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出会い

「『朝陽チャオヤン』と呼んだのは、どんな人? 」

 自分でも、唐突だったとは思う。でも、始めて名を聞いてからずっと気になっていた。『昔、そう呼んだ者がいた』それは、誰かが名付けたという事。龍神様に名を与えた人は、どんな人なのだろう。

 困ったように笑う朝陽。聞かれたくないのだろうか、辛い話なのだろうかとも思うのに、私の口から出てきたのは何も気遣いのできない子供の好奇心。

「聞きたい、です」

「……そうか」

 朝陽は月を見ながらゆっくりと語ってくれた。それは、ずっと昔のおとぎ話のよう。



 ずっと昔、まだ『龍庭ロンティン』もなかった頃。私は守る地も無く、思うままに空を飛び、気に入った地で身体を休め、飽きればまだ別の地へと移る暮らしを続けていた。紅い空を飛ぶことが何よりも好きだった私は、どんなに心地よい地でも、空が燃えるように紅くなると別の地へと移りたくて仕方がなくなる。 

 夏の終わりが見えてきた日、紅く染められた空があっという間に黒く変わり、雷雨が地を襲った。地を襲う雷にじゃれつくように地上と空を行き来する私の目に、大木に身を預ける娘の姿がうつったのはほんの偶然だったのだろう。

 娘の顔に恐怖はなく、ただ雷雨の踊る空を見つめている。

 それまで、一度たりとも人などを気にかけたことは無かったというのに、何故だか気になり目が離せない。気がついたら、龍の姿のままで娘の前におり立っていた。

 娘は、龍の姿を見ても眉一つ動かす事はなく、私に向って一言『食せ』と呟いた。

 意味が分からずに見つめていると、娘は声を出さずに笑う。

「いらぬ、か」

 娘はそのまま大木に身を預け、瞳を閉じた。

私はどうしてもそのままにしておくことができず、かといって人というものはどうしたら目を覚ますのか、果たして無理に目を覚まさせることが良いのか悪いのかもわからずに、ただ、雷雨にさらされぬようにと、龍の姿のまま、寝顔を眺めて朝を待った。


「龍? 」

 ひときわ大きな雷の音に目を覚ました娘は、私を見ても驚くことも怯える事もない。

 まるで、感情をどこかに忘れてきたような瞳に射抜かれ、私はその娘にひどく魅かれた。

「龍が、怖くはないのか? 」

「……龍など、怖くはない」

 龍『など』怖くない。では、何なら怖いのか。

 大きく開かれた瞳は、見えているのに見えていない。恐れも怒りも何もない。

「いつまで、ここに居るつもりだ? 」

「ここは、龍の場所か? 私が、邪魔か? 」

 短く息を吐きながら立ち上がり、雷の遊ぶ地へ踏み出そうとした。まるで寒さなど感じないとでもいうように。

「別に私の場所ではない。人の身体は壊れやすい。雨が上がるまでここで休むがいい」

 娘はしばらく私を見つめ、同じ場所に腰を下ろした。


 少しずつ気温は下がり娘の顔からは色が消えていく。時折震えていた身体も、動きを止めている。

 何度か動かなくなった人間を見たことがある。鎧を着て、武器を持ち、幾重にも重なり、土になる。だが、動かなくなる前には大きな声で叫び、泣き、あがいている。

「お前は、静かに動かなくなっていくのか? 」

「……そう、だな。そうできれば、いいと思っている」

「そうか。それでは、つまらぬな」

 この娘が、動いている姿を見たい。このまま動かなくなっていく娘を見るのが嫌だと思った。何故そう思ったのかは、今でもわからない。

 娘を置き、地を滑るように飛び回った。空高く飛ぶことを誇りとしていたこの私が、草木よりも低い位置を飛びまわったのは、あの時だけだ。やっと見つけたのは、山の中腹にある大きな岩が重なり合ってできた隙間。洞窟というほどの大きさは無いが、娘一人が雨風をしのぐには充分だろう。


 連れに戻った時には、すでに娘の瞳は閉じていた。蒼白の顔は、もう戻らないと感じるには充分だったのに、何故か私は必ず戻ると思い、娘を連れ山の中腹まで飛んだ。

 湿った土の上に横たえると、少し苦しそうな声が漏れた。苦しそうではあったが、まだ動いている。

「聞こえるか? 私には、人の身体はわからぬ。どうすれば、其方は動くようになるのか教えて欲しい」

 私の問いに、娘は冷たく言い放った。

「私を食せ。すれば、わたしは龍の血肉となって動けよう」

 そうではない。私の一部となって動いても、意味がない。どうしたら通じるのか、どうして娘がそんなことを言うのかわからずに、私は無言で横たわった娘を見下ろしていた。


 こんな雷雨の時は、人は屋根の下に入り、外に出ては来ることはない。外に出ずにどうしているのだろうと、考える。

 周囲が白く染まる頃、人が暮らす家の屋根からは煙が立ち上っている。外に出てくるときには、たくさんの布を纏い、身体を丸める。

 人は、龍よりもずっと寒さに弱い。それならば、この場所も寒いのだろうか。

 私は、何故寒くないのだろう。

 これまで考えたこともない、龍と人の違いに頭を巡らせる。

「……ヤン。チャ……」

 雷の音にかき消されないのが不思議なほどの小さな音。娘の瞳は閉じているのに、黒くなった小さな唇から音が漏れる。どうしてか、その音はたまらなく胸を裂いた。


 硬い鱗を纏った龍の身体は、温度を感じることがない。それならば人の姿を取ったならどうだろう。寒さを感じることは無いだろうが、人の姿であれば娘の身体に熱を分ける事が出来るのではないだろうか。私は、その時初めて誇り高い龍の姿から人の姿へと形を変えた。


