなかった。誰も手を入れぬ社の周りは下草に埋もれ、吹きつける風の運ぶ砂で社の壁は灰色に変わっていく。


 幾度も冬が訪れ、春を迎え、春麗の家族も形を変えていく。幼かった妹はすっかり娘になり、兄は妻を娶り、子を成した。形は変わったが春には必ず皆で梅の花を見に社を訪れ、柔らかな風が皆を守るようにそよぐ。春麗の願いは、叶ったのだろうか。  


 この社を住まいとして、幾度かの冬。木枯らしと共に鬼が社に現れた。

「これまで、どうしていた? 」

「……」

「誰も、殺めてはおらぬようだな」

 私の言葉に空を仰ぎ、当然だというように笑った。

「姉様に、会えなくなっては困るからな」

「そうか」

 幼い姿のままで穏やかに笑う春麗は、もう痛みも憎しみも無いのだろう。このまま永い時を重ね、穏やかなままいつか人としての命を終える。それまでの、時を。

「お前の守りたい地を、我と共に守る気はないか? 」

「鬼が、龍と共に? 」

 呆れたように笑うのは、何もかもを飲み込んでいた頃の春麗と変わらぬ鬼。何故、鬼がいけないというのか。

「私は龍で、お前は鬼だ。互いに人ならざる身。なぜ、共に過ごしてはいけない? 」

「……龍とは、身軽なものだな」

「鬼も、人よりはずっと身軽だ」

「……」

「共に、この地を守る気はないか? 」

 僅かな時間考えていたようだが、両手を組んで地に膝をつき、意志を宿した瞳で真直ぐに私を見つめる。

「鬼の命終わるまで、共に」

 その日よりこの地は幼き龍と鬼の加護を受ける地となり、人でなくなった春麗に『風鬼』と名付けた。人の名は鬼の命終わるときに持っていくと笑う姿に何故か胸が痛んだが、私のつけた名を名乗る姿を誇らしくも思った。





「綺麗ですねぇ」

「ああ」

 風鬼の背丈よりも小さかった梅の木はいつの間にか社の屋根よりも高くなり、春には月を隠すほどの花を咲かせる。それを知る緑龍が、妻を連れて花見にやってきた。緑龍への嫌悪を隠す事の無い風鬼も、妻である雪花(シュェファ)の事は好ましく思っているようで嬉しそうに二人並んで梅を見つめている。


「憎しみに捕らわれた鬼が、穏やかになったものだ」

 クツクツと笑いながら酒を飲む緑龍が見つめているのは梅ではない。

 緑龍を嫌悪する風鬼を従者としてからは、緑龍自らがこの地を訪れることはただの一度も無かったのに、雪花を妻としてからというもの何かと理由をつけてはこの社を訪れ、雪花と風鬼が笑うのを見て満足げに酒を飲む。

「そうだな、穏やかになった。人であった頃よりもずっと」

「其方が、守っているからであろう? 幼き龍も、穏やかになった」

「……」

 幼き龍と言われた苛立ちと、守っていると認められた誇らしさにうまく言葉が出てこずに黙って酒を煽れば、緑龍は楽しそうに月を仰いだ。

「ああ、いい酒だ」

「そうだな」

 次の春も、その次の春も、一緒に梅の花を愛でながら酒を飲むのだろう。

 



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