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北の地

 緑龍は、龍庭に咲く花の弦で勾玉を縛り私の首にかけた。想う者が持っていることが、春麗の救いになるだろうといって。

 春麗の消えた北の社に戻る事がどうしても出来ず、龍庭で時を過ごす。

 陽が昇り、青い空が広がり、作物の成長を喜び、空が紅く染まる頃には家に戻り、今日の食事にありつく。そんな、龍庭では当たり前の風景を眺めながら、勾玉となった春麗と一日を過ごした。

 北の民が、同じ平穏を望むことは罪なのだろうか。春麗の望んだことは、許されない事なのだろうか。


「緑龍よ、私は北の地を守りたい」

「そうか」

 緑龍はいつも通り、柔らかく笑う。飛べぬ龍など拾わなければよかったのに、後悔など微塵も見せることない笑顔に苛立ちが募る。北の民は、龍庭を欲している。その民を守るということは

「其方の、敵になるのだ」

「そうか? 」

「そうだ」

「それでは、地は守れぬな」

 柔らかく笑っているのに、目だけは鋭く私を射ぬく。守れぬとはどういう事なのか。

「龍庭を奪えたとしても北の地を守ったことにはならぬ。それは、民から故郷を奪うことになる」

 諭すように紡がれる言葉に、梅の木を誇る少女の声が重なる。だが、地を豊かにするには暖かい春が、暑い夏がいる。

「龍には、暑さ寒さは操れぬ」

「北の地が貧しいのは、寒さだけが理由ではない」

 緑龍の言わんとすることがわからないのは、まだ私が幼いからなのか。どうしたら、わかるようになるというのか。戸惑うだけの私に、緑龍は穏やかに笑いかけた。


「おいで、黒き龍よ」

 ゆったりと空へ舞い上がる緑龍は、後ろを振り返る事などなく闇を進んでいく。どこへ行くのか、問うことも出来ずにただ緑龍の後を追いかけた。



 北へ。北へ。

 春麗のいた村が、遥か南の地に思えるほど北へと飛んだ。空気は凍り付き、眼下には時をさかのぼったのではないかと思われるような白い大地が広がっている。

「この地は、雪の解ける時期がほとんどない」

 白い大地にゆったりと降り立った緑龍は、大きく咆哮した。龍の咆哮は、木々に積もった雪を落とし、澄み切った空気を切り裂くように白い世界を走り抜ける。

「白き龍を、覚えているか? 」

「居た事ぐらいは」

 緑龍に拾われた夜、緑龍の他にも龍が居た。いつの間にかいなくなってしまったが、楽しそうに空を舞う白い姿が緑龍よりも美しかったことを覚えている。

「白き龍は、私が龍となるよりも前からずっと、この地の民を守っている」

「この地を? この地で生きられる民がいるのか? 」

「白き龍に、問うといい」

 ほら、と促されて空を仰げば灰色の低い空から白き龍が舞い下りてくる。舞い落ちる一片の花びらのような美しい姿に、知らずに息が漏れた。


「まさか、この地で其方に会えるとは思わなかった。よく来たな、緑龍」

「久しいな、白き龍よ。これは私の友だ。其方に会わせたいと思い、この地へと連れてきた」

「あの夜の、幼き龍か」

 よく晴れた空のような青い瞳が私を見つめる。『幼き龍』の言葉が気にならないのは、この龍の持つ空気がとても柔らかく、大きいからだろう。

「この地は、寒いであろう? 」

 青い瞳に気遣いの色が見て取れる。

「……少し」

 我慢できないほどでも震えるほどでもない。だが、確かに冷える。龍の身体でも寒さを感じる地で、人など生きていけるはずがない。この地で民を守る白き龍は、どれだけの力があるのだろう。

「力などない。この地の民は皆優しく、強く生きている。私は、ただ民の側にある」

 穏やかな笑顔に、白き龍がこの地の民をとても好ましく思っていることが伝わる。どれだけの長い間、民を見守ってきたというのだろうか。


「この白い大地で、民はどうやって生きているのだ? 」

「どうやって? 地に暮らす者は地にあった暮らしをしているさ」

 私を見つめる穏やかな瞳は真剣な眼差しに変わり、ついてくるがいい、と白い大地を蹴って曇天の空へ舞い上がった。


「あれが、この地の民だ」

 白き龍の視線の先には、椀上の白い塊がいくつも並んでおり、外に出ている男たちはまだ湯気の立つ丸い獣をわけている。女が後ろへ控え、子供は嬉しそうに走り回る。

「この白き地では、ああして獣や魚を取って食す。皆で働き、皆で得る。皆で豊かな地を求め、移動を繰り返し、その生涯を終える。緑の地のような豊かさは無いが、誰かが特別な暮らしをすることもない」

「作物は、育てぬのか? 」

「育つと思うか? 」

 さも可笑しそうに笑われた。緑龍までもが実に楽しそうに笑っている。

「幼き龍よ。人は多くを求めると我が身以外を人と思えぬようになる。豊かさにとらわれすぎると本当に大切な物が見えなくなるとは、思わぬか? 」

「……」

「私は、この地に生きる民を好ましいと思う。寒さの中で身を寄せ合い、お互いを慈しみ合い生きている。これより南の暮らしなど望まずに」

「それで人は、生きて行けるのか? 」

「生きているだろう? この地の民は、豊な暮らしなど知らぬから、貧しさも知らぬ。厳しい寒さに負けることなく、たくましい」

「知らぬことが、幸せだと? 」

「それは、わからぬ。だが、私はこの白き地が好きだ。この地に生きる命全て、愛おしい」

「地に生きる命全て……」

「其方と緑龍はよく似ている」

「緑龍と? 」

「そう、二人とも人を愛おしいと思うからこそ、人の住まう地を大切に想う。だが私は地を愛おしいと思うからこそ、そこに暮らす民もまた愛おしい」

「……」

「わからずともよい。さあ、その勾玉が凍えている。もう暖かい地に戻るがいい」

 白き龍は、勾玉となった春麗にその柔らかい息を吹きかけ、南を指した。

「邪魔をしたな。白き龍よ」

「いや、楽しかった。また、雷の遊ぶときに逢おう」


 隙間なく舞い落ちる雪が、寒さに負けずに咲く梅に重なる。



 北の社に戻り、緑龍と共に春麗の姉を梅の木の側に埋葬した。魂の宿らない身体は、鬼に変わった妹の事など何も知らずに静かに土へと帰っていくのだろう。

 相変わらず、春麗の妹は日に焼けぬよう外に出ることが出来ずにいる。今ある穏やかな気候、平穏を信じる事の出来ぬ民は、天に見捨てられた時生き抜くための逃げ道を用意することを忘れない。この地をどうやって救えばいいのだろう。どうしたら、春麗を救う事が出来るのだろう。


 日ごと欠けていく月明かりが、最期の時が近づいていることを知らせる。


 紅かった空が藍色に変わり、月の無い夜が始まる。低い雲を広げた空では星の光すら届かず、真の闇の中で龍の封印は弱まり、鬼の力が強くなる。

「止められなければ、人を殺める前に滅することが、最期の救いだ」

 緑龍の言葉は間違ってなどいない。とどまれないのであれば、滅することがせめてもの救いなのだろう。だが……。

「私が敗れる時まで、手を出さないでほしい」

 勾玉は鼓動を刻み始め、鬼が目を覚ます。




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