「……ン? 」

 少しだけ赤みを取り戻した唇から漏れる音は、どうしてかひどく切なかった。

「早く、目を覚ませ……」


「ここは? 」

「目が覚めたか」

 雷が去ってから二度の夜が去り、陽は高く上っている。人の姿を取った私の熱にすり寄る身体は、まだ生きる事をあきらめてはいない。だが、心は?

「私を食さなかったのか? 」

 差し込む紅い光に目を細め、乾いた笑いを浮かべる姿に胸が痛んだ。

「龍は、人を食すことは無い」

 どうして、龍が人を食すと思うのか。どうして、私がそれを悲しいと思うのか。

 私にはわからなかった。

「龍? 」

 娘の細い手が私の頬に触れ、何かをぬぐうしぐさを見せる。小さな動きではあったが、娘は自ら動いた。

「なぜ、泣いている? 」

 紫色の唇から紡がれた言葉は、不可解な物だった。娘は泣いてなどいない。ここには私と娘以外いないと言うのに、誰が『泣いている』というのか。

 遠慮がちに頬から離れた娘の指先は、確かに濡れていた。

「なぜ、私を助けた? 」

「わからぬ」

 本当にわからない。動かなくなる者を見るのは初めてではない。が、近づこうと思ったことは一度もない。それが、意志を持たない娘の瞳を見た途端、身体が動いた。理由など、誰よりも私が知りたい。




 目を覚ましてからの娘は相変わらずに空虚な瞳のままだったが、時折『寒い』と呟いた。人を知らぬ龍の身。どうしたらいいのかと尋ねるごとに、娘は『気にするな』と乾いた笑いを浮かべる。

 目を離したら、消えてしまいそうな危うさを持った娘。私は片時もそばを離れなかった。

「龍は雷雨の中、空を飛べるのだろう? 」

 数日に一度、娘は私に外へ行け、自分にかまうなという趣旨の言葉を口にする。胸に痛みを覚えつつも、私はいつも同じ答えを返した。

「お前も一緒なら、行こう」

 いつもそれで、私達の会話は終わる。どうしてか、娘は暗くて狭いこの場所から動こうとはしない。昼間は、暗闇の中からわずかに見える光に怯えるように穴の奥深くから動かない。太陽が沈み、闇が訪れると外の空気を吸うように入口近くて風に揺れる木々を眺めるが、決して空に浮かぶ月や星を見ることはなかった。


「お前は、何に怯えている? 龍を怖くないと言ったお前が怖いものは、なんだ? 」


 私自らの選択であったのに、暗闇で過ごす数日間は私の心持ちにまで影を落とし、苛立ちを光に怯える娘に向けてしまった。責めた所で、癒す事などできないのに。

「怯えてなど、いない。ただ、私はどこにも行かない」

 真直ぐな瞳には、暗く強い意志が宿っている。

 その日から、娘は私の運ぶ食べ物を口にしなくなった。動かなくなりたいのだと言って。

 私は、なにもできなかった。


「龍が、私に何を望む? なぜ、側にいる? 」

「……」

 骨が浮き出るほどに痩せた身体。弱っていく呼吸。ただ瞳だけは力を失うことはなく、真直ぐに私を射る。

「何を、望んでいるのだろうな。私にもわからぬ。ただ、お前といるのは、楽しいと思う」

 私の言葉に、娘は力なく笑った。何も話す事なく、触れることもなく、ただ側にいる事を楽しいだなんて、お前は頭が可笑しいのかと。どれだけ寂しいのだ、と力なく笑った。

「そう思うのだから仕方がないだろう。お前に見られる事が、楽しいと思う」

「……そうか」

 日が暮れる前に、娘が口に出来そうなものを探しに行く。食さぬことはわかっていても、すでにそれは私の日課となっていた。

 夏はとうに終わっていたが、まだ実りは豊かだ。少し山を下りれば木々には果実が実を結んでいる。人の手が入った果実は、綺麗に色づいていた。


「いつも思っていたが、どこから持ってくるのだ? とても自然になっているとは思えぬ」

「山向こうに、同じ実を結ぶ木々がたくさんある。そこからいただいてきた」

「誰も、居なかったのか? 見られなかったのか? 」

「居たかもしれんが、龍の姿は徒人には見えぬ」

「……盗んだのか? 」

「木になっているものを取っただけだ」

 娘はポカンと口を開けたかと思えば、すぐに盛大に笑いだした。乾いた笑いとは異なる、命溢れる声で。

「そうか。木になっている物を。確かにそうだな」

「……」

「いただこう」

 何日ぶりか、娘は紅い果実を口にする。瞳には、強く明るい色が差し込んできたようだった。



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